気ままに暮らすためのブログ

大学卒業後デンマークへ。帰ってからは奈良で働きます。簡単じゃないけど、日本でもできるだけマイペースに気楽に生きたいと思っています。考えたことを時々、まとめてみます。

携帯、スマホを契約しない生活を4ヶ月続けてみた

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最近『365日のシンプルライフ』という、フィンランドの20代の男性が家にあるものをすべて倉庫に預け、必要なものを毎日ひとつずつ取り戻していくという映画を見た。


そのなかで彼は、携帯、スマホをプライベートでは使わない生活をしているんだけど、
自分もそれに似た生活を4ヶ月以上続けているので、ちょっとそのことについて書いてみたい。


僕は今スマホを持っていて、それを使って今このブログを書いている(パソコンは寿命が来たようでデスクトップが荒れるので)。

だけど今年の4月からスマホを解約して、今は本体だけ持っていて契約はしていない状態だ。
だから電話番号はない。


その状態でデンマークに行き、6月末に日本に帰ってからも契約せずにいる。



契約していないスマホを持つメリット

1契約しなくても使える

契約していないけれど以前使っていたスマホを普通に使っている。ネット環境付きのアパート(それでも月4万)を借りているので家ではWi-Fiに接続してGmailFacebookTwitterなど、あらゆるアプリを使えるし、外出先でも駅やバス停、セブンイレブンなどWi-Fiのあるところでは人と連絡をとったり調べものをするのにも使える。

Googleマップはあらかじめ調べておけば、Wi-Fiないところでも自分のいる地点は表示してくれる(機種によるかも)ので、これも不自由なく使える。


僕のスマホはファーウェイの安い機種だがカメラの画質がなかなかいいので、カメラもよく使う。


2ちょっとした非日常感

とはいっても電話は使えないので、電話はよく家の近くの公衆電話を使う。中学のときに携帯を持って以来、なかなか使わなかったので少しテンションが上がる。

家の近くの公衆電話は使う人が少ないために最初蜘蛛の巣が張っていた。

あと、住所がわかっているけれどメールアドレスを知らない人には、葉書を出すこともある。丁寧に時間を使って書くのもなかなか楽しい。


3電車やバスでスマホを触る時間が減る

たぶんこれが一番のメリット。
ネットに繋がってないのでSNSなどにアクセスできない。だから窓から外を眺めたり、本を読んだり、考え事をしたり、ぼーっとしたりする。ぼーっとする時間も案外楽しい。


デメリット

1仕事を始めたら厳しい?
今僕はバイト生活で、これでも問題ないんだけど、正社員になったらたぶんいつでも電話を受けられるようにしないとダメだろう。
僕はこれから月2000円の携帯を契約するつもりだ。スマホは新しく契約しなくてもいいと思っている。



2家にWi-Fiがないときつい
本来Wi-Fiの契約にもそもそもお金がいるので、僕のように元々ネット環境のある家じゃないと、Wi-Fi契約料金がかかってスマホ料金を上回ることもあるだろう。


3相手からの電話を受けられない
ガス会社やクレジットカード会社から、緊急連絡先の親元に電話がかかってくることがあった。そういうときに親や会社に迷惑がかかってしまっているというのはある。

幸いうちの親はそういうのには寛容だから軽く注意されるだけだが、「いちいちこっちにかかって来るのめんどくさいから早く契約しろ」と言われたら従うしかない。


ざっとこんな感じです。


個人的には全然困ることはないし、月々の支払いなしで済むのでできれば携帯もスマホも契約しない生活を続けたいとさえ思っています。

デンマークから日本に帰って感じた窮屈さと、留学して楽になったこと。

 

4月から6月末までデンマークのフォルケホイスコーレ(略称フォルケ。全寮制の大人のための学校。気になる人は下の記事をどうぞ。)に留学して、戻ってきてから1か月と少しがたった。

epmk.net

 

 

戻ってきてからしばらくは留学で学んだことの整理や仕事探しに時間を使ったり、今後の人生のことを考えたり、いろんな人と会って話をしたりしていた。

 

最近就職が決まりつつあって、その職場でのアルバイトがはじまってからまた気分が変わってきて、少し心に留めたいことがあるので書いてみる。

 

先にざっくり内容を言うと、

デンマークから日本へ帰った今、しんどさを感じてるけど、留学で感じたことを日本でのこれからの人生にも生かしていきたいなあと思っている。」そんな話です。

 

なんかつまらなさそうやな…

 

まあ気取らずに適当に書いてみます笑

 

デンマークの雰囲気

 

 

デンマークは本当に人に対して寛容でおおらかな人が多かった。(人に対してって書いたのは自分にも他人にもおおらかって意味です。制度や環境に不満があるとすぐに意見を出して変えていこうとする)

 

以前南欧を旅行していたときは、電車でぶつかってしまって舌打ちされたり、出航ギリギリに港について怒られたりしたこともあったけど、そういうことがデンマークでは2か月半の滞在中一度もなかった。

 

留学生であり外国人の僕に対して寛容なだけじゃなく、デンマーク人同士でも同じだ。

例えば電車に大型犬を連れて乗ってきたデンマーク人の若い女性に対して周りに文句を言っている人はいなかった。そもそも皆結構自由で、博物館の庭に生えていたアスパラガスを、フォルケの先生が勝手にちぎって食べていた。

 

「『ここではこれができる』というのはあるけど、『それはしていはいけない』というルールはこの国にはないんだよ」僕にも食べるように勧めながら、その先生は言っていた。

 

やたらと長く太いそのアスパラガスは生で食べても全然おいしくなかった。

 

学校でパーティーがあれば体育館や外で酒を大量に飲んで散らかし、こぼしまくる。でもあとで掃除さえすれば何も問題ない。そういう感覚だ。

 

 

デンマークの人口密度は日本の3分の1程度。街にいても人は多すぎないし、労働時間を厳しく国が規制していて国民全体が働きすぎることなくのんびり余暇を過ごしているから、そこにいれば自然とリラックスできる。

 

そんな国で約2か月半を過ごした。

 

留学が終わるころ、フォルケで仲良くしていたデンマーク人女性に心配された。「デンマークのフォルケホイスコーレに留学したあとで自分の国に戻ったら適応できないということがよくあるの。特に日本は働きすぎる国だから心配。うまくやってね。」

 

その言葉に僕は、

「自分は今デンマーク人並みに自由なマインドを持っているけど、表面上は日本人に合わせていけるから、大丈夫」

たしかそんなふうに返事をしていた。

 拙い英語やから伝わったかどうかはわからないけど。

 

 

 

 

・帰国して感じた苦しさ

だけど、帰ってからしばらくはやっぱりしんどかった。

 

デンマークは6月でも寒い日には上着がを着る人もいるほど。夏も暑い日は少なく快適だ。

そこから日本(特に僕の住む京都は盆地なので湿度が高くじめじめしている)に帰ってきて単純に外にいるだけで体がしんどいっていうのもあった。

だけどしんどいのは明らかにそれだけじゃなかった。

 

忙しく歩き回る人々、街中にある大量の広告、店に入ると流れているやたらと音量の大きい音楽、お金を使わずにのんびり休める場所が外に少ないこと。

 

情報と刺激が多すぎる…!

 

そして、ほとんどが日本人だから「外ではこうするのが当たり前」、「この状況ではこうすべき」という非言語的なプレッシャーを感じてしまう。

 

僕がそういうのに敏感なのかもしれないけれど、しんどかった。

 

 

経済的なプレッシャーが強かったのもある。

「早く仕事しないと貯金が尽きて生きていけなくなる。」

フォルケは住居も食事も保障してくれたからその心配はなかったんだった。

 

・夏の蒸し暑い気候(京都暮らし)

・情報量の多さ

・非言語的なプレッシャー(同調圧力、義務感)

・経済的な不安

 

帰ってからしばらくこういうことに苦しんだし、今も少し苦しんでます笑

 

 

・留学して感じたこと「もっと気楽に生きていい」

 

一方で、日本にいたって、本当はもっと自由でいいはずなんだとも思う。

 

デンマークは高齢者向けの年金や障害者向けの給付だけでなく、若者向けの社会保障もかなり充実している。大学院まで学費は無料だがほとんどの学生はSUと呼ばれる生活援助金を月8万円ほど支給される。

それに加えて休暇などにアルバイトをして稼ぐから(最低時給約2000円)、学生はかなり優雅な生活を送ることができる。

 

しかも高校を卒業してすぐに大学に行くのが当然というわけでもなく、アルバイト生活を経験してから大学に行ったり、大学を中退してフォルケホイスコーレや別の大学に入り直すこともあって、20代後半までは学生という人が多い。親にお金を出してもらったり、奨学金を借りたりすることなくそういうことができるのだ。

 

僕の友人のデンマーク人(23歳男性)は、ドイツの音大を目指して勉強していたが、かなりリラックスした生活をしていた。

モダンでおしゃれなシェアハウスには絵画や植木、楽器や趣味の本が充実していて、土曜日は近くのロックフェスにふらっと出かけて友人と遅くまで飲んで、日曜日は一日のんびりするなど。

 

生活の余裕がすごいのだ。笑

 

彼はとても性格がおおらかで、当たり前のように自分のしたいことを中心に日々を過ごしていた。

 

経済的な余裕の有無が人のメンタルにあたえる影響は計り知れないと思う。

 

日本にはそんな若者向けの社会保障はないから、こんな優雅な生活は僕には送れないけれど、少なくとも「20代半ばにもなればバリバリ働くのが常識で、自分もそうすべきだ」、なんて固定概念はふっとんだ。

 

したいことをするためにお金が必要だから働く。本当はそれくらいシンプルでいい。

 

もちろん社会のために働きたいって気持ちがあればもっといいんだろうけど、

 

働くのが当たり前で、周りが働いているのに自分が働いていないと不安だから企業に勤めるというのは少し違う気がした。

 

 

 

・日本人でも自由に生きてる人は結構いる

日本は物価のわりに最低時給が高くないから、フリーターとして生きるのは楽じゃないかもしれないけれど、なんだかんだマイペースに生きている人は結構いる。

 

デンマークで出会った日本人は面白い生き方をしている人が多かった。

 

学生と病院勤めを交互に繰り返すような生き方をしている看護師や、10年以上日本の新聞社で働いたあとデンマークに留学に来て、帰国後は転職して全く違う仕事をする予定の男性、結婚後、新婚生活が始まる前に一人で留学に来た女性、高卒後デンマークに来ていろんな人に応援してもらいながらヨーロッパ中を自転車で回っている若者など。

 

大学卒業後バイトをしながら、家族ができるまでは趣味に没頭するという生き方もあっていだろうし、正社員になっても違う仕事をしたくなったら転職するのも別にありだし。

 

 日本で僕の周りの同世代(20代半ば)の人たちを見ていて最近感じるのは、(高学歴の男子は特に)正社員として働かないといけないっていうプレッシャーが強すぎるんじゃないかなってこと。しんどいよね、たぶんそれって。

 

・異文化を知って何が良いのか

海外で暮らしてみることのメリットはいくつもあるだろうけど、そのうちのひとつで僕が大事だなあと感じるのは、

「自分の常識や、無意識的にやっていた習慣やこだわりの中には、

他の国の人から見れば異常なものもあって、その中には、冷静に考えたら自分でもばからしいようなこともたくさんある」って気づくチャンスがあること。

 

 

例えば「長時間でも働くのが美徳」とういう価値観や、週末もパソコンカタカタやってなんか作業したり、本読んで何か学ぼうとしたりする習慣(僕の出身大学だと結構そういう人多い)は、デンマークやアフリカの多くの人たちからすれば結構異常だし、「週末は外で遊びなさい」ってむしろ怒られたりする。

 

 袋を持っていけば済むのに毎回コンビニでビニール袋をもらって捨てるのも、デンマークでは絶対ありえない資源の無駄使いだ。

 

「こうじゃないといけない」「普通はこうするものだ」ってこと、ちゃんと理性で考えたら実は根拠のないものが多い。

無意識的に周りの影響でできていった不必要なこだわりに気づかずに、変えようと思いもしないのってちょっと不自由だ。

 

自分はできれば、働きながらも内面はリラックスして好きに生きられるように、これから日本でも工夫していきたいなと。

 

僕みたいな繊細な性格の人間には、日本で働きながら気ままに自由なマインドで過ごすのって難しそうなんだけど、たまにこのブログに戻って、どうすればそれができるか考えてみようかなと思ってます。

 

 

デンマーク人に聞いた、ちょっと面白い話。

 

 

 

留学中、空いた時間が結構あるので放課後に興味持った人にインタビューしています。

インタビューしてる内容は、あるウェブメディアに載る予定なので、完成したらこのブログでもシェアします。

 

今日はデンマークの精神病関係の職場で働いていた日本人女性にインタビューしていました。天気がいいので外のテーブルで話を聞いていたらデンマーク人が入ってきて、一緒に質問に答えてくれました。

 

その時に彼がデンマーク人の人間観について話してくれたのでちょろっと紹介。

 

デンマーク人は人間の評価の仕方に特徴があると思うよ。人間の価値を図るときに、仕事の能力とか、できるできないで図るのではなく、人間としての価値を見るんだ。つまり、その人が幸せであるかどうかに興味を持つ。

 

だから仕事ができればプライベートはどうでもいいという雇用者は少ないと思う。その人を見たときに、必ずその人の精神状態やプライベートも見えているはず。デンマークの人がみるのは、あなたの仕事ではなく、あなたなんだ」

 

幸せであるかどうかが、その人にとっても、周りの人にとっても一番大事なこと。

 

 

自分にも相手にもしあわせであることを求めているから、この国の幸福度はこんなにも高いんだろうなと。

社会的入院患者の地域移行支援をしている方に取材してきました。

www.career-i-univ.com

 

家族に精神病院に入院する人が多かったことから、

精神科医療の問題に関心を持っていろいろ調べていましたが、

実際に現場で働いている人に話を聞いて発信したいという思いから、

3月に話をきいてきました。

 

その内容が公開されたので、よかったら見てください。

 

 

 

個人的には最後の部分、一般の人に何ができるか尋ねたところの回答が好きです。

 

当事者じゃないとわからないけど、偏見や差別はまだまだ日本にはたくさんあるんだろうな。

わからないものに恐れを抱くのは当然で、もっと正しい情報を多くの人に伝えたいし、たくさんの人で支えあえる仕組みを広げていきたいと思う。

 

デンマークでも、もうすぐ取材する予定です。

書かねば…

 

デンマークに来てからいろいろやることが多かったりして、せっかくブログのタイトルを変えたのに全然更新できてなかった。

 

もう日本時間では5月になっちゃったので、なんでもいいから書いてみます。

 

 

 

パスポートの期限の関係で予定してた便に乗れず、一週間遅れての参加になってしまったが、4/14の夕方にフォルケに到着し、半月と少しが経った。

 

フォルケホイスコーレ(略してフォルケ)というのはデンマーク発祥の成人教育機関で、北欧を中心に広まっていて3カ月から1年ほどのコースがある。私立学校だが、国からの補助があるために日本円で食費、寮費込みで月10万円前後で学べる。

 

全寮制で入試を含めたテストや学位がなく、学生の主体的な学びが求められる場だ。理念や制度についての詳細は、フォルケについて書かれた他の記事を参考にしてほしい。

 

 

 僕はデンマークに70校くらいあると言われるフォルケのうちのひとつ、Nordfyns hø jskole(ノーフュンスホイスコーレ)というところに福祉や教育、民主主義なんかを学びに来ている。Nordfyns hø jskoleは日本人スタッフもいる学校で、現在日本から10人強の人が学びに来ている。20代が多いが、60代、70代の方もいる。日本人以外にももちろんいろんな国の人が来ている。アフリカやヨーロッパの他の国(もちろんデンマーク人も)、中国やネパールからの学生もいる。僕のルームメイトはアルバニア人だ。

 

授業では座学以外に特別支援学校や成人の重度障害者の入居施設などの見学、ピースカンファレンスという、いろんな国の人が集まって社会の問題について話し合ったりするイベントに行ったりしている。(英語がまだまだ話せない僕は難しい話では聞き役に徹している)

 

他のフォルケではどうかわからないけど、ノーフュンスホイスコーレでは休みの日に美術館や釣り、首都のコペンハーゲン観光などに連れて行ってくれるツアーを企画してくれていて、全部参加してたら体が持たないほど充実している。

 

座学の授業も、話し合いが中心なのでいろんなバックグラウンドの学生たちとおもしろい話ができて、日本の学校とは全然違う感じで刺激的だ。

 

 

 なんだろう。生活のことを書き連ねたらきりがないしおもしろくない気がするので、フォルケで学んでいて感じることを少し書いてみよう。

 

 

 

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学校なのに自由

・授業は3時までなので、自由な時間が多い。特にこの時期のデンマークは夜9時くらいまで明るいので、余計にたくさん時間があるように感じる。空いた時間は学校の敷地内にある娯楽スペースや体育館、バスケ、フットサルコートで遊んだり、ジムやプールに言ったりして自由に過ごしている。

 

・たくさん選択肢のある選択授業が週に3コマある。乗馬やサイクリング、アートなど、それぞれの学生が好きなものを選んで楽しんでいる。アートクラスでは音楽に合わせてみんなで大きな紙に殴り書きをしてみたり、前のタームの学生の描いた自画像に絵具でめちゃくちゃに色を塗ったりしている。やってる内容も自由で、先生も一緒に楽しんでいる。

 

フラット

デンマークは山がなく、土地がフラットだと言われている。土地だけでなく、人間関係も相当にフラットだと感じる。先生の学生の距離が近く、一緒に釣りにでかけたり、授業や毎週ある全体のミーティングでも学生は先生に全く遠慮せずに自由に発言している。見学に行った小学校でも放課後先生と子どもが一緒におやつを食べていた。

 

・地方議員に話を聞く機会があったが、政治家と国民の距離が近く、地位の上下という考え方があまりないような感じがする。市民が議会の傍聴席から市長に質問する権利が認められていて、それに必ず回答しないといけないっていうルールがあるらしい。

 

 

人が大きい

デンマーク人は大きい人が多い。女性でも180㎝以上ありそうな人を見かけるのは珍しくないし、男性では2mくらいありそうな人も多い。ランニングしてる人は皆ハンドボールが強そうに見える。

 

ベルクマンの法則 - Wikipedia

 

 

 

 

また、暇を見つけて書きます。

 

ハートネットTV「精神疾患の親を持つ子ども」を見て

 

不幸中の幸い? 

 本来ならおととい出国して今頃はデンマークのフォルケホイスコーレ(大人が学ぶ国民高等学校)にいるはずなんだけど、パスポートの有効期限が3か月を切っていた関係で渡航ができず、空港から泣く泣く家に帰ってきたので、今も日本にいる。航空券も直前に買い直すと高いし、パスポート更新の期間分、留学が短くなってしまっていろいろショックは大きいんだけど、出発が伸びたおかげで昨夜のNHKのハートネットTVを見れたのは良かった。

 

 

 昨夜のハートネットTVのテーマは、「精神疾患の親を持つ子ども」。統合失調症の母親のもとで育った夏苅郁子さんを迎え、同じく精神疾患の親を持つ当事者からのメッセージとともに、精神疾患の親を持つ子どもがどのような思いで家族の中で育ち、大人になってからどういった思いで生きているのかを追っていく。

 

 

↓ハートネットTVの番組ページ

http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/program/?id=201704062000

 

 

 僕の母も精神疾患だったけど、僕を生んで数か月で死んでしまったので、僕には母との思い出はない。だから大人になるまで親元で過ごした夏刈さんたちとは境遇が少し違うんだけど、僕も家族に精神疾患の症状をもつメンバーはいたし、安心して過ごせない家庭だったのは共通している。だから夏刈さんたちの発言には共感するものがとても多く、たった30分の番組のなかで何度も泣きそうになってしまった。

 

 この番組では視聴者がツイッターで投稿したことを画面の下部に流しており、似た境遇の人が同様の苦しみや共感の言葉をつづったり、違う立場の人が支えてあげたいという気落ちを投稿していたが、それを見てこみあげてくるものもあった。

 

 僕自身、20歳前後まではかなり精神的に不安定で抑うつ気味になりやすかったし、漠然とした不安に襲われたり、母親を自殺で亡くした自分の生い立ちなどを思って暗い気持ちになることはしょっちゅうだったが、幸い大学時代に経験したいくつかの出来事がきっかけで、生きていくのがずいぶん楽になった。今後またいつ調子を崩すかわからないけれど、そういうもろさも含めて自分のことを肯定的に思えるようになっている。

 

 そんな僕が、少し冷静に過去の自分を思い返しながら、この番組を見て強く共感したこと、異なる境遇の人にわかっておいてほしいこと、社会に望むことなどを書いてみようと思う。

 

 

当事者がかかえる苦しみ

 自分のせいだと思ってしまう

 親の調子が悪いこと、精神病の症状が出ていることを自分のせいだとか、自分がもっと頑張っていないからだと思ってしまうという話が出ていた。

「自分が悪いことをすると親は怒る」という、一種の常識のようなものが子どもにはあるわけで、精神病の症状でイライラしたり、暴言を吐いたりしている親を見て、自分が悪いからそうなっているんだと誤って解釈してしまうのは当然だと思う。子供にとって、単に人が怒っているのと自分に叱っていることの区別をするのは難しい。

 そして、怒っている人を見て自分のせいだと思ってしまう癖は、家庭の外に出ても変わらない。学校で誰かがイライラしているときに、(この人は自分が怒らせるようなことをしたから、自分に対して怒っているんだ)という被害妄想を抱いてしまうことは僕もよくあった。怒っている人や不機嫌な人の前で萎縮しやすい、という特徴を持つ人はもしかしたら、家庭のことがきっかけでそうなっているのかもしれない。

 

 

話してもわかってくれるわけがない

 精神疾患の親を持つ子供の多くはおそらく、小学生のうちには、自分の家が他の家と違うということに気づくだろう。友人の家に遊びに行ったときに感じる安心感やなごやかさは、自分の家にはないものだ。「お母さん優しいね」と話すと友人は「うちのお母さんも友達来てないときはめっちゃ怖いで」と言うかもしれないが、おそらく次元が違う。その証拠に、そう話す友人の口調には怯えがなく、母親をからかっているようにも感じられるからだ。

 自分の家のことを友人に話してもわかってくれるわけがないと思う。おそらく、精神疾患をかかえた人と接したことのない思春期までの子どもの多くーつまり周りの友人たちーは、そういった自分の話をどのように聞いていいのかわからないだろう。つらさを少し打ち明けても、「それでも、育ててくれてるんやから感謝せな」などと言われてしまうことだってある。

 小学校高学年から中学生の時期に、自分の家での状況をある程度明確に言語化できるようになったとしても、そのことを担任の先生に話す方法を知らないし(職員室に行って聞いてもらうなんて思いもしない)、担任の先生に悩みを聞いてもらうというのは、思春期の子どもには恥ずかしくて抵抗があるかもしれない。

 

大人になってからも続く苦しみ ”まともな家で育たなかった自分”

 大人になって、仮に親元を離れたとしても、苦しい状況は続く。まず、親との関係は他の人との間でも繰り返されてしまうことが少なくない。たとえば親の機嫌をうかがって過ごしていた子どもは、仕事先でも怒ると怖い上司におびえてしまうかもしれないし、甘えることや、しんどさを人に伝える方法を家で覚える機会がなかった人は、どれだけ苦しくても我慢してつぶれるまで仕事をがんばってしまうかもしれない。

 また家を離れて目の前の苦しみはなくなったとしても、「まともな家で育ってこなかった自分」というアイデンティティーは残る。友人が親に教えてもらっているような家事の仕方、対人関係のマナー、あるいは幼少期に親に愛された経験、安心できる環境での育ち、そういったものを知らずに、あるいは経験せずに大人になってしまったことへの不安は残る。漠然とした不安はもしかしたら幼少期の経験から来ているのかもしれないけど、過去を変えることはどうあがいてもできない。

 

 

楽になるきっかけ

 ここで少し、僕自身が生きるのをしんどく感じなくなったきっかけや、ラッキーだったと思っている経験を話しておきたい。

 

 

 僕が最初に自分の母親の自殺のことを人に話したのは高校の頃だった。

倫理の作文で「自殺について意見を書きなさい」というお題が出た。(僕の通っていた高校の倫理の先生は、定期テストのたびに、授業内容に関連するトピックで作文を書かせたが、そのお題は事前に公表し、それに関する資料も配布していた)当時の自分にとって、このテーマで作文を書くことはとてもつらかったが、「身内に自殺者がいるので論理的に作文を書くことができない」と正直に書いたところ、倫理の先生がテスト後の授業のあとで僕のことを呼び出して、その苦しみを親身に聞いてくれた。それは僕にとってとても嬉しいことで、それまで感じたことのない安心感を抱いたのを覚えている。

 そのことがあってから、友人や彼女に自分の家族のことを話すことができるようになった。

 

似た境遇の人

 種類は違えど、家族になんらかの問題を抱えている人は高校にも少なくなかった。普段学校にいるときは話さないけど、放課後二人で話しているときに、実は親が離婚しそうだとか、薬物中毒だとかいう話を聞くことがあった。大学に入ってからは、自分と同じように親が自殺したという人にも出会った。

 

 心理学には、「自己開示の返報性」という言葉があって、自分が話した内容に応じて、相手も似たことを話してくれることがある。自分が家族のしんどい話を打ち明けると、「実は私も…」と、似た話を聞けることは多かった。同じような経験をしているとしんどい話でも盛り上がることができ、自分だけじゃないんだとほっとする。そうして少しずつ、「まともじゃない環境で育った自分」というアイデンティティーが、それほど悪いものじゃないと思えてきた。家族でしんどい経験をしてきたからこそ、こういう話を人とできるんだ、と。

 

 

家族の閉鎖性

 番組のなかで、コメンテーターの荻上チキさんは、「この社会は家族というシステムに頼りすぎていて、問題を家族に押し付けすぎだ」と話していた。「だから、子どもがそういった(しんどい)状況でもなかなか支援の手が入らず、相談に乗りにくい」と。

 これにはとても共感する。誰か外の人に助けてほしいと思っている子どもは必ずいるはずだが、子どもには助けを求める方法がわからないし、担任の先生も多忙な状況で、学校でも気づかれずにサポートに結びつかないことも多いだろう。やはり学校、塾以外で大人とのつながりがあってほしい。子どもが話しやすいのはインフォーマルなゆったりとした場だと思うが、近所づきあいの減ってきた現代、自然発生的なコミュニティーにそれを求めるのは困難だろう。僕個人の意見としては、すべての家族にファミリーソーシャルワーカーが家族医のような形で関わるべきだと思っている。生活保護世帯や、障害を持ってなんらかの福祉的支援を受けている人のいる家族だけでなく、すべての家族が担当のワーカーに相談できる体制がないと、必ずセーフティーネットの網から漏れてしまう子どもは出てくる。夏刈さんは、小さいころ、母が入院している間に自分をあずかってくれたおばさんがかわいがってくれた経験があり、そのことが、心の支えになったと言っていたが、そういう幸運がなければより悪い結果になってしまというのが、今の日本の現状だと思う。

 

タブーと偏見で進まなかった議論と支援

 今回の番組のテーマにもなっている「精神疾患の親を持つ子ども」は、日本では最近ようやく注意が向けられてきたそうだが、これまで注意が向けられてこなかった理由のひとつが、身内の精神病のことを外で話してはいけないというタブー的な考え方と、それを生みだす、精神病への周囲の無理解や偏見だと思う。

 幸い僕の育て親は、家庭訪問のたびに僕の担任に「この子の親は幼いころに自ら命を絶ってるんです」と話していて、僕に対して口止めすることもなかったからよかったが、そういったことを外で話してはいけないと言われて育った人も多いんだろう。話して問題化することで議論が進み、サポートにつながっていくと思うが、この国はまだまだ、精神病や死、あるいは障がいといった話題にオープンではないと思う。話さない限り問題は解決しないのだから、もっとオープンになってほしいし、周りにもそういったことを学んでほしいと思っている。だから僕はこれからも、家族のことを隠さずに人に話すつもりでいる。

 精神疾患を患った人と接した経験がないという人にまずわかってほしいのは、精神病を抱えた人はもともと家族あるいは社会で多大なストレスを受けてきた被害者であって加害者ではないし、マスコミの報道を見て精神病患者だから犯罪を犯したように思ってしまうことがあるかもしれないけど、精神病を抱えた人の犯罪率は一般の人よりも低いということ。また、誰しもが後天的に精神病を患う可能性があるということだ。

 

苦しみを人に話すということ

 僕は人に話すことで(そして、似た境遇の人と関われたおかげで)楽になれた人間だが、自分のなかで長年隠していたしんどさを人に話すことはとても勇気とエネルギーがいるし、もろい部分をさらけ出すわけだからやはりリスクも伴うと思う。

 夏苅さんが、似た境遇の人が描いた漫画を読んで自分も話せるようになったといったが、まずは他の人のが自身の体験を書いた本やネット記事に触れてみて、いいなと思ったらそれを身近な人に読んでもらい、その反応を見て大丈夫そうなら自分の話をするとかでもいいと思います。

 過去の経験を話してもすべてが楽になるわけではないし、またしんどい時期はやってくるかもしれないけど、精神疾患の親を持つ子供は、幼少期に人に支えてもらう経験がたぶん不足していて、それを大人になってから親以外の人にやってもらうのは、何も恥ずかしくないことだと思っています。問題を抱えていようとなかろうと、そもそも誰もひとりでは生きていけないんだから、しんどいときに人に頼ることを躊躇しないでほしいなあというのが僕の意見です。

 

 

 

 ではでは。

 

 

 

久しぶりに益田ミリさんの漫画を読むとほっこりする。

とりとめもない話です。

 

世界は終わらない

 

 年度末に暇な時間があったので、本棚の本の整理をしていたら、少し前に買った益田ミリさんの「世界は終わらない」を見つけた。形式は四コマ漫画だけど、一冊を通して物語が続いていく、とっても楽に読める本だ。益田ミリさんは女性を主人公にした漫画が多いのだけれど、この本の主人公は男性だ。

 

www.gentosha.co.jp

 

 主人公の土田さんは、好きな本に囲まれた書店員の仕事をしているがしばらく彼女のいない自分を、結婚して子供もいる友人たちと比べてしまい、「自分の人生はこれでいいのか」と、ひとりになると考えてしまう。

 

 本人は悩むことも多いようだけど、土田さんと周りの人たちとのかかわりはとても温かいし、土田さん自身もの人柄もとても魅力的に描かれている。書店に来れなくなったお客さんの家に休み時間に本を届けたりするような土田さんの行動にはほっこりするし、合コンで知り合った異性といるときの自分のふるまいを後で恥ずかしく思ったり、反省したりする姿はなんとなくかわいくて、応援したくなる。自分の勤める書店をよりよい空間にできないかと考えたり、お客さんに勧める本を何にするか悩んだりしている姿もいい。

 

〇〇な本フェア

 この漫画の中で、土田さんの勤める本屋さんで、〇〇な本フェアを何度かやっている。「無人島に持っていきたい本」のようなテーマを決めて、書店の一角にあてはまる本を並べるというものだ。実際の書店や図書館なんかでもよくやっていることだと思う。

 

 書店で働いていない僕は、よっぽど興味をひくテーマでもない限りそういったコーナーで足を止めることはないんだけど、書店員さんになった気分で〇〇な本を考えるのはおもしろそうなので、ちょっとやってみた。

 

 

あったかい本

 土田さんの働く店の店長やその他の登場人物は『赤毛のアン』や『窓ぎわのトットちゃん』をあったかい本として選んでいる。窓ぎわのトットちゃんは僕は大学に入ってから読んで大好きになった本で、本当にとってもあったかいと思うんだけど、あえて他の本を選ぶとしたら、重松清さんの『とんび』とか、漫画だけど鈴ノ木ユウさんの『コウノドリ』なんかを挙げる。あと、虐待を描いた話で少し暗い部分もあるけれど、中脇初枝さんの『きみはいい子』も読後はとてもあったかい気持ちになれる本だ。

 

 家族や幼少期の境遇でしんどさを抱えた登場人物が、人との支えあいの中で少し明るい気持ちになっていけるような本が、自分にはあったかく感じられるのかもしれない。

 益田ミリさんの本も、結構あったかい本だと思っている。

 

 

無人島に持っていきたい本 

 4年前の夏に瀬戸内海の無人島にいったことがあって、その時は一泊二日でサークルの先輩たちとキャンプをするだけだったから本は持っていかなかった。無人島で本を読む気になるかどうかはわからないけど、もしいつ帰れるかわからないような状況で無人島に本を持っていくとしたら、そこそこの長編小説なんかがいいかもしれない。けど持ち運ぶのもめんどくさいか。

 逆にエッセイを持っていって、自分の置かれた状況とは全く違う人たちの生活を想像するのも、気が紛れていいかもしれないとも思う。最近読んでる本だけど、小川糸さんの「たそがれビール」なんかを読んで、ヨーロッパの生活にあこがれを抱くのもいい。

www.gentosha.co.jp

 

 

 こういうのを読んで帰ってからやりたいことをあれこれ妄想するのも、気がまぎれるしいいだろう。不自由なときほど人は自由を強く求めるし、この本を読んだ後で無人島から帰ってこれたら、すぐにヨーロッパに飛び立つかも。

 

 

 

本が読みたくなる本

 そんなフェアはこの漫画の中ではなかったんだけど、本が読みたくなる本って結構好きだ。

 

 最近、趣味で本を読むことが少なくなっていた。4月からの留学に向けての情報収集でデンマークについての本を読むことはあって、まあそれも半分は趣味っちゃ趣味なんだけど勉強の意味合いもあったから、完全に娯楽目的で本を読むことはなかった。最近本棚を整理して、読みかけの本とか昔読んで良かった本なんかが出てきてまた読みたいなあと思い、最初に手に取ったのが『世界は終わらない』で、その中におもしろい本がたくさん紹介されていて、またいろいろ読んでみたいなあという思いが募った。

 

 『ダ・ヴィンチ』のような、本を紹介する雑誌もいいけど、好きな著者が本の中で紹介する本って、特に読みたくなるよね。

 

 久しぶりに時間があったので、ブログを書いてみました。

益田ミリさんの本、もっと読んでみよう。