書きながら考えたこと。

のんびり、マイペースで生きる。

読書が持つ癒しの力。ーTEDtalk"The healing power of reading" 全訳

リテラシーという言葉がしばらくの間、自分の頭に繰り返し登場するキーワードになっていました。

今は便利な時代で、技術やサービスに頼れば簡単に翻訳できてしまうけれど、自分でぱっと理解できるほうが情報にアクセスしようという気になりやすいと思って、英語を勉強していたときに出会ったのがこのTED Talkの話でした。

涙が出るほど心を打たれ、多くの人に聞いてもらいたいと思ったけど日本語訳がまだなかったので、スクリプトを訳してみました。

本が好きな人に読んでほしい。できれば聞いてほしい話です。

 

www.ted.com

(リンク先のTranscriptを訳しました)

 

 

00:12
読書がどのように私たちの人生を変えることができるかということと、その限界について今日は話したいと思います。読書がどうやって共有可能な世界、つまり強い人間関係を与えてくれるのかについて。しかし一方で、その関係はいつも不完全で、読書は、結局のところ孤独で、本を読んでいるそのひと固有の取り組みだということについても話します。


00:39
私の人生を変えた作家は、アフリカ系アメリカ人の偉大な小説家、James Baldwinでした。私が西部ミシガンで育った1980年代、社会変革に関心のあるアジア系アメリカ人はあまり多くはいませんでした。だから私は、その穴を埋めるために、つまり人種的な意識を持つために、James Baldwinに目を向けました。けれどおそらく、自分がアフリカ系アメリカ人じゃないとわかっていたから、私は彼の言葉に、挑まれ、非難されているようにも感じました。特にこの言葉に。「まったく適切な態度をとるけれど、信念が全くない自由主義者がいる。困難な状況にあって彼らになんとかしてほしいというときに、なぜか彼らはそこにいない。」なぜか、彼らはそこにいない。この言葉を私は、文字通りに受け取りました。私は、自分の身をどこにおくべきなのか。

 

01:36
アメリカ国内でもっとも貧しい地域のひとつ、ミシシッピデルタに私は行きました。ミシシッピデルタは力強い歴史によって方向付けられた場所です。1960年代、アフリカ系アメリカ人は命がけで、教育や、投票権のために戦いました。私はそこで、若いティーンエイジャーが卒業して大学へ行くことをサポートして、その変革の一部を担いたかった。私がミシシッピデルタに行ったとき、そこはまだ貧しく、分断されていて、さらに大きな変化を必要としている場所だったのです。

 

02:10
私の赴任先の学校には、図書室がなく、進路相談員もいないかわりに、警察官がいました。教員の半分は臨時職員で、生徒たちが喧嘩をすると、学校側は地元の郡刑務所に彼らを送ろうとしました。

 

02:32
そこが私がパトリックと出会った学校です。彼は15歳で、2回留年していたので8年生でした。物静かで、内省的で、いつも深く物事を考えているようでした。ほかの人たちが喧嘩するのを見るのが嫌いで、2人の女子が喧嘩しているところに割って入り、彼自身が殴り倒されたところを見たこともあります。

パトリックにはひとつだけ問題がありました。学校に行こうとしなかったことです。喧嘩ばかり起きるし先生はやめていくから、学校はときどき憂鬱すぎていきたくなくなるんだと、彼は言いました。そしてパトリックのお母さんは、2つの仕事を掛け持ちしていて彼を学校に行かせるだけの気力がなかったのです。そこで私は、彼を学校につれてくることを自分の仕事にしました。私は正気を失っていて、22歳で、しかも熱心で楽観的だったので、私の戦略はただ彼の家に現れて、「ねえ、学校に来ない?」と聞くだけでした。この戦略はなんとうまくいきました。パトリックは毎日学校に来始め、クラスで活躍し始めました。彼は詩を書き、本を読んでいました。毎日学校に来ていたのです。

 

03:43
パトリックとのかかわり方がわかったのとだいたい同じ頃に、私はハーバードのロースクールに入りました。私は再び、自分の身をどこにおくべきかという疑問に直面していたのです。心のなかで、ミシシッピデルタは、お金持ちや、チャンスに恵まれた人たちは離れていってしまう場所だと思っていました。ここにとどまっている人は出て行くチャンスのない人だと。私は、離れていく人にはなりたくなかった。ここに残る人でありたかった。だけど一方で、私は孤独で、疲れてしまっていました。そして、名高い法学士を持てばもっと大きな変革を起こせるからと、自分自身を納得させたのです。私は、ミシシッピデルタを離れました。

 

04:34
3年後、まもなくロースクールを卒業しようとしていたときに、友人から電話があり、パトリックが喧嘩をして、人を殺したという話を聞きました。とてもショックでした。一方ではそのことを信じられず、けれどもう一方では、それが本当だとわかっていました。すぐにパトリックに会いにいきました。刑務所を訪れたのです。彼は、その話が本当だと言いました。彼は人を殺していた。そしてそのことについてそれ以上は話したがりませんでした。私は学校と何が起きたのか尋ね、彼は、私が学校を去った翌年に、退学したと言いました。それから他のことを話したがりました。うつむき、生まれたばかりの娘がいるのだと言ったのです。パトリックは娘につらい思いをさせたと感じていました。それだけでした。私たちの会話はあわただしく、ぎこちないものでした。

 

05:35
刑務所の外に出たとき、私の心のなかの声が、「戻りなさい、今戻らないと、もう二度と戻らないだろうから」とつぶやきました。私はロースクールを卒業してから、パトリックに会いに戻りました。彼の訴訟事件で何か助けになれないか、たしかめに戻ったのです。そして二回目に彼に会ったそのとき、いい考えが思い浮かびました。「ねえパトリック、娘さんに手紙を書いてみない?そうしたら彼女のことを思い続けられるよ?」そう言って私は彼にペンと紙を手渡し、彼は手紙を書き始めました。

 

06:18
けれど彼が書き終えて私に返した紙を見て、私はショックを受けました。彼の手書きの文字が読めなかったのです。手紙には簡単なスペルミスがいくつかありました。教師として生徒がごく短期間で劇的に力を伸ばすことを知っていたけれど、急激に力が落ちることがあるとは考えもしなかったと、私は内心思いました。それ以上に私の心を痛めたのは、彼が娘に宛てて書いたことの意味がわかったときでした。「失敗をしてしまってごめん。君のそばにいられないことを、申し訳なく思う。」それが、パトリックが娘に言わなければならないと感じていたことのすべてでした。私はどうすれば彼に、他に娘に向けて言うことがあると思ってもらえるか、彼の中に、申し訳なく思わなくてもいいような良い部分もあるのだと思ってもらえるのかを、自分に問いました。娘と分かち合う価値のあるものを、彼が自分のなかに持っていると感じてほしかったのです。

 

07:17
それから7ヶ月間、毎日私はパトリックの元を訪れて本を貸しました。私のトートバックは小さな図書館になりました。Walt WhitmanやC.S. Lewisの本、木々や鳥のガイドブックなどを持っていきました。彼が一番気に入るようになった本、辞書も持って行きました。いつの日にか、私たちは何時間も静かに座って、それぞれ本を読んでいました。ほかの日には、一緒に詩を読みました。

 

07:55
私たちは俳句を読むことから始めました。何百もの俳句、一見単純な、傑作の数々を読みました。「お気に入りの俳句を教えて」と私は彼によく尋ねました。それらのうちのいくつかはとてもおもしろいものでした。一茶が書いたこんな句もあります。
”Don't worry, spiders, I keep house casually”(「隅の蜘 案じな煤は とらぬぞよ」)"Napped half the day, no one punished me!"(「うたた寝の 叱り手もなき 寒さかな」)初雪の日の、こんな素敵な句もあります。"Deer licking first frost from each other's coats."(鹿たちが互いに体についた初霜を舐めあっている。(原句不明))俳句の見た目だけで、神秘的で素敵なものがあります。空白が、言葉そのものと同じくらい大事なのです。

 

08:43
妻が庭で働いている姿を見て、二人が残りの人生をともに過ごそうとしていることに気づいたあとに書かれた、W.S. Merwinの詩を読みました。「想像させて。行きたかった場所にもう一度来ていて、もうすぐ春になるところを。私たちは、これまで以上に歳をとることはないだろう。疲れきった悲しみはやわらいでいく。ゆっくりと朝日が漏れ出る、早朝の雲のように。」 パトリックに、好きな箇所を尋ねると、彼は答えました。”We will be no older than we ever were."(「私たちは、これまで以上に歳をとることはないだろう」)彼はこの一文が、時間が止まった場所、時間がもはや意味を持たない場所を連想させるのだと言いました。時間が永遠に続くような場所があるか尋ねると、「母親」と彼は言いました。誰かほかの人と一緒に詩を読むと、詩は意味が変わります。なぜならその詩が、その人に関わりのあるものになり、あなたにとって思い入れのあるものになるからです。

 

09:49
私たちはそれから、本当にたくさんの本を読みました。読み書きを独学し、身につけたリテラシーによって自由を手に入れたアメリカの元奴隷、Frederick Douglassの自叙伝も読みました。私はFrederick Douglassのことをヒーローだと思って育ち、この自叙伝を進歩と希望の話だと思っていました。しかしこの本を読んでパトリックは一種の恐怖に陥りました。「クリスマスの間、主人が奴隷たちに、彼らが自由を扱えないことを証明するためにジンを与えた。そうすれば奴隷たちが地面につまずくからだ。」とDouglassが書いた部分に、パトリックはこだわりました。パトリックは、彼もこれに似た状況だと言いました。刑務所には奴隷のように、自分自身の状況を考えたくない人がいる。あまりにつらすぎるからです。過去について考えることや、私たちがどれだけ長い道のりを歩まないといけないかを考えることが。

 

10:48
Frederick Douglassの自叙伝のなかで彼が好んだのは、この言葉でした。「なんでもいいから、この思いから救ってくれたらいいのに!私を苦しめたのは、自分の悲惨な状況をずっと考えてしまうことだった」パトリックは、書いて考え続けたDouglassが勇敢だと言いました。でもパトリックは、私には彼がどれだけDouglassと同じように見えていたかを少しも知りませんでした。読むことは彼にとって恐怖であったにもかかわらず、パトリックは読むことを続けたのです。彼は私が読み終えるよりも前に、彼はその本を読み終えました。灯りのない、コンクリートの階段で。

 

11:25
それから私たちは、私のお気に入りの本のひとつ、Marilynne Robinsonの"Gilead"を読みはじめました。父親から息子にあてた、長い手紙です。パトリックはこの文を好みました。「もし君が、人生で何をなしとげただろうかと思うことがあったら・・・君は私にとって神の恵みで、奇跡で、いや、奇跡以上のものなんだと伝えるために、この手紙を書いているんだよ。」

 

11:49
この文章がもつ、愛や憧れや声が、パトリックに、また書いてみたいと思わせました。そして彼は娘に向けた手紙のノートに、たくさんの言葉を書きました。それらの美しく、込み入った手紙のなかで、パトリックは娘とミシシッピ川をカヌーで下っているところを想像していました。ふたりは、すばらしく澄んだ水の流れる渓流を見つけるのです。私はパトリックは書いているところを見ながら頭のなかで思っていました。今は皆さんに問いかけます。どれだけの人が、自分が悲しませてしまったと思う人に手紙を書くでしょう。悲しませてしまった人たちのことを、考えないようにするほうがずっと楽です。でもパトリックは毎日、彼の頭のなかで娘に姿を見せ、面と向かって、娘に対する責任を果たしていたのです。一語一語、とても集中して手紙を書きながら。

 

12:54
私自身の人生のなかで。パトリックような危機にさらされてみたいと思いました。なぜなら危機に陥ったときにこそ、その人の心の強さが試されるから。
一歩引いて、不愉快な質問をさせてください。このパトリックの物語のなかで、物語を話す私は何者なのでしょう。この苦しみのなかにいるのはパトリックで、私は自分の人生で一度も一日中空腹だったことはありません。私は何度もこのことを自分に問いましたが、私が言いたいのは、この話がパトリックだけの話ではないということです。これは、私たちについての話。私たちの不平等の話で、パトリックや、その親やその祖父母が締め出された、豊かな世界の物語なのです。この話の中で、私は豊かな世界の代表です。この話をするときに、私は自分自身のことを隠したくなかった。私が持っている力を隠したくなかったです。

 

13:57
この話のなかで、私はその力をさらけ出して、どのように私たちの距離を縮めることができるか問いたかったのです。読書はその距離を縮めるひとつの方法です。読書によって私たちは静かな世界で互いに分かち合うことができました。平等に分かち合うことができたのです。

 

14:20
おそらく今みなさんは、それからパトリックに何が起きたか気になっていると思います。読書は彼の人生を救ったのかどうか。答えはYESであり、NOでもあります。パトリックが刑務所を出たあとの彼の旅路は、耐え難いものでした。雇い主は前科を理由にパトリックを追い返し、彼の親友でもあった母親は、心臓病と糖尿病で43歳で亡くなりました。彼はホームレスになり、飢えに苦しんだこともあります。

 

14:50
読書の効果について人は多くのことを言いますが、それは私には大げさに感じます。読み書きができるようになっても、彼は差別を受け続けたし、読み書きができるからと言って、母親が死ぬのを止められなかったのです。じゃあ、読書に何ができるのか。少しの答えを言って、今日は終わりにします。

 

15:12
読書は彼の心の中を、神秘や、想像や、美しさで満たしました。読書を通して彼は喜びを与えてくれるイメージを手に入れました。山や、海や、鹿や、霜・・・。自由を味わえる言葉や、自然の世界。読書は彼に、一度失った言葉を与えました。Derek Walcottの詩のなかのこの文が、どれだけ尊いものか。パトリックはこの詩を覚えました。「私が経験した日々、失った日々は、腕に抱いた娘たちのように、私の心を大きく成長させてくれた。」

 

16:00
読書は彼に、勇気を持つことを教えました。 パトリックがFrederick Douglassの本を、苦しくても読み続けていたことを思い出してください。自分の状況を意識することがつらくても、彼は意識し続けていました。読むことは、考える方法のひとつです。考えないといけないから、読むことは難しいのです。パトリックは、考えないのではなく、考える方を選びました。そして最後に、読書は彼に娘と話す言葉を与えました。彼は本を読むことで、自分自身でも書いてみたいと思ったのです。読むことと書くことの結びつきはとても強く、私たちは文章を読み始めるときに、言葉を見つけ始めます。そうして彼は、娘とふたりで一緒にいるところを想像するための言葉を見つけ、どれだけ彼女を愛しているか、伝える言葉を見つけたのです。

 

16:58
読書は、私たちの互いの関係も変えました。物事の考え方の違いを越えて、親密になる機会をくれたのです。そして読書は私たちの不平等な関係を取り払って、一瞬の平等をくれました。読者としてあなたが誰かと出会うとき、あなたはその人との初めての、新しい、新鮮な出会いをします。その人がどの部分を好むかを先に知る方法はなく、どのような記憶や、ほかの人には見せない悲しみをその人が抱えているのかもわかりません。そしてあなたは、その人の内側の一番プライベートな部分に直面します。そして考え始めるのです。「私の内面は何によってできてきたのだろう。ほかの人と分かち合う価値のあるどんなものを、私は持っているのだろう」と。

 

17:45
パトリックが娘に宛てて書いた手紙のなかの、私のお気に入りの文章で終わりたいと思います。「川はところどころに影がかかっているけれど、光が木々の割れ目から射し込んでいる。・・・枝にはたくさんの桑の実がなっている。君はそれをつかもうとして、腕を伸ばす。」この愛おしい手紙に彼はこう書いています。「目を閉じて、言葉の声を聞いてごらん。僕はこの詩を心で覚えている。君にもそうしてほしい。」

 

18:21
皆さん、ありがとうございました。

 

 

岡真理さんの『ガザに地下鉄が走る日』(2018)(みすず書房)を読み終えて思うこと

allreviews.jp

 

自分たちが暮らす地域の土地を、お金持ちの民族が少しずつ買い占めていく。

その民族の人たちが買った土地で自分たちは働くことができず、その土地を買い戻すこともできない。

 

いずれ、自分の家も破壊され、抵抗すれば圧倒的な軍事力で殺される。

いつの間にか、多くの人が難民となって祖国を離れ、残った者は狭い狭い地域に隔離され、高い壁で覆われてその民族の兵士やドローンに常に監視される。

 

度重なる空爆発電所や空港、学校や病院も破壊され、安心して子どもを生むこともできなくなる。自分たちの土地だったはずなのに、水路も失い、飲料水は相手の国から買わないといけなくなった。

 

失業率は40%を超え、自殺が禁じられている宗教を信じていたはずの若者が、未来に希望を持てず自殺していく・・・

 

 

絶望的な面だけを切り取って伝えるのはよくないかもしれない。

この本にも、希望が描かれていて、イスラエルパレスチナに平和が訪れることを著者も願っている。

 

ただ、書かずにはいられなかった。

「テロ」としてイスラム教徒側の暴力が報道されるにも関わらず日々圧倒的な軍事力でパレスチナ人を殺害しているイスラエル側の空爆はほとんど報道されない状況が、あまりにもおかしいと思い、この本を少しでも多くの人に読んでほしいと思って、こうしてブログを書いている。

 

 

イスラエルという国が、今後どうなっていくのかと思う。

今、国内にいるパレスチナ人を政治家たちは軽視し、一方でユダヤ人がイスラエルに来ることを歓迎している。

これほどまでに、民族というものにこだわった国はほかにあっただろうか。と思う。

歴史を見れば、いくらでもあるのかもしれない。ナチスドイツもそうだし、アパルトヘイト時の南アフリカなんかもそうだろう。

 

でも、この疑問に対して真っ先に思い浮かんだのは、日本だった。

難民の受け入れを拒み、移民の生活を軽視し、隣国の朝鮮の人たちの差別がいまだに続いている。沖縄県民のことさえ、自分たちと違うと考えて基地問題を平気で押し付けている。

 

きちんと勉強したことがなくてまだわからないけど、北海道入植時のアイヌ民族への迫害はどうだっただろうか。

 

日本人にも、イスラエルの人たちと同じような考え方は、過去にも今も、少なからずあるんだろう。難民の受け入れを厳しく制限し、移民を差別している間は、日本にイスラエルを責める権利はないのかもしれない。

 

 

一方で、ベルリンの壁のように、いつかガザの壁も壊される日が来るのだと思う。

それを国際世論が後押しすること、日本人も、不買運動をするノルウェー人のように、その一員になれる日が来ることを願っている。

 

そして、ガザに地下鉄が走る日が本当に訪れたら、どんなに嬉しいか。

自分が生きているうちに、その日が来てほしい。

3日目

6月1日

 

ソファは快適でよく眠れ、起きた頃にはずいぶん疲れが取れてすっきりしていた。もう9時前だ。昨夜から、デンマークの西部、Jylland(ユラン)半島のVejen(バイエン)という街にある友達の家に泊めてもらっていた。

 

起きた頃にはその友達はもう、朝食の準備をしてくれていた。車椅子で自宅のキッチンとリビングを器用に往復しながら、移動式の台を片手で動かしてパンやヨーグルトやシリアル、ジャムやハチミツなどをテーブルに運んでいる。

 

2年前一緒に留学していた学校のビュッフェ形式の朝食を見事に再現してくれていて、その心配りに朝から感動した。遅くに起きた僕は少しだけ運ぶのを手伝ったあと、懐かしい味で幸せになりながら、昨日の話の続きをする。

 

僕はろくに英語を話せないのだけれど、彼女は2年前に僕が話したことをはっきりと覚えていて、僕が興味を持ちそうな話をたくさんしてくれた。彼女との会話で僕はほぼ聞き手に回っているから、僕からの情報量が少なくて覚えやすかったのかもしれないと後で気づく。

 

デンマークのテレビで以前、日本人の自殺の多さについて放送されてらしく、そのことに心を痛めてくれていた。僕の周りでも何人か自殺をしているけれど、その原因は複雑だし、簡単に解釈できるものでも、すべきものでもないと思う。

ただ、日本ももっと生きやすい社会になればいいと思って、幸福度が高いと言われるデンマークを訪れ、2年前にこの国の社会からたくさんのことを学び、帰国してからもインターネットや本で学び続けてきた。

 

「職場で働きすぎないこと」これはデンマーク社会が幸せと言われる、ひとつの大事な要素だと思っている。4時には仕事を終えて家に帰るデンマーク人は、友人や家族や自分自身のためにたくさんの時間を使っているし、それができるよう、国民は団結して労働者の権利を勝ち取ってきた。

 

けれど最近のデンマークでは障害のある人への働くことのプレッシャーが高まっているようだ。障害のある人にも働かせることを通して、社会福祉の予算を削減することをデンマーク政府は目指してきた。重度の知的障害の人たちにも職場へ来るように促す。何もせずに20分だけ職場に来て帰る人もいてばかげていると彼女は話していた。

 

そういった政府の方針に対する国民の評価が、4日後、選挙で示される。

 

その友達はそれでも、働くことを選ばなかった。リハビリや、家での生活を日々こなすことに力を注ぎたいと言っていた。自分の生活は自分で決めるのが当たり前だと、言葉にしなくても、彼女の生き方から伝わってくる。

 

おいしくて長いブランチをいただいて、荷物をまとめて部屋を出る。

少し用があったので近所の図書館に連れて行ってもらってから、長距離バスの停留所まで送ってもらう。彼女は自治体から支給されたという、足の不自由な人用のスクーターで街に出ていたのだけど、図書館の中へもそのまま入っていって少し驚いた。”当たり前”が少しずつ日本とは違う。

 

バス停の近くのホームセンターでデンマークで使える携帯の充電器を買ってから、彼女と別れる。足が不自由だからなかなか日本には来にくいだろうと思って、今回の旅行で彼女に会おうとしたのだけれど、京都か奈良にヘルパーと遊びに来るといっていたから、そう遠くないうちにまた会えそうだ。

 

バス停のそばにあるマック(その友達はMacD(マクディー)と読んでいた)で400円弱のカフェオレを買って休憩してから、今度は時間通りに来てくれたバスに乗ってコペンハーゲンへ向かう。3時間のバスの中で彼女との話を振り返りながら少しずつ頭のなかを日本語モードに戻していくと同時に、あまり英語が話せずに傷ついた自尊心と、英会話で疲れた頭を回復していく。英語が話せなくても楽しく生きている人はたくさんいる。

 

コペンハーゲンには5時半ごろに着いた。おとといと同じホステルでチェックインを済ませ、早めにシャワーを浴びる。まだまだ外は明るいけれど、今日は簡単な夕食をとりホステルで洗濯をして、飲み物だけ買って早めに休むことにする。

 

明日は朝9時の便でフィンランドへ行くから、6時台にはここを出ないといけない。

 

 

2日目

5月31日

 

朝。予定していたより早く、7時ごろに目覚める。

 荷物をまとめて部屋を出て、昨夜ホステルの近くの格安スーパー、Nettoで買っておいたアボカドとハムとクロワッサンを1階の休憩スペースで食べる。デンマークは物価が高く、格安スーパーと言えど日本と比較すれば高い食品がほとんどなんだけど、なぜかこのスーパーのアボカドは小ぶりではあるもののネットに5つ入って20DKK、日本円で約350円だから日本で買うよりも安い。

 

アボカドをハムと一緒に味わったあと、ホステル内のコインランドリーを探す。

 

今回僕は、普段使いのリュックひとつで旅に出た。「フィンランドの森を歩く」という目的があるのに荷物を増やしたくはなかったし、普段使いのリュックで海外に行くことで自分のなかでの海外旅行のハードルを下げたいという思いもあった。

 

だから衣類は3日分しか持ってきていない。一週間の旅の途中で、洗濯をする必要がある。

 

今後も泊まる予定のこのホステルの地下にランドリールームを見つけ、安心してチェックアウトする。

 

今回の目的地のひとつ、デンマーク王立図書館はホステルからほど近い。建物まですぐに着いたが、まだ開館まで時間があった。小雨が降っているが気にせず、朝のコペンハーゲンを散歩することにする。

 

ホステルのwifiで事前に周辺の地図を読み込んでおいたgooglemapを確認する。

2年前の刺激的な3ヶ月の留学期間のなかで僕が最も強い興奮を覚えたのは、日本を出る前から気になっていた建物を訪れたときだった。そのコペンハーゲン大学学生寮、The Tietgen Residence Hallまで徒歩圏内のようだ。時間があるし、また行ってみよう。

コペンハーゲン中央駅から少し離れたその建物へは、たしかメトロを利用してしか行ったことがなかった。

点と点の記憶でしかなかった空間が、歩くことで繋がっていく。道中、5日後の国政選挙に出馬した候補者のたちの顔写真のポスターが大量に貼られているのを目にする。

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 景色が見覚えのあるものになってからは、地図を見ず、記憶を頼りに目的地まで歩いてみることにする。

しばらく歩いて角を曲がると予想外の方向に現れた。

それぞれの部屋が凹凸を作っているユニークなドーナツ型の巨大な立体。2年前ここへ来たときは偶然設立10周年祭が開催されていて、ここに住むコペンハーゲン大学の学生たちの奏でる音楽やちょっとしたイベントを見たりしながら、3時間くらい中庭でビール片手にぼーっとしていたんだった。

 

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刺激的な形なのに木の色が落ち着くと思って眺めていたけれど、落ち着くのはまるで自然の木々のように、外壁に様々なブラウンが使われているからだと気づく。何度見ても好きな建物だ。

 

再会できたことに満足し、来た方向に戻る。

 

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デンマーク王立図書館、ブラックダイヤモンドに入る。着いたころには雨も降り止んでいた。開館して間もないからか人は少ない。

エントランスを入った目の前にインフォメーションとデンマーク関係の書籍やお土産売り場のコーナーがあり、右手奥にはおしゃれなカフェもある。2018年の報道写真展が地下でやっていて、10時にオープンするらしい。

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時間が来たら写真展に行くことに決めて、それまでの時間館内を見て回ることにする。

建物が横半分に分かれ、真ん中が吹き抜けになっている。大きな窓からはニューハウンの入り口につながる海が見える。エスカレーターが動いていないのは節約のためなんだろうか。

 

17世紀以降のデンマークの書物をすべて保管しているというこの建物は、古書のあるコーナーとそれ以外で建物の内観ががらっと変わっていておもしろい。現代的な建物から奥へ進むと、過去の図書館にタイムスリップしたような感覚になる。

全体的に英語の書物が少なくて今の自分には読めないものばかりだったのが残念だった。

 

2階のパソコンで調べ物をしていると、おそらくイスラム系の女性が「プリンターを使いたいけれどうまくいかない」と、年配の男性職員に英語で問いかけている。ゆっくり丁寧に、わかりやすい英語で答えるおじいちゃん職員の親切さが見ていて嬉しい。

 

チケットを買って報道写真展を見る。難民の子どもの施設の、無機質な環境を取り上げた写真に目が留まる。デンマークの難民に対する政策は今後も厳しくなっていくのだろうか。

 

難民の受け入れをほとんどしていない国に住む僕が言えることではないけれど、留学中に学校でエリトリアやシリア出身の難民の人たちとも関わった身として、そしてデンマークがこれまでたくさんの移民や難民を受け入れてきて、今でも教会などで移民や難民へのたくさんの支援活動を行う人たちがいることを知っているのもあって、近年のデンマーク政府の難民への厳しい政策には複雑な思いを持つ。

 

写真展を見終え、1階のテーブルで次の目的地を考えてから図書館を出る。 

カフェに行きたい気分だった。スマホで調べて出てきた、別の図書館の隣にあるというDemocratic coffeeというところが気になったが、駅とは違う方向だったのでやめておく。13時半の駅発のバスで、ユラン半島のVejenというところに向かうつもりだった。

 

駅に行く途中に、Danmark Architecuture Centerがあった。まだ時間に余裕があったので入ってみる。北欧建築に興味があるから行こうと思っていたんだけど、さっきまで図書館に没頭しすぎてそのことを忘れていた。

 

地下へ続く階段を下りる。入口が地下にある変わった構造だ。特に入場料はないようで、そのまま館内の階段を上っていくと、早速刺激的な展示に出会った。

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oprør!

デンマーク語で反乱! という意味だ。

「いつの時代も、若者は社会規範と戦っている。平等やグリーンエネルギー、多様性や新しい生き方といったテーマでの闘争を導いている」と書かれて、1965年代以降の、反戦運動や差別への抵抗、アラブの春や銃規制運動、最近では環境問題にもっと真剣に取り組むべきだと訴えるFriday For Futureの運動も、時代順に取り上げている。

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若者の力が社会を変えてきたことをこんな風にまとめた表現を僕はこれまで見たことがなく、圧倒された。

 

クリスチャニアに代表されるように、社会規範に抗う若者の力というのが、この国ではとても強いように感じる。抗うだけではない。議会にもたくさんの若者がいるから、若者が実際に社会を作っている感覚が当たり前にある。

日本でも若手企業家とか、若者の活躍はすごいけれど、年齢による上下関係というものが存在し続ける限り、この国ほど若者が声を大きく上げることはできないんじゃないかとも思ってしまう。社会がどんどん変わっていくこの時代に、若い人たちの敏感な感受性や未来への強い関心が、日本でも大事にされていってほしい。

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その隣の部屋でグリーンエネルギーの特集などを見た後、スーパーで買った昼食を駅のベンチで食べる。

 

中央駅の大きな広告には、みすぼらしい格好の少年が写っている。"and this is Danmark”という意味のデンマーク語の大きな見出しの下には、デンマークに64500人もの、貧困状態の子供がいることが書かれている。デンマークには約65万人の子どもがいるらしいから、割合にして10%。福祉国家なだけあって日本よりも割合は低いけれど、こうやって負の側面を隠さずに多くの人に知ってもらうことで改善していこうとするのが、この国らしいと思う。

 

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バス停に着くが、時間になってもバスが来ず、結局1時間ほど待たされる。乗れるのかどうかもわからず冷や冷やして何度も係員に聞いたが、無事乗れてほっとする。

 

昨日の長時間のフライトや、外国で時間を過ごすことに疲れたのか、バスの中で眠る。

 

3時間ほどで、目的地のVejenに到着する。停留所にマクドやガソリンスタンドがあることは事前に教えてもらっていた。

ここから40分ほど歩いたところに、2年前留学していたときに、よくデンマークのことを僕に教えてくれた人の家がある。

今日はその人の家で泊めてもらうことになっていた。

 

初めての町を歩く。その人の家を目的地に設定したgooglemapを頼りに、大通りをしばらく行く。ラウンドアバウトを2つくらい渡ってから右に曲がると、デンマークらしいレンガの家が並ぶ、落ち着いた住宅地に入った。

 

ricepaper rollを作ってもらうと聞いていたので、途中のスーパーで醤油を買っていく。僕はricepaper rollを手巻き寿司と勘違いしていた。

 

家についてベルを鳴らすと、車いすで玄関まで出てきてくれ、久しぶりに再会。2年前と雰囲気が変わっていなくて安心する。

 

荷物を置き、肩が悪くなって好きだった料理ができなくなった彼女の代わりに僕がricepaper rollを作ってから、ヘルパーに手伝ってもらったのか、事前に用意してくれていたオーブンで焼いたサーモンや他の料理と一緒にいただきながら、彼女の話を聞く。

 

悲しいことに、英語が2年前から全く上達していない僕は彼女の話をところどころ理解できなかったし、どんどん喋る彼女に途中で英語でコメントをはさむこともあまりできない。

その上すでに長時間の移動の疲れのために頭が疲弊していたけれど、グリーンランドの話やデンマークの障害のある人への最近の政府の施策、ヘルパーを使って日本に来ようと思っていることなど、興味深い話をたくさん聞かせてもらう。何よりも、冷蔵庫から食材をとったり皿を並べたりするのも簡単じゃない彼女がこうしてもてなしてくれるのは、本当にありがたいことだ。

 

久しぶりの再会だからできるだけゆっくり話をしたいと思って頑張って頭を働かせながら彼女の話す英語を聞いていたけれど、途中で限界がきた。明日の朝続きを話そうと伝え、シャワーを借りたあとソファーで休ませてもらう。

旅には休息が必要だ。明日はコペンハーゲンに戻ったらゆっくりしよう。

 

背もたれが外に開いてベッドにもなるソファは横になるとすごく気持ちよくて、すぐに寝てしまった。

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1日目

 

 

 

5月30日

 

6時に起きて、昨夜炊いておいたご飯にふりかけをかけて、簡単なおにぎりを作って持っていく。海外に行く前の最後の日本食は、質素なものがいい。

 

2年前デンマークに留学にいくときにパスポートの有効期限不足を理由に飛べず、更新してチケットを取り直して1週間後に飛ぶことになった苦い経験があったから、今回も何か不備があって飛べないんじゃないかと不安をかかえながら空港へ行く。

 

空港へ向かう電車のBGMは、最近はまっているエド・シーランのsupermarket flowers。

祖母が亡くなったあと、母親の目線で詩を書いたというこの曲は、育て親の祖母を亡くした僕の状況にかなりフィットする情景を歌っていて、何度聞いてもしんみりする。

 

祖母がなくなってからまだ2ヶ月くらいしか経っていないのに、なぜかもっと前のことのように感じてしまうなと思いながら、電車に揺られる。

 

関空について、チェックインを機械で行う。無事搭乗券をゲットできた。

 

日本円をユーロとデンマーククローナに両替する。北欧はクレジットですべて済ませられそうだけど、念のためというのと、現地の通貨を使う楽しみもある。

そう遠くない未来に、北欧の貨幣は日本円より先になくなっているかもしれない。

 

オランダ経由でデンマークへ行く。

KLMオランダ航空を使うのは今回が初めてだった。

機体とスチュワーデスの制服が青い。オランダ人も背の高い人が多い。

 

機内で映画を見る。3本見たうち、”THE HATE U GIVE”という現代のアメリカの黒人差別を描いた昨年の映画と、”Instant family”という、虐待などを受けた子どもの養子縁組を、シリアスな場面が多数ありつつも笑えるポイントも満載の、同じく2018年公開のアメリカのコメディ映画はおもしろかった。

 

後で調べたらTHE HATE U GIVEの主演女優のAmandla Stenbergは、デンマーク人の父とアメリカの母を持ち、人種差別だけでなくLGBTについても発信している活動家らしい。クライマックスの、すごく熱のこもった演技は泣きそうになった。

 

Instant familyで父親(foster father)を演じるマーク・ウォールバーグはtedの、ぬいぐるみじゃないほうの主人公のジョン・ベネット役を演じた人なんだけど、この映画の中でもそのキャラと雰囲気がそっくりで、オーラだけでちょっと笑えてしまう感じだった。

 

映画をいろいろ見ていたらわりとすぐに10時間のフライトが終った。

 

KLMの機内食はデザートやお菓子がおいしい。昼食などは、個人的には何度か使ったことのあるカタール航空の方が好みだったけれど、普通においしかった。

 

乗り継ぎ。オランダのSchiphol空港は窓拭きのおじさんが中にいるような大きな時計や、チューリップを前面に押し出した花屋さんがおもしろくてよかった。

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オランダからデンマークへの便でバレーボールのデンマーク代表の人たちと一緒になり、その背の高さに驚く。成人男性の平均身長が180センチのデンマーク人のなかでも高身長が揃っているわけだから、なかなかすごかった。220センチくらいありそうな人もいて、近くに並んでたら僕より頭2つ分くらい背が高いのがわかる。

 

オランダを発ち、1時間半ほどでコペンハーゲン空港へ到着する。

飛行機を降り、空港から電車のチケットを買うコーナーに出る。デンマーク国鉄DSBの赤い券売機が並ぶ光景が懐かしい。

たった2年ぶりなのに、留学していた期間は、日本へ戻ってから夢のような、日常と切り離された異世界のようにも思えていたからすでに懐かしく、ここに戻ってきて、デンマークという国にいることに現実感を持てたことが嬉しかった。

 

コペンハーゲン空港の鉄道駅の絵がクールだと思う。それぞれ海外によく行く大学からの仲間に、2年前と同じように、この駅の写真を撮って送った。この時期偶然、4人ともヨーロッパにいる。

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コペンハーゲン中央駅までDSBで移動し、予約しておいたホステルへ向かう。夜の8時ごろ。5月末のコペンハーゲンは8時でもまだ明るいけれど少し肌寒い。

 

駅前では20歳くらいの人たちが大声で騒いでいる。駅から南東に10分ほど歩いて、ホステルの建物に到着する。

 

久しぶりに使う片言の英語でチェックインし、部屋へ行く。10階くらいの建物の7階の、男女混合の6人一部屋のドミトリー。寝室とシャワールームにロッカーというシンプルな作りが、2年前留学していた学校の寮に似ていて、アルバニア人のルームメイトと一緒に住んでいた頃のことを思い出す。

 

旅の目的地のひとつの、デンマーク国立図書館the Black Diamond は今からでも歩いてすぐにいける距離だけど、長いフライトで疲れたし、今日はもう休んで、明日の楽しみにとっておこう。

 

シャワーを浴びてから、ロビー近くの休憩スペースで簡単な夕食を済ませ、部屋に戻って休む。

 

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0日目

5月29日

 

9連休が始まった。人より1か月遅いタイミングで休みをとった、自分だけのゴールデンウィークの初日。

明日から北欧へ行く。

 

洗濯をし、持っていく荷物を整理した後、航空券や宿のチケットを確認し、プリントアウトしたり、電車などを調べるために図書館で過ごす。

 

図書館に来たついでに、借りていた本を返し、新しく本を借りる。

知り合いがSNSで紹介していたお金に関する本と「新聞書評で紹介された本」のコーナーにあった、ガザに関する本。

図書館があれば、無限に学び、頭の中で旅をすることができる。いい図書館と、自分を実際にいろんな場所に運ぶだけの交通費と体さえあれば、それだけでかなり幸せに生きていけるような気がする。

 

お金に関する本を読みながらお金の管理のしかたや使い方について考える。

すぐに必要な額以外は日本円や現金以外の形で所持するほうが良さそうだと思う。(同世代の平均よりずっと少ないと思うけど、)貯金が増えれば増えるほど、自分にとって一定額の価値は下がってしまう。

旅ではお金を使うけれど、普段の生活では高級なものを楽しむより、安く食べれる牛丼屋やサイゼリヤのありがたみを、これから先も感じ続けながら生きたい。

 

昨日までに終えれなかった仕事(といっても簡単なもの)を図書館のカフェで済ませたあと、銭湯へ行くことにする。400円台でいける格安スーパー銭湯だ。 

 

給料日からあまり経っておらず、財布に余裕があるうちに、

銭湯の回数券を買っておいた。

これで給料日前も躊躇なく銭湯にいける。 

 

平日の午後4時ごろの、人の少ない銭湯は優雅だった。休日には混む場所を、すいている平日にゆったりと楽しめるのは、休みがランダムな仕事をしている人間の特権だと思う。

 

銭湯を満喫した後、王将でご飯を食べ、再び図書館に寄る。

知的欲求をひたすら満たしたい気分だった。図書館で図書館についての本を読むというマニアックな楽しみ方をして、閉館時間まで過ごしてから帰る。

 

明日は早起きして、空港へ行く。

 

図書館に育てられたの私だ

 

本好きの知り合いがSNSでこの前、図書館法が制定されたのが4月30日で、この日が図書館記念日なのだと言っていた。

 

リンクをたどりながらいろいろ読んでいくと、僕は全然知らなかったかすっかり忘れてしまっているんだけど、2016年に図書館司書の待遇向上を求める動きがあり、「図書館に育てられたの私だ」というハッシュタグで声を上げる人たちがいたことを知った。

 

それから数年たった今、図書館司書の待遇はどうなってるのかと思って調べてみたら、非正規職員の給料を逆に減らそうとする自治体もあるようでびっくりした。

 

www.huffingtonpost.jp

 

honne.biz

 

 

www.nishinippon.co.jp

 

 

 

「図書館に育てられた」

とまで思ったことは僕はこれまでなかったけど、図書館みたいに安心できる場所は、そう多くないとも思う。

 

小学生の頃、家が荒れていて家にいるのが危険だった時期は、よく地域の図書館に非難していた。場所はどこでも良かったんだろうけど、好きな本や漫画のある図書館で、本に没頭するのは、きっと現実逃避の意味もあって、その当時の自分の心の支えになっていた気がする。

 

高校3年生の頃、一度だけ家出をしたことがあった。家出といっても大したものではなく、家でも学校でも勉強のことばかり言われるのが嫌になったから一日学校をサボってその日は家にも戻らず、自転車で遠くまで行くことにしたんだった。

 

夜は結局、当時別居していた父親の家で泊めてもらったから、あれは家出だったのか家入だったのかもよくわからないんだけど、その日の昼間、小学生の頃に住んでいた地域の図書館を数年ぶりに訪れて、その地域に自分がいた頃から置いてあったのに、なぜか読んでいなかったドラゴンボールの漫画を、ひたすら読んで過ごしていた。

 

その図書館にいると、小学校の頃の、喧嘩ばっかりしていた家族を思い出してつらくなったりもしたけど、図書館はやっぱり温かい場所だった。

 

やんちゃそうな人はほとんどいないし、喧嘩がおきそうな気配もない。みんな自分の関心のある本や雑誌を読んだり、調べ物や勉強をすることに集中している。

 

すごく平和な時間。

 

 

今僕が良く使っている図書館は、わりと新しくてとても大きいから、蔵書の数だけでも飽きが来ないくらい揃っていて、使うようになって1年以上たっても、初めていくコーナーに並ぶ背表紙の数々に興奮することもある。その上、いろんなテーマで特集が組まれておもしろそうな本が階段を上がってすぐのところにずらっと並べられていたりするから、本好きの僕にとっては遊園地よりも楽しかったりするんだけど、普通の図書館は、ちょっと薄暗くて、少し古びた本が多かったりして、閲覧席の数が少なくて、人が多い時間帯には座って読める場所がなかったりもするんだろう。

ずっと通っていると、ちょっと窮屈で、つまらなく感じてしまうこともある。

 

それでも、幅広いジャンルの本が好きなだけ読める場所があるのは、本好きにはたまらない。お金を払わなくても好きなだけ本が読めるってすごいことだし、子どもの頃の自分を図書館に連れて行ってくれた父親には感謝している。

 

自分もいずれ家族ができたら子どもを図書館に連れて行きたいし、

いつかなんらかの形で、図書館を育てる側にも回れたらいいなと思う。