書きながら考えたこと。

1992年生まれ。大学で臨床心理学などを学んだ後デンマークに留学し、帰ってからは奈良で働いています。働きすぎず、のんびりゆったり生きたい。

障害のある人とかかわる仕事をしていて感じること。

soar-world.com

 

先日この記事を読んで強く共感した。

ぼくが働く奈良市の法人もアート活動に力を入れているところなんだけど、メンバーがアートを通して自分を表現することでスタッフがその人らしさに気づき、そこに魅力を感じていくことでその人がその人でいられる。メンバーが自由だからそれにつられてスタッフも自分らしくいられる。そんな感覚を、ぼくはアート活動をするところとは別の部署にいるんだけど、外から見ていて受け取ることがある。

 

 

この素敵な記事のなかにこんな話が出ていた。(引用)

メンバーと関わっての気付きや発見は、必ず社会の役に立つものになっていると思っていて。だからもっと福祉関係者の人たちが、自分たちの気付きや、世に人が生きていくために何が必要か、というものの価値を表現しないといけないですよね。

 

そうそう。気づきや発見がこの仕事をしているとたくさんあって、まだ働いて1年にも満たないんだけど、今仕事のなかで感じていることを書き留めてみようと思う。

 

 

”その人”の見え方はその人と周りの人との関係のなかで決まる。

これはよく思うことで、例えば自閉症の人で、真っ黒のフードをかぶって怪しい格好で歩く人がいるとする。何も知らずに偶然道端であったら、ぼくはその人を怖い人だと思って避けるだろう。

けれどもし、その人が実はほかのメンバーやスタッフと話すのが好きで、おもしろい関係性を気づいていることに気づいて、実はある個性的な才能で評価されていたってことを知ったらすぐにその人の見え方は変わってくる。

 

その人がどう見えるかを決めるのはその人自身でもなければ見ている側でもなく、その人と周りの人との関係性なんじゃないかと思う。

 

ならば自分がもし、評価されたいとか、よく思われたいと思うなら、自分が変わろうとするよりも、今のままで自分が周りといい関係を気づける、そんな場所に身をおくのがいいのかもしれないし、そうやって居場所を替えることが無理だとしたら、別の場所で自分がほかの人たちとおもしろい関係を気づけていることを今いる場所の人に知ってもらうことも有益なんじゃないかな。

 

 

役に立たなくても存在していていい。

多くの人は仕事で結果を出したり、人の役に立つことを求められているのかもしれないけれど、障害のある人とかかわっていると、本当にそんなことはどうでもいいと思えてくる。

知的障害のおっちゃんは存在してるだけでおもしろくて、全然働いてないからってイライラすることなんてないし(たまにそう感じてしまうことはなくはないけど)、自閉症でただご飯を食べてテレビ見て寝る、みたいな生活をしている人も、見ていて癒されるというか、易きに流れるのがきっと人間や動物の本来の姿で、それを極めているこの人すごいって思ったりする。

 

たぶん、働かなくなっても生きてる価値があるのは自分も同じで、今たまたま働けるから働いているけど、後天的な障害などで働けなくなっても別に自分の存在価値が下がることはないし、仕事ができる、できない、で人を評価するのって浅はかだなあとつくづく感じる。

 

 

日本の、自分が住んでいる地域にも全く違う世界が存在する。

自分がこれまで生きてきて、障害のある人とかかわる機会は、大学でのバイト経験までほとんどなかった。けれどこの仕事をして、養護学校を卒業して障がい者枠で働く人たちに出会って、彼らが彼らのペースで、考え方で、いわゆる健常者とは違うコミュニティのなかで魅力的に生きていることを知った。

 

それは外国に行くのと同じくらい新鮮なことだった。そこにいる人たちが大事にしているものは僕がそれまで生きてきた世界の人と立ち比べてはるかに多様で、少なくともみな僕とは全然違ったし、あたりまえだけど、その人の人生を生きていた。

 

 

かかわりを楽しむことが一番重要なんじゃないか

最近感じているのはこれ。重度の障害のある人にいくら身辺自立や働くことを求めたって、いくら時間をかけても無理なケースはたくさんある。でもその人の親は、その人がいてくれるだけで幸せだと感じていたり、親が一人でいる寂しさをその人の存在が埋めてくれたりしているんだとホームヘルプに入って感じることがある。

そういった人との、集団でのかかわりのなかで僕らが求められているのは、その人が、たとえ働けなくても魅力的に見えるようにしてあげること、つまり、最初の話に戻るんだけど、その人が魅力的にみられるように僕らがその人とのかかわりを本気で楽しむことなんじゃないかと思っている。

 

 

ボーナスの使い方

65歳以上で無年金か、毎月の年金支給額が16000円程度しかない人が、日本には40万人以上いるらしい。高齢者3500万人のうちの1~2%。
そのうち生活保護も受給せずに働いて暮らしている人がどれだけいるかはデータがなくてわからない。

1円も年金をもらったことがない知り合いが偶然、身近にいる。
今その人は73歳なんだけど毎日ひとりで、自宅としても使っている建物で民宿の仕事をしながら暮らしている。

その民宿は京都にあり、外国の人にも人気の宿で、彼女は高齢になってから少しずつ英語を覚え、電子辞書を片手に京都を訪れた世界中の人たちと英語でコミュニケーションをとる。

決して流暢ではないけど(僕も人のことを言えない)、文法も多少は意識して学び、日々の仕事でたくさん話しているから、高校や大学を出た多くの日本人より英語で外国人とコミュニケーションをとるのが上手だと思う。彼女は高校も中学校も出ていない。50~60年前では珍しいことではないのだろうけど。

久しぶりに訪ねたとき、足腰の衰えを僕に話した彼女は、仕事をやめれば生活保護を受けることもできるんだろうけど、彼女はそれを選ばない(プライドや、働けるうちは働くという意思がある)。

もし生活保護を受けるとしたら、おそらく彼女の体が今以上に衰えて本当に働けなくなったときで、そのときに彼女はきっと、自分の夢を叶えることができなくなっている。

73歳の彼女には夢がある。
民宿に訪れてきて仲良くなったお客さんのいるヨーロッパを旅行するという夢。
60歳を過ぎてから一度旅したことのあるローマに、もう一度行きたいと思っている。

国籍や年齢層を問わず、多くの人に母親のように慕われる彼女の宿には、ヨーロッパからのリピーターも多い。「今度私の家に遊びにきてよ」と、住所を書いて渡されることもある。「今度行くよ」と笑顔で返す彼女が、実際にお客さんの家を訪れたことは残念ながら、一度もない。

休暇の多いイタリアの旅行客は、10日間の日本旅行をshort trip と言うらしい。彼女はそれを羨ましく思っている。

自営業だから休もうと思えば休めるはずだけど、海外を10日もかけて旅する資金的な余裕は彼女にはないし、10日間働かないとその間の収入もなくなり、生活していけなくなる。彼女の収入は、宿泊してくれた人が渡してくれる宿代が全てで、毎日働いていても余裕のある生活ができるほどではないのが現実。


まだ25歳の自分は生きてさえいれば海外に行くチャンスはたくさんあるんだろうけど、もうすぐ74歳になる彼女が海外に行けるのは何年後までだろうかと思いながら、来月自分の口座に振り込まれるはずの、決して多いとは言えないボーナスの使い道を考えている。

1000字で雑感をつづる。

 

新年度が始まって1ヶ月が過ぎ、職場にきた新人たちとの出会いや新しく入ったコミュニティの人たちとの関わりなどもあって浮かれた気分になっている。春はいつも落ち着かない。調子を崩したりすることが今年はなく、むしろ自然と楽しい気分になっている。

 

去年の秋から始めた職場で半年以上が立ち、職場での立場も変わり、後輩に教えることも出て、より深くコミットするようになった。障害のある人たちとの関わりがとても楽しくて、いい仕事に巡り会えたものだと思う。資格を取ったら自分の最も興味のある分野に転職するつもりでいたんだけど、それがしばらく先になってもいいと思うくらい、今の仕事が面白い。一方で、デンマークに留学していたときの同期が転職して新しい仕事につき、そこで新しい価値を生むような取り組みをしていることを知って、自分ももっと、何かを生み出すことを、自分の内側や身近なところだけでなくて、外にいいものを発信していくようなことをしたいなあとも思う。

 

一方で、普段仕事でいろんな人とかかわっていると、一人でいる時間がとても贅沢におもえる。人と話すのも一人で過ごすのもとても大事で気持ちいいんだけど、そのバランスを崩さないようにして行けば、今後もうまくやれる気がする。

 

休むこと、自分を守って回復する時間。部屋にこもったり、誰も周りにいないような広い自然のある場所で、飽きるまで過ごしたりすること。オフラインにして、思いたいことを思い、感じる。

 

この前なんとなくやってみた夜の散歩で、とても居心地のいい池を見つけた。夜の時間は誰も人がいなくて、池の周りの芝生に座って裸足になってコーヒーを飲みながら考え事をするのが最高に気持ち良くて。普段考えることが、どれだけ周りの人やものに、影響されているのかを思い知った。見知らぬ人や、こうして今図書館で思いを綴っているときに向かいの席にいる全く話したこともないような人の存在でさえ、自分の思考に少なからず影響を与えている。誰もいない場所と人のいる場所で、考えられる物事の範囲にすごく差が出てくるんだ。

 

これからどんな風に生きていくとか、彼女と付き合い続けるか別れるかとか、大事なことを考えるときは、人のいない場所で考えたらいいのかもしれない。もっと自由に、本心から思っていることに向き合えるような気がするんだ。

 

迷ったらまた、歩いてあの池に行ってみよう。夜、虫の鳴き声しか聞こえない静けさが、自分を縛っているものの存在に気づかせてくれるから。

 

使えるお金が少ないことのメリット ー「壊れた世界で”グッドライフ”を探して」を読みながら思うこと。

 

 

 

僕は知っていた。現代では、ヒトという種の食欲が地球の資源を上回っている。気候変動から森林破壊、種の絶滅から漁場の枯渇に見られるように、人間は自分たちのすみかを食いちらかしている。もはや消費行動は道徳の問題と不可分だ。

 ーマーク・サンディーン「壊れた世界で”グッドライフ”を探して」より

 

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この本に出てくる4組の夫婦は、環境に配慮しない消費活動や電力・石油の使用をできる限り控えて、食物を自分で育てたりしながら、「豊かな生活」を実践しようとしている。

 

シンプル・ライフというと聞こえはいいけれど、実践するとなるとそこには多くの葛藤や苦労がある。彼らの生活の中身に深く踏み込んだこの本を読み、その想いを、インタビューした著者の目を通して聞いていると自分も、日々の暮らし方について見直さずにはいられない。

 

僕はわりといろんなことに関心を持つタイプで、そのときその時のブームみたいなものがある。「自然(nature)」というキーワードでいろんな本を読むようになったのはデンマークから帰国したころだろうか。図書館でNATURE FIXというタイトルの本を見つけて、自然の中にいることが脳にもたらす影響についての研究について、夢中になって読んでいたのが、去年の秋ごろだった。

 

デンマークで僕が住んでいた全寮制の学校は田舎のなかにあったし、先輩につれられて遊びに行った別の学校には、敷地内にツリーハウスなどがあり、自然のなかで自由に読書をしたり、他の人と話をしたりしながら学べる素敵な場所だった。デンマーク生活で自由に物事を考えたり、普段は離さないようなことを放課後に友達と話せてそのなかからたくさんの気づきを得られたのは、自然に囲まれた場所で暮らしていたからだったと思っている。

 

 

 

そこから僕は”自然”というものに関心を持つようになり、やがて環境問題や、それに配慮した個人の生き方についても考えるようになった。

 

www.nhk-book.co.jp

 

 

 

最初に引用したように、地球の資源には限りがあって、人間ひとりひとりの生き方は環境というものとつながっている。自分一人が環境に配慮した生活をしたところで大きな変化はないかもしれないけれど、自分の食生活や電力の使用が地球資源と結びついていることは確かだ。

 

僕は今福祉職で働いていて、同世代で働いているほとんどの友人より給料が少ないと思う。そのことに不満もあるし、人材が不足しているのだからもっと福祉職の待遇はよくなるべきだと思うけれど、給与が少ないことは悪いことばかりではないことにも気づいたし、この本を読んでその思いは強くなった。

 

僕の安い給料から、家賃などの固定費や、資格取得に向けて毎月貯蓄している額を除けば、一か月に使える額は約5万円ほど。そこから食費や、友人と会うための交通費、娯楽、旅費などをやりくりしている。

 

そうなるともちろん、贅沢はできない。コンビニでご飯を買うことはほとんどないし、

ほぼ毎日弁当を作り、朝晩も自炊している。肉を使うと高いから、お揚げや卵などでタンパク質をとり、安い野菜を使っている。限られた予算の中で、体調を崩さないようにバランスを考えながら、料理をするのは難しくもあるけれどチャレンジングでおもしろいとも思っている。

肉を食べないようになってからおなかの調子がいいし、炒め物などで薄揚げを肉代わりに使うとだしが出て意外とおいしい。

 

今日これから、ホームセンターで土などを買ってきて、狭いバルコニーで家庭菜園を始めようと思っている。これも食費を浮かすためだ。お金に余裕があればやっていなかったかもしれないことだが、結構楽しみにしている。

 

制限のなかで工夫をするおもしろさを知る

これがまず、お金が少ないことのメリットの一つだと思っている。

自由にお金を使えるとできることは増えるけれど、お金を使わずにどう工夫して楽しむか考えるのもなかなかおもしろい。無制限のWifiを契約すると高いから、制限付きのにして、なるべく公共のWifiにつないで使うとか、おいしい節約レシピを考えるとか。

缶コーヒーを買うと高いから、魔法瓶にコーヒーを淹れてでかけたり。

 

サイクリングをしたり、知らない場所をジョギングしたりするだけでも十分楽しめるし、図書館を利用するなど、すでにあるものを有効活用するのは新しくものを買うよりも穏やかな満足感が得られることもある。

 

ものを大切にするようになる

 これも大きなメリットだと思う。お金がたくさんあれば買えるものが増えるから、資源も無限にあるような錯覚に陥ってしまうけど、実際はそうじゃない。日本の都会に住む裕福な人たちがしているような消費の仕方をすべての国の人がすれば、今よりも早いスピードで石油はなくなり、食糧もより不足していくに違いない。

 

使えるお金が少ないとそうはならない。服を長い間使ったり、もらいものを大切にしたり、友人と本の交換をしたり、食材もできるだけ捨てずにきちんと使うようになる。

長く使っている服には愛着がわくし、読み終わった本を人にプレゼントして喜んでもらうのは嬉しい。

 

贅沢な時間の喜びが増す

ずっと節約ばかりではしんどいから、たまに映画を見に行ったり、友人とおいしいものを外で食べたり、お酒を飲んだりする。普段質素な暮らしをしていると、そういうときにより嬉しく思えるようになる。

普段1食200~300円くらいで抑えていると、松屋で牛丼と豚汁を食べる(470円)だけでもかなり満足感が得られる。

お金がないことで低コストで幸せを感じられるようになる。

 

貯金がしやすくなる

こんなふうにして、最低限のお金で生活することに喜びを見いだせると、貯金ができるようになる。僕は給料日に一定額を定期預金するようにしているんだけど、だいたい月10万円くらいで生活できるようになると、給料が増えたときにより貯金できるようになる。それによって普段から散財するのではなく、より充実感を得られるものにお金をかけられるようになるんじゃないかと思う。

 

環境に優しい暮らしができる

本に出てくるアメリカ人たちのなかには、日本円にして年間100万円くらいで生活している人もいる。自分たちで畑を耕し、車を使わず電気なども使用しない生活だからそれくらいの支出になるんだろう。

僕はそれに比べたらたくさんお金も使うし消費しているけれど、車を持っていなくて(仕事で職場のをよく使うが)移動は公共交通機関か自転車、食事も肉はほとんど食べず植物性のたんぱく質がほとんどだから食糧エネルギーの効率もいい方だと思う。

電気やガスのことも気にするから、それなりに環境に配慮した暮らしができているんじゃないかと思っている。

今こうやって電力を使ってブログを書いていることは、本に出てくる人たちに言わせれば電気の無駄使いになってしまうのかもしれないけれど。

 

 

普通に考えたら、給料は高い方がいいんだろうし、僕も旅行が好きだからもっと上がってほしいと思うけど、意外とメリットもあるんじゃないかと思ってまとめてみた。

今の日本は物質的にとても豊かで食料も安く出回っているから、案外年収200万とかでも、場所によっては充分幸せに暮らせるんじゃないかと思う。

個人的には、家賃の安い地域土地の、図書館や安いスーパーの近くに住むっていうのは大事になってくると思っている。あと、近くに川や公園などの自然があるってのも大きいかもしれないな。

 

 

 

近況と決意。バルコニー菜園

 

僕の住んでいる奈良は最近少し暖かくなってきたけれど、まだ風が吹くと寒くて昼も上着が必要だ。

そういう時に着られるものを僕は今ダウンしか持っていなくて、去年留学中にウィンドブレーカーを失くしたことが悔やまれる。

 

 

給料が安い仕事についていてその中で貯金をするために節約生活を送っているんだけど、節約生活と環境に配慮した生活って親和性が高いなと日々感じている。

 

新しい服や車や原付きを買ったりすることはないし、食生活も植物性たんぱく質の質素なものが中心だ。

無駄遣いをしないので、捨てるものが少なくなっていると思う。

 

 

「生き方」に関する本を読むことにはまっていて、しばらくの間、一人一人の働き方であったり、北欧の人の暮らし方に付いて書かれた本を読んだりしてきたんだけれど、最近読んでいるのが、

「壊れた世界で”グッドライフ”を探して」という本。アメリカで環境に優しいシンプルな暮らしをしている人たち、3組の夫婦・家族の葛藤を書いた本だ。

 

www.nhk-book.co.jp

 

 

僕は今年収(手取り)200万円くらいの中から貯金をしながら生活しているけれど、もっとお金をかけずに生きる方法があるんだと知って、その生き方にワクワクさせられる。お金を使って得られる楽しみを享受するのは簡単だけどその喜びって長くは続かなくて、それよりもお金を使わない生活に挑戦し続ける方が面白いなって、そう思える本だ。

 

本当に必要なもの、余ったところからもらえず、自分では作れないものだけを買う。

作れるものは自分で作ること。

 

この本の中に何度も出てくる、畑仕事を自分もしようと思った。

 

自分の住むアパートには幸い小さなバルコニーがあるから、そこで家庭菜園をしよう。

簡単なものからはじめて、種類を増やして行こう。

まず土作りから勉強していきます。

 

野菜が育ったかどうか、失敗も含めてこのブログに書いて行こうと思います。

 

誰も読んでなくても、公開した方が続くと思うので。

学生の頃挑戦したもののうまく行かなかったんだけど、今度こそ諦めずにやっていきます。

 

 

ではでは。

 

 

 

 

記憶に残す図書館

 

 

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2か月ほどブログを離れていて、気づいたら新年になっていた。

去年は10月からフルタイムでの障害福祉の仕事について、11月に奈良へ引っ越し、

12月までは週末は仕事関係の研修、12月なかばは友人と始めたコーヒー屋さんのイベントの準備と、わりと忙しく過ごしていた。

 

1月に入っていろんなことが落ち着いて、ようやくゆっくりできる時間ができ、久しぶりにブログを書きたくなって、はてなブログを開いてみた。「おすすめ記事」に紹介されているブログの雰囲気が前とあまり変わってなくてなんだか安心する。

 

今日は前から書いてみたかった図書館についてのブログにします。

 

こないだ1月6~9日に休みをとって東京に行ったんだけど、その時期に無性に本が読みたくなり、泊めてもらっていた友達の家の近くの図書館を調べて、人に会う用事がある時間以外はほとんど図書館にこもっていた。

 

大学時代は自由に本を読める時間が結構あったけど、社会人になるとどうしても仕事の時間が生活の多くを占めるし、休日も出かける用を入れてしまったりしてなかなか本を読む時間をとれてなかった。

 

異常なほどに知的な欲求不満がたまっていたようで、東京では図書館が閉まる前に10冊本を借りて帰ってからも友達の家で本を読み、次の日また別の10冊を読むというようなことをしていた。

 

好奇心がやたら旺盛な僕にとって図書館は本当にありがたい存在で、ただでたくさんの本や雑誌を読めるのはすばらしいと思っている。いろんなところに図書館があるというだけで、現代日本に生まれてよかったとすら思っている。

 

ちなみに東京にいるときに僕が利用していた図書館は、世田谷区にある代田図書館というところ。井の頭線新代田駅を出てすぐ隣にの建物にあるアクセス抜群の図書館で、比較的新しい建物の3、4階にあり、敷地面積が狭いわりには蔵書も多く、本の配置もわかりやすくまとまっているので利用しやすい落ち着いた図書館だ。しかもなぜかひとり一回15冊も借りられる。これって東京共通なのか?

奈良は5冊までなんやけど。なんだこの格差は・・・

 

libweb.city.setagaya.tokyo.jp

 

 

僕はよく旅行中にその土地の図書館に立ち寄る。図書館ごとに雰囲気や蔵書の傾向が結構違っておもしろいし、その土地の地方新聞を読むだけでいろんなことがわかって勉強になる。

 

まだまだ行ったことのある図書館は少なくて20にも及ばないと思うけど、今日はその中で個人的にいいと思った図書館をまとめてみようと思う。

あまり多くはないけれど。

 

今後いい図書館に出会ったら更新します。

 

1.石垣市立図書館

 

石垣市立図書館

 

沖縄の石垣島にある、沖縄らしい赤い瓦屋根の図書館。

僕は沖縄出身の仲のいい友達がいるので何度か石垣島にも行っているんだけど、

ひとりで石垣島にいたときに大雨が降ってきてその間雨宿り的に過ごすことにした場所です。

 

館内に、おそらく沖縄の漁師が昔使っていたものを再現した小さな木造船の展示があり、沖縄らしさを味わえます。

蔵書も沖縄の歴史や文化を学べるものが充実していて、沖縄のことを知りたいと思った人は石垣に行く機会があれば寄ってみることをお勧めします。

 

 

2.京都府立図書館

京都府立図書館 | 京都府立図書館

 

京都市平安神宮岡崎公園のすぐ近くにある、古風なデザインの建物が特徴的な図書館。明治6年にできた日本最古の公立図書館が前身だとか。現在の建物は平成に建て替えられたが、明治時代の建物のデザインが使用されている。

一階から地下に降りる大きな螺旋階段がおもしろく、館内の閲覧スペースや自習スペースが充実していて、敷地が広く蔵書もかなり充実している。僕自身は利用したことがないが、古い時代の貴重な資料も多いよう。

 

 

 

3.Dokk1

English | Dokk1

 

デンマークのオーフスに2015年にオープンした新しい図書館。

海沿いにあって建物の形がユニークでおもしろい。周りには大きなクマの形の滑り台などの大人でも遊んでみたくなるようなおもしろい遊具があり、子供が遊べるフロアまである。返却された本を自動で仕分けする機械も導入されていて、屋根には2432㎡のソーラーパネルもあるらしい。かなり余裕のある自習スペースとずば抜けた蔵書数を誇る。

デンマークに行くチャンスがあればぜひ。

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4.奈良県立図書情報館

トップ | 奈良県立図書情報館

 

2005年にオープンした比較的新しい図書館。駅からのアクセスはやや悪いが、佐保川という奈良市を流れる桜や紅葉がきれいな川沿いの落ち着いた場所にある。図書館内で多くのイベントが開催され、奈良の文化や社会的なテーマにまつわる展示や、蔵書の特集を頻繁に行って好奇心をかきたててくれるのも魅力。館内には図書館カードの登録さえすれば自由に使えるパソコンが充実しており(2階ではマックのPCが使用できる)、今僕がこのブログを書いている図書館でもある。

 

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ではでは〜

良い一年を!

 

追記:

旅先で図書館を訪ねることが習慣になり、9月前半に旅行をした青森でもおもしろい図書館に出会えたのでメモしておきます。これから新しい図書館と出会えたら書き残しておこう。

 

5.十和田市民図書館

十和田市民図書館

towadaartcenter.com

現代美術館(上にリンク)などのある十和田市の中心地に位置する鉄筋コンクリート

できたおしゃれな図書館。なんと安藤忠雄氏の設計で3年前にできた新しい図書館です。

 

雑誌コーナーには自衛隊関連の雑誌や農業、漁業、アウトドアなど、青森の人の関心に寄り添った雑誌がずらりと並んでいておもしろい。

洗練されたデザインなのに落ち着いていて、とても居心地がいい場所でした。

現代美術館行くならついでにここにも足を運んでみてください。

 

ラマダンに興味あったのでこんな本を読んでました。

www.hmv.co.jp

6.八戸市立図書館

八戸市立図書館 | 八戸市立図書館のサイトです。

 

明治初期にできた、現有日本最古の図書館。現地にいくまで八戸に最古の図書館があることを知らなかったですが、今回いろいろ案内してくれた、八戸に住む友人に紹介されて行ってみました。

 

建物はさすがに古いのですが、意外なほどに特集コーナーが充実して、最新の書物も目立つ場所に展示されていておもしろいです。八戸に関係のない人は貸出できないのが少し残念。

 

「食」特集のコーナーにあって面白かった本。

www.kinokuniya.co.jp

 

 

7.八戸ブックセンター(図書館じゃなくて書店だけど)

8book.jp

 

 

 

ここは珍しく、行政が運営する書店で、地元の3つの書店の書店員さんが共同で販売などの仕事をしているようです。

 

たくさんは売れないような、マニアックな本が充実していて、それがめちゃくちゃ興味をそそり、興奮しっぱなしで頭が痛くなるほどでした。

 

ここのおもしろいのが、店内にハンモックがあること。立ち読みでも座り読みでもなく、寝ころび読みができてしまうんです。たぶんこんなことを都会でしたら常に誰かが寝ているだろうなあと思うのですが、ここは八戸。店内に人はあまり多くなく、ハンモックも空いていました。

 

八戸って人が多くないって本当に贅沢だよなあとつくづく感じる場所です。

 

八戸でキャンプしたりして自然満喫したので、自然に関する本を買いました。

www.kinokuniya.co.jp

またおもしろい図書館と出会ったら付け加えていきます。

耳栓の効用

 

 

4日後に京都から、勤めている法人のある奈良に引っ越すのだけど、7月末からの3か月強、出町柳から西ノ京まで電車+徒歩で1時間40分以上かけて通勤してみて気付いた耳栓の効用について少し書いておきたい。

 

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電車内のストレス

通勤時間が長いとは言え、京都から奈良に電車で通うのは比較的楽な方だと思う。というのも、京都に住んで奈良に通勤、通学をする人はあまり多くないので、朝晩の電車で座れることが多いからだ。

 

毎朝電車の座席に座って京都と奈良の県境あたりの、のどかな田園風景をのんびり眺めたり、ゆっくり本を読んだりすることができるのはむしろ幸せかもしれないとも思う。

けれど夜、一日の疲れがたまった状態で長い時間をかけて電車にゆられるのは、いくら席に座れたとしてもしんどい。

電車の走行音や振動に、やたらとうるさい車内アナウンス、知らない人が近くにいる窮屈さ…

 

 

パーソナルスペースの広さ

他人に近付かれると不快に感じる空間のことをパーソナルスペースと呼ぶが、僕はこれが人よりも広い。そのため電車の座席ですぐ隣に人に座られるとしんどく(交感神経が働き、緊張が高まる)、疲れているときにすぐ隣に人が座ったりすると、悪く思われないか心配しながらも席を立って人の密集していない場所に移ることさえある。

 

僕の場合、帰宅時は朝の通勤時間に比べて車内に人が多いことがほとんどなので帰りは特にしんどさを感じる。

 

 

刺激を減らして自分を閉じること

そんなとき音楽を聴いて気を紛らわせたり、持ってきた本を読むのに集中してみることもあるんだけど、仕事で頭を使ったあとだとそれもしんどくなる。とにかく情報を遮断してリラックスしたいとい思う。

 

そんなときに役立つのが耳栓だ。耳栓をして目をつぶれば、外界の情報をかなり減らせてリラックスすることができる。家の最寄の駅に帰ってきたときの疲労感は、電車で耳栓をしていたときの方がよっぽど少なく、電車を降りたときには疲労が回復してると感じることもある。

 

長時間通勤の人にはとてもお勧めのアイテムなので、一度試してみてほしい。

 

ちなみに、すでに多くの人に知られていることかもしれないが、耳栓は快眠アイテムのひとつでもあって、耳栓をして眠ると朝起きたときにすっきりすることが多い。いつもより短い睡眠時間で回復しやすいので、寝るときにつけるのもおすすめです。

 

 

ではでは