考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

9月3日に東京に行った話②ユニークなお金の使い方

 

前のブログを書いたとき、文章を書くモチベーションが上がっていて「短いのを何度か、しばらく続けて書きます」などと言ってたのに、2本目さえ書けないまま3週間以上がたってしまった。

 

kikikiron.hatenablog.com

 

久々にブログの閲覧数なんかを見てみると、誰にも読まれていない日があって、ああ、やっぱ書かないとこうなるんだなと、当たり前のことを確かめたような気分になった。

 

 

久しぶりなので最近の自分の状況の書いておくと、来年度以降の就職はいまだに決まっていなくて(来年3月に大学を卒業するつもりでいる)、20代の残りの期間、どんな場所でどんな働き方をするのがいいかなどを、普段と違う場所で働いたり、いろんな人に話を聞いたりしながら考えているところだ。

 

新鮮な経験をしたり、おもしろい話を聞けたりすることが多くてとても充実した日々を過ごしているんだけど、自分でもいろんなことを考えているうちに、様々な方向に思考が飛んで行く。

頭の中で考えている内容が日々どんどん変わっていって、少し落ち着かない。

こういうときこそ、毎日少しでも文章を書いたほうがいいのかもしれないと思う。

 

忘れたくないことも多いし、まとめて記憶しておけば、どんな経験でもあとで何かしらに生かせるような気がするから、とりあえず、物理的に不可能じゃない日は、1日30分程度、ブログに向かおうか。全部を公開するつもりはないけれど。

 

そうそう、最近数か月ぶりに話した好きな先輩から、普段人とのコミュニケーションの中で自分が感じたことを、2年間書き続けているという話を聞いた。

それを通して、自分という人間の輪郭を描き出し、自分がどういったことにストレスを感じ、あるいはどういったコミュニケーションに居心地のよさを覚えるのか、といったことを考えながら、人間関係に関する抽象的な思考を鍛えているらしい。

 

自分も数か月くらいは、文章を書くことを続けられたらいいなと思う。

 

 

9月3日に東京に行った理由

 

前のブログには、東京に行って考えた内容のうち、最も書きたいと思ったことを一切書いていなくて、そもそも東京に行った理由さえ、載せていなかった。

 

僕がこの日に東京に行った目的は、数年前から応援してきた、Living in PeaceというNPOのミーティング見学に行くことだった。

児童福祉施設の建て替えの費用を集めるなどの活動をしている団体で、詳しいことは以下のリンクまたは本(上:ホームページ、下:このNPOについて詳しく書かれた書籍)を読んでもらえたらと思う。

 

認定NPO法人Living in Peace

働きながら、社会を変える。|書籍|英治出版

 

 

東京で土曜日の昼に行われるミーティングの場で、上の本を読んだときからファンだったこのNPOの人たちと話すことができ、長い間(といっても3年くらいだが)あこがれていたその代表の方にもお会いすることができた。

 

ミーティングを見学し、メンバーの方々と直接話すことを通して、信頼できる団体だと確信したので、今後も苦ではない範囲で(学生の間は月1,000円だけ)定期的な寄付を続けることに決めた。

 

 

ミーティングの場から出て、帰る方向が一緒だったメンバーの方とも別れたあと、しばらく東京の街を散歩することにした。

 

とてもスピーディーに議論がなされるミーティングの場にいたせいで、黙って見学するだけだった自分も頭がフル回転していたし、あこがれの団体の人と話せた興奮が強く残っていた。散歩をしようと思ったのは、そんなヒートアップした頭をクールダウンさせるためだ。

 

興奮を冷ましたいときや、逆にネガティブな感情に襲われたときには、僕はよく外を歩く。ゆっくり足を動かすことで、頭に上った血を全身に戻せるような気がするし、遠くを見ながら体をほとんど無意識的に動かすことは、気分をほどよくポジティブにしてくれる。

 

NPOで今こういった取り組みをしてて、本業をしながらも空いた時間で子供の貧困を少しでも削減するために一生懸命働いている人がいる。まだ本業も決まっていない自分は、いったいどういった職場で働くのがふさわしくて、社会に対してどういった働きかけをすることが可能なんだろうか」

「社会問題にアプローチするにはやっぱりお金や、お金についての知識が必要で、そういった知識を実践的に得られる仕事に就いたほうがいいんだろうか。お金さえあれば、たとえ時間がなくても寄付という形でNPOの取り組みを応援することはできる。けれど自分には、金銭的な支援をするよりも現場でより直接的に働きかけるほうが向いてるような気もする…」

 

 

今回はミーティングの時間があまりにも刺激的だったせいで、ずいぶん歩いたけれど興奮はさめなくて、僕は人通りの多いある駅の前を通り過ぎようとしていた。

 

 

駅前では、黄色い上着を着た学生が、別のNPO法人の寄付を呼び掛けている。

聞けば、国際的な人道問題にアプローチしている世界的なNPOの、日本支部のメンバーらしい。

国際系のサークルにかつて所属していたこともあって、海外の社会問題にも多少の関心を持っている僕にとっては、そのNPOはとても有名な団体に思えたのだが、それでも月々1000円以上の寄付をする会員は、欧米の国々に比べて日本ではとても少ないのだと、その大学生は少し悲しそうに話していた。

 

いろいろ話を聞いてから、頑張ってくださいと声をかけて去った。

 

「やっぱり日本人にはまだまだ寄付をする人が少ないんだろうか。けれど日本にはすごい数のNPOがあるから、たまたま一つのNPOに寄付が集まらないからってそう決めつけるのはおかしいな。」

 

今年の正月に石垣島図書館で読んだ寄付についての本(下にリンク)の内容を思い出しながらそんなことを思ったあと、

「社会を変える」お金の使い方|書籍|英治出版

その日泊めてもらう友人の住む地域に向かう電車の中で、日本人の寄付について調べてみると、「日本人があまり寄付をしない理由」などと、寄付が少ないのを前提に書かれた記事が多かった。

 

日本では寄付というのは、まだまだ少数の人がする、ユニークなお金の使い方のようだ。

 

 

大してお金に余裕のない大学生が月々1000円の寄付をする理由 

 

今僕はバイトを3つかけ持ちをして、家賃スマホ代等の固定費を除いて月に7万円ほど使えるだけのお金を稼いでいるのだが、今月から月1000円の寄付(登録制で、毎月自動で引き落とされる)を始めた。

 

最初から無理をして途中でやめたくなかったので、あえて最小限の額にした。1000円であれば、友人と飲む場所を居酒屋から自宅に変えるか、1日の食事を具なしのうどんやパンなどの質素なものに変えれば節約できる額なので、今後自分が経済的に苦しんでいるときにもなんとか続けられるだろうと思っている。

 

 

寄付と聞くと、慈善活動とか社会貢献といったイメージを持つ人が多いかもしれないけれど、僕が寄付をするのはそんな高尚な理由からじゃない。

単純に、「自分のお金を、ほんの少しでも、日本社会を自分にとっての理想に近づけるために使いたいから」だ。

 

僕にとっての理想の社会が、「どんな環境で育った子供でも、ある程度将来の経済的な自由が保障される社会」で、それに近いことを目指しているのがたまたまLiving in Peaceだったので、そこに寄付をすることにしたというだけだ。

 

 

普通、社会なんて個人の欲望では決して変えれないもんだと思うけど、お金を使って、ほんの少しでも、社会を自分の望む方向に近づけることができるのが「寄付」という仕組みなのだと思う。

 

それに1000円の寄付なんて、社会に実際に与えるインパクトよりも、自分の欲求を満足させる意味合いのほうがずっと大きい。

 

 

 

これからも、僕は自分の欲望を満たすために、寄付をしていこうと思っている。

 

いつか、もっと直接的な方法で、できれば多くの人に喜んでもらえる形で行動を起こせたらいいんだけど。

 

 

 

この文章で何が書きたかったかっていうと、たぶん、寄付ってそんなに割が悪くないよってことだと思う。

9月3日に東京に行った話①お風呂の話

すごく久しぶりに文章が書きたくなったので、短いのを何度か、しばらく続けて書きます。

 

 

お風呂の話

 

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 銭湯でよく見るケロリン桶のサイズが、関西と関東では違うということをご存じだろうか。おそらく皆さんにとってなじみのある関西のケロリン桶は、直径21cm、高さが10cmであるのに対し、関東のものは直径、高さの両方がそれより1.5cmずつ大きいのだ。重さにいたっては100gも関東のほうが重い。

 

 

 ケロリンとは、内外薬品株式会社の鎮痛薬の名前である。東京オリンピックの前年、銭湯の木製の湯桶が衛生面で問題視されるようになり、合成樹脂製のものに取り換えられようとしていた。それに目をつけた当時23歳の陸和商事の営業担当が、「湯桶に広告を出しませんか」と内外製薬に持ちかけたのがきっかけで、全国に広まった。

 

それではどうして関東のものは大きく、関西のものは小さいのか。その理由は、関西と関東の入浴文化の違いにある。

 

 

 先日東京に行く機会があり、その夜、横浜の日吉にいる友人の家に泊めてもらうことになった。日吉駅の東側には慶応大学のキャンパスがある。西側は蜘蛛の巣のように、同心円状と放射線状に道があり、そこに学生向けの安い飲食店がたくさん並んでいる。友人の仕事がその日遅くまであるというので、会う前に銭湯で短い旅の疲れをいやすことにした。

 

 

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   日吉駅から北に7分ほど歩いたところにある銭湯は、浴室に入って正面の壁に富士山ではない山の絵が大きく書かれている。露天風呂があるのがうれしいが、 サウナが別料金なのは少し残念だ。大きなケロリン桶が、浴室に入るドアのすぐ左側に積み重ねられていた。

 体を洗ったあと、ケロリン桶を使ってかけ湯をし、湯船につかる。浴室全体を見渡すと、子供二人と父親の家族のほかに、おそらく慶応大学の学生や、ほかにも壮年の人たちが数人いる。子供たちは露天風呂から上がってそのまま水風呂に入っていく。近くにケロリン桶があるにも関わらずだ。サウナから出た大人たちは、シャワーで体を洗ってから水風呂に入る。なんと、浴槽に入る前にケロリン桶を使ってかけ湯をするのは自分しかいないのだ。

 

 風呂桶を使ってかけ湯をする文化があるのは、実は関西だけのようだ。ケロリン桶は、風呂桶を使ってかけ湯をする関西人にとって使いやすいようにと、入る湯の量が少なく持ちやすいサイズで作り直されたのだ。

 

 旅先で銭湯に入ると、その土地で生活している人たちの日々の生活を垣間見れたような気分になる。風呂に入りながら学生たちが話すとりとめもない内容に、ちょっとした文化の違いを感じ、彼らが話す方言によって、自分が普段住む場所とは違う世界にいることを意識する。横浜の人はやっぱりDeNAが阪神に勝つと喜ぶし、露天風呂で「競馬で6万負けた」などと友人どうしで話していた(おそらく)慶応大学の学生は、どう考えても自分より裕福だ。

 

 

 それにしても、小さいサイズのケロリン桶が京都、大阪と兵庫あたりでしか使われていないというから驚きだ。自分にとっての当たり前は、あまりにも多くの人にとって、当たり前ではないようだ。人を理解しようと努める前に、人に自分を理解してもらう努力をするべきなのかもしれない。

 

 

 

 

 (この文章は、関西のとあるパソコン教室の授業で筆者が題材に使った資料を加筆・修正したものです)

 

 

まとまりのない話

 

 

ほかの種類のブログはそうでもないですが、はてなブログでは、ひとつの記事につきひとつ言いたいことがあって、

タイトルにその要約をズバッと書いてるのがわりとオーソドックスなスタイルですよね。

 

僕がフォローしてるブログもそういうタイプが多くて、テーマを見て読むかどうか決めることができるから便利だしわかりやすいんだけど、どうも自分が書く立場になると、そういう書き方をするのが苦手みたいです。

 

なんでかな~って考えたのですが、一つの意見について記事にするとなるとそのテーマについてしっかり洞察して、ある程度掘り下げて書かないといけなくて、そうすることに自分はたぶんあまり慣れてなくて、結構エネルギーを使ってしまうからなんやろうと思いました。

 

学者とかに向いてないタイプの人間ですね(笑)

 

 

そういった得手不得手もあるし、単に、思ってることを適当につらつらと書くほうが楽だし、話が脱線しまくる方が書いてる側としては楽しいので、前回のブログもそうでしたけど、今回もまとまらないスタイルでいきます。

 

全然読者目線に立ててないけど、

たぶん、そういうブログも需要あるでしょう(笑)

 

近況

昨日、〇都市の地方公務員試験がありました。

 

受験会場は〇都市内のR大学で、教養90分、作文40分、専門90分という流れで試験があったのですが、

今年の作文のテーマは「過去5年間で対人関係で苦労した経験と、そこから学んだこと(600字)」というものでした。(一言一句正確ではありません、念のため。)

 

特定の知識が問われるわけではないので、だれでも書けるテーマではあるのですが、これが結構奥が深くて、いろんなことが書けるなあと。

 

たとえば、苦手なバイトの上司との関係とか、サークル内での対立とか、家族のこと、友人とのトラブルとか。

 

 

僕は家族のことを書いたんですが、ほかの人がどんなことを書いてるのかすごく気になるし、できることなら読んでみたいです。

ちなみにこの作文は点数化されず、二次面接の際に使われます。

 

同じ経験をしたとしてもそこから学ぶことは人それぞれで、自分の考え方とかがもろに出てくるおもしろいテーマだと思うので、よかったら読者の皆さんもちょっと思いめぐらしてみてください。

 

5年前にどんな人間関係で悩んでたかなあとか。覚えてへんか(笑)

 

 

治らない活字中毒

公務員試験前、当然勉強時間が長くて、心なしか目が悪くなったような気がしていたので、終わったらなるべく活字を見ない生活を心がけようと思っていたのですが、これがめちゃくちゃ難しいです。

 

試験前あまり読書に時間が割けず、知識欲が高まる一方だったので仕方ないのかもしれませんが、今日も図書館で7冊本を借りてしまいました。

 

もっと目を大切にしなくては…

 

このブログ書くこと自体も、あまり目にはよくないっていうね。

 

ウケる技術

www.shinchosha.co.jp

 

今日借りた本ではないんですが、おもしろい本を読んだので軽く紹介。

 

以前大学のショップで立ち読みをしてひとりで爆笑していた本で(傍から見るとわりときもい)、日常会話でウケるための話術を、フェイクツッコミ、ディテール化、深読み、俯瞰など、項目ごとに解説や使い方のコツを例とともに載せてくれている本です。

 

僕は、小学校の頃の兄との会話を除けば家庭内でろくなコミュニケーションを経験せずに育ったこと、中学生のころ転校先の学校になじめずにあまり人と話さない学校生活を送っていたことなどから、言語発達やトーク力が未熟です。

そのためコミュニケーションにはかなりコンプレックスがあり、大阪出身であるにも関わらず、あまり狙って笑いをとれないことに引け目を感じています。

 

エピソードトークでしっかり笑いをとれる人、安定しておもしろいがために話していて安心できる人、適切な返しやフリで周りの人までもおもしろくしてしまう人たちを見て、強いあこがれを抱くとともに、これだけの話術があればどこでも生きていけるんやろうなあと、その逞しさが自分にないことを呪うことさえありました。

 

この「ウケる技術」にはお笑い芸人が使うようなハイレベルのテクニックも多いですが、初心者でも気軽に挑戦できそうなものもたくさん載っています。どれが自分にできそうかをよく見極めて、仲のいい友人との会話で試して慣らしていくようにすれば、たぶんケガしないはずです。

 

実は9年前に書かれた本なのですが、”ウケるフレーズ”ではなく”技術”についての本なので、今でも十分役立つかと思います。

もし僕と同じように、コミュニケーションにコンプレックスのある人にはほんとにおすすめです。

 

ちなみに共著者のひとりである水野さんは「ウケる日記」の著者であり、LOVE理論や、最近終わったTBS系の金曜ドラマ「私、結婚できないんじゃなくてしないんです。」の原案の著者でもあります。

この本についてまとめたブログとかもネットにあるので興味ある人いたら調べてみてください。

 

 

 

ゴーヤチャンプルーがおいしい季節になってきた

実際はいつでもおいしいのかもしれないし、苦手な人には夏でもまずいんでしょうけど、やっぱり夏といえばゴーヤチャンプルーですよね。

 

 

以前タイカレー屋さんで働いていたせいでタイカレーが大好きになってしまった僕は最近家でタイカレーばかり食べていたのですが、このままだと栄養が偏ると思い、ゴーヤチャンプルーを作ることにしました。

 

今では有名な話かもしれませんが、チャンプルーって混ぜるっていう意味なので、言ってしまえばゴーヤが入った炒め物は全部ゴーヤチャンプルーなんですよね。

 

僕が今日作ったゴーヤチャンプルーは、ゴーヤと豚肉を炒めて最後に卵を入れただけのシンプルなものなんですけど、結構うまかったです。

 

最初にゴーヤの塩もみは忘れずに。

味付けはテキトーですが、酒とヒガシマルのラーメンスープ、オイスターソースを使いました。

 

ゴーヤの苦みが好きな人は、カレーにゴーヤ入れるのもおすすめです。苦みがアクセントになって食が進みますよ。

 

 

 

沖縄の基地問題について

参院選の前に、沖縄の基地問題について勉強しておきたいなあと思っています。

自分が沖縄の人に今までたくさんお世話になったというのが大きいのですが、池上彰さんの日本現代史の本などを読んでいても、日本政府に最も苦しめられてきたのはおそらく沖縄だろうと思うからです。

観光以外に目立った産業の少ない沖縄は、県庁や琉球銀行が人気の集中する就職先で、物価のわりに最低賃金が低く、月10万円以下で暮らしているフリーターの数も少なくないと聞きます。

 

僕がどの政党に入れたかによって基地問題が変わるなんてわけはないのですが、今の選挙での判断が今後の自分の考え方や行動に影響するってことはあると思うんです。

 

基地問題や沖縄の現代史について人に説明できるようになりたいのですが、著者の主張などが強すぎない、いい意味で教科書的な本が見つからないので、もしそういったものを知っている人がいれば教えていただきたいです。

 

 

 

ではでは。