考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

なるべく丁寧に言葉をつむごう。

 

昨日のブログでも書いたけれど、最近、自主的にやっているラジオや、いろんな人と話をする場があって、対話の機会が多い。当然、自分もいろんなことを話していて、他にも、Xを見ると、興味深いことを書いている人がたくさんいて、それへのリアクションを自分も書いてみたり。

 

 

言葉を発出する回数が増えると、自分がこれまで経験したいろんなできごとが、自分の都合の良いように切り取られて、抜け落ちていっているような気がするし、短い言葉で端的にあらわせるようなことなんて、本当はそんなにないよな、という思いもある。

 

 

 

何か、伝えたい強いメッセージがあるときほど、それを響かせようとして、感情的に表現したり、感動的なストーリーに見せようとするようなことを意識的にも、無意識的にも自分はしてしまうのだけど、それが、ちょっとよくないようにも思えてきた。

 

 

そぎ落とし過ぎていないか、不正確な解釈を、勝手にしすぎていないか。

立ち止まりながら、進んでいきたいなと思う。

 

 

 

やっぱり140字でいろいろ書くのは難しいのもあって、しばらくまた、こちらに思いを綴っていきたい。

ブログだって、全然閉ざされてないけれど、なんとなく閉ざされていると自分が思える場で書いていきたい。

 

 

 

自分の過去とも、話をする相手とも、これを読んでくれる人とも、もう少し丁寧に向きあっていけたらいいな。

 

 

 

 

話をする、聴きあう時間の大切さなど。

 

 

今日、オンラインコミュニティにいる人が、話したいことがあるといって、7人ぐらいで「マイノリティとマジョリティの分かり合えなさ」みたいなテーマで対話をしていて、みんなそれぞれ思うことや考えをいろいろ話していて、おもしろかった。

 

 

昨日も、対話の時間が2つあって、なんだか、話をすることばかり最近はしている感じがする。podcastとかもいろいろやってるし。

 

なんだけど、結構大事なことをしてるよなーという感覚もあずっとある。

 

 

東畑さんの、「聞く技術、聞いてもらう技術」も話題にあがって、自分の気持ちを受けとめてもらうことって大事だって話にもなっていた。

 

子どもの頃に家族とかにそれを受け入れてもらえなかったり、ありのままでいられなかったりしても、大人になってからもそういう時間があるとだいぶ違うよなーと。

 

 

Xで論争するよりも、podcastや音声配信で互いの話を聴きあう時間を、みんな、もっと作ったらいいのにと思う。

 

 

あと、これはほんとどうでもいいんだけど、Xのフォロワーが、よくわからないアカウントをどれだけリムーブしても、ついに3桁に届こうとしている。

 

なんとなく、2桁くらいだから安心して言いたいこと言えていたのに、3桁になるのがちょっと不安な感じ。

そういえば、このブログは8年くらいやってるのにまだ読者数は2桁だ。

だから安心して適当なことかけるのかなー。

 

 

なんとなく、吐き出してから休みたかったので、今日はここにアウトプット。

1日おつかれさまでした。

 

おやすみなさい。

 

 

いろんなところに、安心できる場所を作っていけるといいですね。

 

 

 

 

カジュアルな会話が気持ちを耕す

 

 

3年ぶりに会う友人が我が家に泊まりに来ていて、昨夜遅い時間にいろいろ話していた。

 

あたらしく始めた訪問介護ヘルパーの仕事が、地域のおじいちゃんおばあちゃんといろいろ話せて楽しいという話をしたら、「○○(僕の名前)は人とたくさん関わっているときにいきいきしてるよね。天職なんじゃない?」

って言ってもらった。

 

今年は正月から、”ソーシャルな筋トレ”と称して、人となるべくたくさん関わるように意識していて、それをしていると確かに調子がいい。ちょっと躁状態かもと心配になったり、疲れて一人の時間を必要とするときもあるけれど、ベースとして今くらいの人との関りがあるのは自分には健全な気がする。

 

先日、「ごとうにんシアター」という、川崎で対話の場づくりをしている人とZOOMで話をしいていて、「呪いと祈り」というテーマでワーク的にいろいろとおしゃべりをしていたのだけど、そのあとで、こういうお喋りの時間を楽しいものにするために、ちょっと、応答を一般的なものとはずらしてみるとか、意外なところを深堀してみるとか、そういった遊びがいるよね、それは、対話にルールを決めてそうするとかじゃなくて、運営側が、意識して実際にやって見せることでその場の雰囲気を変えていく方がいいね。なんていう話をしていた。

 

参加者の心を耕して、やわらかくしていくようなイメージ。

たぶん、変に掘り過ぎたら、抵抗されて、堅くなってしまうんだろうけど、そこのさじ加減とかも大事だ。

 

 

仕事などが忙しい状況だとなかなか、余裕のある、遊びのある会話の機会って持てないことも多くて、だからこそ、ときどきそういうことを意識して人と関わってみると、自分の心も耕されるのかなーなんてことを思った。

 

ちょっと、残しておきたかったので、こちらに投稿。

 

最近またnoteやブログの更新頻度が下がってるなー。と思い、

noteの方も見返していたら、フォロワー数が333人のぞろ目になっていた。

ちょっと嬉しい。