考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

最近読んだ本と登った山と行った銭湯のメモ

なんて雑なタイトルなんだろう。

 

昨日は滋賀の先輩の家で味噌作りやコーヒーの焙煎をしたあと手作りのケーキをいただいたりしながらいろんな話をして、そのあと京都の友人宅で泊めてもらった。

すごく満たされたいい時間だった。

おかげで今ぼーっとしていて眠い。久しぶりの4連休の2日目。

 

 

ラッキーなことに、最近図書館で借りた4冊の本が良くて、なんとなくメモしてみる。

京都・一乗寺の本屋、恵文社の店長が日々経験する、「左京区

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僕はつい2年前まで京都市左京区一乗寺のすぐ近くに住んでいて、下賀茂神社や高野川やラーメン街がすぐそばという最高の立地だったんだけど、恵文社も近かったので何度か足を運んでいた。恵文社には他には置いていないようなおもしろい本や雑誌、漫画が多く、行くとついつい、大学生にはちょっと高めの本を買ってしまう。だから行くこと自体がちょっと贅沢な感じがして、頻繁には行っていなかった。この本を読めばそのことが悔やまれる。「他のことを節約してでも、もっと行っておけば良かった」と。

 

店長が書いたこの店の20年くらい前の話。特に店長がバイトをしていたころに本や漫画の世界をたくさん教えてくれたという二人の先輩の話は魅力的で、ぼくのいた京大の教育学部にも、自分の関心のあるテーマや研究について楽しそうに話してくれる人がいたなあと思い出して、懐かしくなった。

 

他にも訪れたことのある店や場所がたくさん出てきて、何度も懐かしさに胸が躍って、今回出町柳に久しぶりに遊びに行こうと思うきっかけになった。

 

久しぶりに京大も行ったけど、吉田寮には立て看板が戻っていて驚いた。友人に聞けば、受験や学際など、期間限定ならタテカンを出していいということになったのだとか。

 

たまにこういう、京大らしさが現れるほうがおもしろくていいかもしれないね。

 

がけ書房や六曜社や柳月堂、レンタサイクルのえむじかなど、馴染みのある店の話が出てくるたび、大学時代の友人や、当時付き合っていた人との思い出なんかがよみがえってきて、当時の気分に一瞬でタイムスリップできた。左京区で大学時代を過ごした人にはめちゃくちゃお勧めの本。

 

戦後60年が経ってから始まり、10年以上続いた沖縄戦経験者の語らいの場

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この本はとにかくすごい本だ。

当時まだ20代だった大学院生が沖縄戦を経験した人の話に興味をもち、臨床心理士になって大学に勤めるようになってから沖縄県内の各地で続けた、経験者が集まってグループで話し合う、語らいの場のことがまとめられている。家族全員を失ったとか、人を殺してしまった罪悪感とか、臨床心理士としてファシリテーターとして、事実だけでなく本人の心情に丁寧に向き合って話を聞いていく。

 

マスコミの取材はすべて断ったという、月一回の語らいの場の取り組みやそこで出てくる戦時中のエピソードも相当に感情が揺さぶられるのだけれど、語らいの場でのやりとりをきっかけに変化していくおじいちゃん、おばあちゃんたちの思いや過去の記憶との向き合い方などが丁寧に描かれていて、まるで自分も筆者と一緒にその場にいるかのような引き込まれ方をした。

 

本で泣くことが最近ほとんどなかったのだけど、この本は涙なしでは読めなかった。

どんなドキュメンタリー映画よりもすごい本だと思う。日本中の人に勧めたい。

 

 

大人たちがドイツの占領を受け入れたデンマークでドイツ軍に抗う10代の若者たちの、命がけの挑戦

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ヨーロッパの地理に詳しくない人がたまに、デンマークスカンジナビア半島にあると誤解していることがあるんだけど、デンマークはドイツの北に隣接しているユラン半島とその他多くの島からなる国で、スカンジナビア半島にはない。

 

国の位置以上に知られていないと思うのが、この国が第二次世界大戦でドイツに戦わずして占領されていたこと。

デンマーク好きの日本人はだいたい、あえて戦わずに占領を受け入れたことは、国民を死なせないためのトップの懸命な判断だったと評価している(僕も同じように思う)が、当時の一部の若者たちにとって、政府の決断は許しがたいものだったらしい。

ドイツと戦ったノルウェーやイギリスの英雄たちに憧れてチャーチル・クラブと自分たちのグループを名乗った10代の若者たちが繰り広げたドイツ兵に対する妨害活動は、彼らが逮捕され投獄されることでさらに有名になり、戦争の中盤以降がレジスタンスが広がっていく大きなきっかけとなった。

 

まだまだ幼い感性を残した思春期の少年たちが命がけで、祖国の誇りを取り戻すために親や周りの大人、同級生にも隠しながら、秘密裏に車の破壊や放火などのさまざまな妨害活動を繰り返していくさまは読んでいてドキドキする。児童書だけど、ほとんどの人が知らないであろうデンマークの歴史の1ページが、高齢になった主人公への筆者のインタビューによって詳細に書かれた一冊で、デンマーク好き、歴史好きなら、読んでおいて損はないと思う。

 

沖縄戦を生き抜いた人びと」では語らいの場に集まった人たちが自分の人生を振り返って話すが、この本でも、デンマーク人の登場人物のその後の人生のことも最後に短く紹介されていて、戦争というものが人に与える影響の大きさも、静かに教えてくれる。

 

 

金融危機後の一時期、失業率が30%を超えたスペインで始まった新たな生き方

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失業率があまりにも高くなれば、失業というものを捕らえなおす必要が出てくるんだろう。

この本はまだ途中までしか読んでいないのだけど、2008年の金融危機以降失業者が大幅に増えたスペインで起きたこと、日本のマスコミではほとんど紹介されない、危機をきっかけに新しい取り組みが生まれ、人々の価値観が転換していく動きを、自分自身、大学卒業以来、一度も雇用されたことがないという日本人の著者が描いている興味深い本。

 

これから一気に読みます。

 

 

 

畝傍山と栄温泉

橿原神宮のすぐ近くにある大和三山のひとつ、畝傍山(うねびやま)は標高200m弱の山。山登りが好きでしかもそれが健康にもいいらしいことを知った僕は暇なら山登りをしようと決めて、予定のない休日は積極的に登ったことのない山へいくようにしている。

低山が多いけれど、数えたらこれが、奈良県内でも11ヶ所目の山だった。

同じく大和三山耳成山がそうだったので、畝傍山もすぐ登れるだろうと思って昼3時ごろに出発して電車で向かう。

 

登り口がよくわからなかったので歩いているときに出会った地元のおばあちゃんに道を教えてもらって、北西側から登った。1時間もしたら暗くなりそうな時間帯だったので少しあせって急いで登ったら20分もしないうちに山頂についた。

山頂の見晴らしはそんなによくなかったけど耳成山が見下ろせたり、たぶん夕焼けを見ようとして地元の人たちが数人、個人で登ってきているのに出くわして、なんかいいなあと思ったり。

www.city.kashihara.nara.jp

降りたあとは、駅近銭湯、栄温泉へ。ジェットバスのところに植物が置いてあるのが珍しい。番台のおっちゃんにタオルを貸してほしいというと値段を言われなかったのでただでいいのか聞くと、「普段は1000円やけど今日は特別や」と大阪風の冗談を言ってくるのも良かった。

 

風呂を出た後、脱衣所のテレビでは炊き込みご飯特集みたいなのをやっていて、それをみながら「おなかすいたわー」と独り言をいう番台のおっちゃんに「こんな番組見るからや。ニュース見とき」と顔なじみの常連らしきおっちゃんが突っ込むのも面白い。

 

登山後の銭湯は最高に気持ちよく、初めての山と初めての銭湯に行けば手軽に旅気分が味わえる。そういえば山も銭湯も留学先のデンマークにはなくて、日本を離れてからそのありがたみに気づいたなあ。大事にしていきたい日本の魅力。

 

今僕が勤めている職場が働きやすい理由。

 

 

こないだ教師をしている友達と話していて、今でも高校生とかの若い人に、福祉職が大変な仕事と思われていると聞いたし、僕の職場で実際に次年度の職員の採用がうまくいっていない状況があるから、日ごろなんとなく感じているいまの職場の働きやすさについてまとめてみようと思った。

 

個人と環境の相性というのはあるから、いまの職場が快適なのも、僕にとって働きやすいというだけかもしれない。

他の人が働いてみてどう感じるかはわからないし、このブログを読んだ人に僕のいる職場で働くことを勧めるわけではないんだけど、いろんな現場でいろんな仕事をしている京大卒の友人に比べて、自分の職場は恵まれてるなあと思うことが少なくないから、そういう、世間のイメージとのいい意味でのギャップを、言語化して、発信してみたい。

 

 

僕の職場

僕は今、奈良県にある社会福祉法人わたぼうしの会というところで働いている。

40年以上前からある団体で、昔は障害のある人の親たちのボランティア団体だった。

地域の人や関係者には、昔からの呼び名である「たんぽぽの家」と今でも呼ばれていて、職員も正式名称の「わたぼうしの会」ではなく「たんぽぽの家」と自分たちの職場を呼ぶ。年に2回、大規模なバザーのイベントや障害のある人の思いを歌に乗せた音楽祭も歴史が長く、奈良県障がい者福祉の業界では有名みたいで、近年できたGoodjobセンター香芝のことは、全国的なウェブメディアや新聞などでもよく取り上げられている。

soar-world.com

 

 

部署によっても違うからたんぽぽの家がすべてそうというわけでもないけれど、今僕が「有縁のすみか」という福祉ホームと生活支援センターという2つの部署で働いていて働きやすいなあと思う点についてまとめていく。

 

 

勤務日と勤務時間が人によってばらばら

生活の支援をする福祉の仕事は、毎日誰かがいないと回らないから、土日休みではなく休日がばらばらで毎月の勤務日が人によってばらばらというのはよくある話だと思う。

 

それに加えて、僕の職場は勤務時間も人によってばらばらで日によっても違うから、定時というものが存在しない。

ホームヘルプやガイドヘルプ、障害のある子どもを放課後に関わる児童デイも含めて、利用者と関わる仕事を”ケア”と僕の職場では呼んでいるんだけど、ケアが午後だけの日は午後から出勤することも普通だし、ケアとケアの間に事務的な仕事をするか休憩をするかはその人の自由だ(期限が迫っていなくて後回しにできる限りは)。

 

昼食の時間も決まっていないから、おなかがすいたら11時にひとりで昼ごはんを食べることもよくあるし、ケア中に利用者と一緒にごはんを食べることもある。

 

先輩や周りの人たちのことを気にせずに遅く出社したり早く帰ったり、ケアがない限り好きな時間に休憩できるのは魅力だと思う。

 

あと、月4日の希望休や有給が自由にとれるから、プライベートの楽しみも持ちやすいのも大きい。

ダイビングとか旅行とか野球とか、職員それぞれが趣味を持っていて仕事以外の時間も大事にしていていい。

 

人間関係がフラットで寛容で、互いに干渉しすぎない

 

僕がこの職場を選んだ理由のひとつに、人間関係のよさというか、職員の人との関わり方が好きだったから、というのがある。

障害福祉の現場では、日々利用者との関わりのなかでいろんなことが起きる。利用者が興奮して暴れることもあれば、鬱になることもあるし、それでなくても普段から障害のある人というのは個性的というか、一般的な価値観や常識(そういうのが実際存在するかはわかんないけど)をあまり気にせずに生きているおもしろい人が多い。

 

日々そういういろんな人と過ごす障害福祉の現場のスタッフは、人に対する受容度が相当に高くなる。受容度なんて言葉は日本語になかったかもしれない。要するに、相当いろんなタイプの人を受け入れる寛容さをもっているということだ。

 

だから新しい職員が多少常識がなかったり、苦手な部分や強い個性を持っていたりしても、いったんそれを受け入れてくれる。そもそもベテラン職員にもかなり得手不得手があって、それはそれでいい、得意な部分を生かしたらいいという考え方を多くの人がしているように思う。

 

外から入ってきた新人の意見を大事にしてくれたり、若手の意見を対等に聞いてくれるところもありがたい。日々いろんなことが起きる現場で、直接利用者を見て関わっているのは若手もベテランも皆同じだから、年配のスタッフが見ていないことを若手が見て知っていることは当然あるし、利用者と年の近い若手のスタッフの意見のほうが貴重ということがあるからかもしれないけど、たぶんそれ以上に、この組織の理事長が上下関係を嫌っているというのが大きいのかもしれない。理事長個人の話になるのでブログに書くのははばかれるから、この点については掘り下げないけれど。

 

デンマークに留学していたときに上下関係のほとんどない学校で先生や他の生徒と関わっていて、それは相当心地よかったんだけれど、今の職場でもあまり窮屈さを感じることなく過ごせているのは一人ひとりの意見を大事にする価値観があるからだと思う。

 

昨今、パワハラという言葉が有名になって他の多くの職場でも意識されているのかもしれないけど、仕事に関しても必要なことの説明だけで、利用者の関わり方について、あまり干渉されることもない。その人なりの関わり方を利用者の関係のなかで時間をかけて作っていくのがいいという考えかたがある。マニュアル的なものもほとんどない。

けど仕事に悩んだときに気軽に話せる先輩や同僚はいてくれるから、最高かもしれない。

 

奈良という土地のよさ

僕は都会の人ごみがあまり得意じゃないから、大阪や東京などではなく、奈良で働くことを選んだ。

奈良市というのは、京都や大阪へのアクセスが抜群に良い上に自然も身近にあり、地価も安いけど暮らすうえでなんの不便もなく最高だと思っている。これについてはいつかまた別で書きたいとも思っているんだけど、その魅力は仕事中にも感じる。

 

利用者の家などに車で行くときに富雄川という景色のいい川を通ったり、平城宮跡を通ったりすることがあるんだけど、仕事中なのにドライブ気分を味わえて楽しい。

狭い道が多いのと、大通りは混んでることもたまにあるのでストレスもなくはないけれど、都会で仕事中に運転するよりもずっといいだろうと思う。

 

あとは、奈良がそうなのかうちの職場だけがそうなのか田舎はどこもそうなのかわからないけど、野菜や果物をいろんな方からいただくのが、一人暮らしには本当にありがたい。あまったものを分け合う文化みたいなのを、大阪で昔住んでいたころよりもよく感じる。

 

職場に優しい人が多いのも、奈良県の県民性みたいなものもあるのかなと思うこともある。

僕が育った大阪に比べて口が悪かったり気性が荒かったりする人は少なくて、基本みんな優しくていい人なのがすごいと思う。

 

途中から書いているのが職場のことなのか奈良のことなのかわからなくなってしまった。

 

とにかく世間で言われているイメージよりはるかに今の仕事は楽しいと思うし、利用者とのかかわり方は人それぞれに違ってよくて、それはつまりコミュニケーションという、福祉の仕事の大部分はスタッフの自由にできるんだなという感覚を、今の職場では持てている。

 

でもこういうことって、求人のビラには書けないし外の人には伝えにくいよなあと思う。

今でも訪問客がたくさんいる職場やけど、同世代の若い人たちにもっと遊びにきて、その雰囲気を味わってほしいし、実際に働いてみてこのおもしろい仕事を体験してほしい。

 

そういう自分も、他にもやってみたい仕事はたくさんあるし、これからの時代、転職する人はさらに増えていくと思うけど、給料や待遇面だけでなく、実際にその仕事をしている人と話して具体的な話のなかでおもしろさを知れる機会がたくさんあればいいなあと思う。

カフェとか、外で焚き火をしながらとかのフラットな雰囲気で、趣味の延長みたいな感じでそういう場をもてたらいい。

 

 

銭湯日記。2/10 奈良市京終「ほてい湯」、2/17 京都市右京区・西大路「天翔の湯」

 

2/10 奈良市・京終「ほてい湯」

大学の頃に下宿していた京都市左京区は銭湯がとても多く、大学でその日の勉強を終えたあとで近くの銭湯に行ったり、下宿の近くの銭湯に友達を誘って行ったりし
ていた。水風呂が冷たいところとか、広くてサウナが2つありゆったりできるところとか、気分によっても使い分けられる銭湯が5~6個は近くにあった。

時には天然の温泉を楽しめる違う区の銭湯まで、銭湯好きの友人と自転車で30分くらいかけていくこともあった。

 

それに比べると、今住んでいる奈良は銭湯が少ないと感じていた。広く、サウナやジェットバスなどが充実しているスーパー銭湯はいくつかあるけれど、昔ながらの
、小規模な銭湯はあまりない印象だった。

奈良に越してからしばらく足しげく通っていた400円台で入れるスーパー銭湯は、サウナや漫画コーナーなどが充実しているのに一般の銭湯と同じくらい安いことに当初感動していたけれど、10回以上行くとさすがにその喜びは薄れてくる。

 

旅先でゲストハウスに泊まる前、夜散歩していてたまたま見つけた銭湯に入ったり、登山のあと、ふもとの駅の近くの銭湯に足を運んで癒されたり、行ったことのな
い銭湯に行く経験こそ、わくわくしておもしろいものだ。

ふと、以前サイクリング中に通りかかって気になっていた銭湯が奈良にもあったことを思い出した。「ほてい湯」という名前の銭湯。調べたら、JR京終駅のすぐ近
くだった。

 

僕は旅が好きなんだけど、遠出をすると交通費が馬鹿にならないし、そんなに給料のいい仕事をしているわけでもない。
だからある日、マイクロアドベンチャーという言葉に出会ったときは嬉しかった。
「家の近所を冒険すること。」ある冒険家が、南米の大自然を旅行するのと同じくらい、家の近所の冒険でも楽しむことができたと語っていた。

昔からずっと住んでいる場所でもない限り、家の近所や、最寄からいくつか離れた駅の近くにほとんど行ったことがないということがある。僕は今JR奈良駅から自転車で10分くらいのところに住んでいるんだけど、駅の南側の地域にはあまり行ったことがなかった。

JR奈良駅から和歌山や桜井方面に伸びる万葉まほろば線。ほてい湯のある京終駅は、その線を一駅南に進んだところだ。普段電車に乗って銭湯に行くなんてことはしないけど、マイクロアドベンチャーのつもりで、一駅だけ電車に乗って銭湯にいくことにした。ちょっとした贅沢感。

 

仕事が早く終った日の夜の奈良駅
普段は使わないホームの、ほとんど乗ったことのない2両編成の電車に乗る。

一駅なのにずいぶん長く感じた。そして京終駅に着いたんだけど、僕の乗っていた2両目の車両はドアが開かず、降りそびれてしまった。田舎の駅だから前の車両しか開かないらしい。アナウンスを聞いていなかった。

仕方なく、2駅目の帯解駅で降りて、引き返す。帯解駅のホームには暖房の効いた待合室がなくて寒かったけれど、初めての駅で電車を待つのはちょっと旅行っぽくて新鮮な気分になる。座っていたホームのベンチには、地元の大学生か高校生かの、男子二人組みがいて、夜9時前に、電話で女友達を呼び出していた。

なんだか若さを感じるし(僕もまだ26歳なんだけど)、夜にいきなり友達を誘ったりできるのもいちいちローカルな感じがしていい。

 

折り返してやっとついた京終駅

駅からすぐの銭湯は、わりと最近建て替えられたのか、綺麗な内観だった。
脱衣所も浴室も余計なものがなくてシンプルで、でもミストサウナと普通のサウナが階段の上下に分かれていて楽しい。

水風呂は冷たすぎず、サウナも熱すぎずちょうどいい温度で、でも湯の温度は少し熱めで、寒くて体が凝っていたから最高に良かった。

 

十分にあったまって、帰りは歩いて帰ることにした。
歩いて帰っても家までの道の途中に、JR奈良駅を通ることになる。
今回は節約中なのでしなかったけど、銭湯にはいったあと奈良駅の王将に寄って餃子と野菜炒めとかで一杯やれたら最高だろうなと、妄想したらわくわくした。今度絶対やろう。

 

2/17 京都市右京区西大路「天翔の湯」

ある雑誌で東京の餃子屋の店主のインタビューを読んで以来、餃子に興味を持っていた。食べ物に興味を持つ、というのも変な表現かもしれない。これまで自分は、餃子を特に好んで食べることはなかったし、今も餃子が好きで食べたいというより、餃子との向き合い方を楽しんでいるといったほうが近い。

 

これまでも王将に行けば餃子を頼むことも少なくなかったし、おいしいものだとは思っていた。友達の家で一緒に餃子を作ったこともある。けれど、自分好みのラーメンを店で初めて食べたときとか、空腹時にジューシーなから揚げを食べたときのような感動を、餃子で味わったことはないような気がする。

 

餃子って中途半端な食べ物なのかもしれないと思う。
肉の旨みや野菜の甘さを薄い皮で包んでいる。 

一個のなかに野菜も肉も小麦(炭水化物)も入っていてバランスがいいけど、バランスのよさゆえにすぐに脳に快刺激が伝わるようなおいしさとは違う気がする。


たしかにおいしいけれど、肉汁を全面に押し出した小籠包などに比べたら質素でまろやかだ。決して刺激的な食べ物ではないし、刺激的なおしいさをよしとされる食べ物でもないんじゃなかろうか。

雑誌で読んだインタビューでも餃子屋の店主が、「餃子は毎日食べるものだから感動的なおいしさでなくていい」とかって言っていたような気がする。

 

じゃあ、僕も毎日食べたいと思えるような餃子を探そう。そしていずれ、自分でも、最高に自分好みの餃子を作れるようになろう。

そう思っていたから、京都で大学の友人と会うことにしたときも、一緒に餃子を食べに行こうと誘った。「ミスター餃子」という人気の餃子屋が、東寺の近くにあるらしい。


銭湯の話をしよう。


天翔の湯は、京都駅からもそう遠くない、京都市右京区西京極駅西大路駅の近くにある銭湯だ。

たしか大学1回生のときだ。数百人は入るような大教室の一般教養の授業のあとで話しかけてきた工学部の男子と話が盛り上がって意気投合した。彼が大の銭湯好きで、ほどなく一緒に銭湯に行く仲になった。

その友達が勧めていたのが天然温泉が出るという天翔の湯だったけど、当時ぼくが住んでいた左京区の高野からはあまりに遠すぎたので、一度もそこへ行くことなく僕は大学を卒業して京都を離れ、自転車で1時間近くかけてその銭湯へ行っていた友人も東京へ引っ越してしまった。


今回会う約束をした友人は京都で教師をしている。ミスター餃子と天翔の湯が地図で見たら方向的に近かったので、餃子の前に天翔の湯へいくことにした。彼の住む家から天翔の湯が近かったから、良かったら一緒に行こうと誘ってみた。


早くついた僕は先に銭湯に入り、1年か2年ぶりに会うその友人とは素っ裸で再会した。

 

天翔の湯も良かった。

日曜日だったから人は多かったけれど、天然温泉の露天風呂にはかなり癒された。
熱いサウナと気持ちいい冷たさの水風呂。ジェットバスの水圧が強すぎないのもいい。

途中で友人が来たから長くなったのもあるけど、1時間は露天風呂、サウナ、水風呂を繰り返していたように思う。サウナのテレビでは電車好きの芸能人が、今は走っていないものも含めて、人気の車両を見て回るクイズ番組をやっていておもしろかった。番組の内容とは関係ないけど、最近は近鉄でも足湯列車とか、いろんな電車があってすごい。

 

天翔の湯からミスター餃子まではなんだかんだ歩いて30分くらいはかかった。
お互いの仕事のこと、近況、大学の友人のことなど、いろんな話をしながら、その友達も行ってみたかったという、九条通りを一本北へ入ったところにあるその餃子屋へ向かった。

 

餃子屋は空席がなかったけれど、あまり待たずに入れた。

2人で餃子5人前とから揚げを食べ、お酒を飲みながら、教育や福祉の現場の話で盛り上がった。他の職業や現場の人と関わる機会を持ちたいと聞いて、何か交流できるイベントでもしようと話した。

帰り際、また他の餃子屋にも行こうと話して、東寺の駅で別れた。