考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

京都と銭湯と自転車

 

 

 

今朝、10時の開店前に借りていたCDを返しにTSUTAYAに向かった。

僕が行くTSUTAYAは、八坂神社のある四条通から北に数えて6本目の大通りで、たぶん京都市最北の大通りでもある北山通りの南側にある。

1階に書店、2階にレンタルDVDやCDがある比較的広く品揃えのいい店舗で、北山通に面する入り口からは五山送り火の一つである「妙法」の「妙」の字が書かれた山が正面に大きく見える。

 

市街地から10分ほど自転車で走るだけで緑豊かな風景を見ることができるのは京都の魅力だと思う。

 

北山通TSUTAYAに行くとき、僕はいつも高野川沿いの道を北上する。

高野川は、京阪電車の北の終着駅、出町柳賀茂川と合流する川だ。

鴨川デルタの東側を流れ、西側を流れる賀茂川と出会って「鴨川」となる。

 

春は桜がきれいで、休日には散歩やランニングをしている人も多い。

 

桜の花はもう散ったが、今は葉桜がきれいで、その道を自転車で走るだけですごく気持ちがいい。今の季節、朝の空気はとても爽快で、できることなら毎朝この川を自転車で走りたいと思う。

 

 

 

 

話は変わるが、最近、僕にこのブログを勧めてくれた友人がブログの更新を再開してくれてうれしく思っている。

ficklenote.hateblo.jp

その友人と水曜日に二人で飲んでいて、同世代の会話をブログに載せたいという話になった。

個人の意見や日記、ハウツー記事もいいけれど、対談形式のブログを読んでおもしろいと思うことが僕は多く、そんなものを、誰に必要とされるわけでもなく、自分たちがやってみたいという理由だけではじめてみるのもいいんじゃないかと思ったのだ。

 

「次のブログでパナマ文書やタックスヘイブンについてまとめてくれるらしくて楽しみ」などと、上にリンクを貼ったブログで書かれてしまったのだが、残念ながらまだ本を満足に読み進められていない。

 

なので今週は、前々から書きたいと思っていた銭湯の話を書くことにした。

 

 

 

銭湯と自転車と青春

 

銭湯に自転車で行くときは、クロスバイクのようなスポーツバイクよりも普通の自転車の方がいい。腕を伸ばさないでいい、カマキリ型ハンドルのものがあればベストだ。

 

クロスバイクだと前傾姿勢になって手にいくらか体重がかかるから、どうしても肩に力が入ってしまう。せっかく銭湯で血行をよくして筋肉をゆるめてふにゃふにゃになったのに、帰りに肩に力が入ってしまうのなんとなくもったいない気がする。

できることならふにゃふにゃなまま家に帰ってベッドまで行きたい。

 

カマキリハンドルの自転車で、小さく鼻歌でも歌いながら人通りの少ない夜道を家まで帰りたい。

 

 

 

 

銭湯が好きだ。小さいころによく親父に連れられてスーパー銭湯に行った記憶があるが、大学に入ってから、友人に誘われて銭湯に行ってその気持ちよさを改めて知り、ひとりでもよく行くようになった。

 

僕の住む京都には銭湯が多くあり、比較的近くて複数回行ったことのある銭湯を数えたら5つ以上あった。

銭湯によって、湯の温度やサウナの熱さ、浴室全体の広さ、休憩スペースの本や新聞の種類など様々で、その日の気分で行く場所を変えることもある。

 

最近のお気に入りが、修学院にある銭湯だ。

サウナが2種類あって水風呂も快適な冷たさで、なにより浴室が広いため空間の使い方が贅沢で、とてもリラックスできる。

休憩スペースに大画面のテレビがあるのも魅力だ。

 

 

 

就職で京都を離れた友人にもらったカマキリハンドルの自転車でその銭湯に向かい、番台でお金を払う。

大画面のテレビで睡眠の特集のようなものをやっていて、昼寝は体力を使うから避けたほうがいいなどと学者らしき人が言っているのを目にする。

最近よく昼寝をしていたので気になったが、途中でCMになったので番台前で長い間立っているのをやめて男湯の暖のれんをくぐり、服を脱いで浴室に入る。

 

体を洗ってから一番大きな熱めの風呂に入る。

父親らしき人に連れられて入っている就学前ぐらいの元気な子供が来て、湯の温度が熱すぎたのか、水風呂の水を桶で組んできてその浴槽に入れている。

 

まあ、別にいいか、どうせ風呂のお湯はすぐ循環するからそんな冷めないし。と思いつつ、子供の動きを見てるとあまり落ち着かないので、水風呂に移動する。

しばらくして、サウナに入っていたその子の父親が、子供をサウナに入れようとする。子供にはやはりサウナは熱いみたいで、その子はさきほど熱いお湯に入れたように、水風呂の水をサウナにまこうとしている。

 

 

さすがにそれはあかんやろ~というささやかな怒りと、でも自分が子供やったら同じことをしたかもしれへんなあという無意味な共感の混じったどっちつかずの気持ちでそれを見ていると、何度目かで父親が子供に注意をした。

 

そもそもそんな小さい子をサウナに入れようとするなよというつっこみと、でも子供から目を離したくない親心もわかるししかたないか~と、これまたどっちつかずの感情を抱いてその親父のことを考える。

 

でも、子供を銭湯に連れていくのって、憧れる。

自分も家族がほしいと、最後はその父親をうらやましく思う。

 

 

そのあと偶然教え子と浴室で出会って、休憩室で近況を話しあったりして、元気にしてることをうれしく思いながらカマキリ自転車で家に帰る。

 

 

一回生のころからよく行っていた銭湯にはいろんな記憶がある。

バイトのことで悩んだ時には銭湯に癒され、たまに銭湯で友人と熱い議論を交わしすぎて喧嘩になりそうなこともあった。

気が付けば銭湯での思い出はいっぱい溜まってるなあとちょっとしみじみしたあとで、まあでもそれって異性との思い出は一切ないわけやからちょっと寂しいなあと冷静になって思う。

 

 

青森で研究をしている友達との電話で、東北には混浴の文化があると聞いたのを思い出す。

 

おばちゃんばかりでもそれはそれでおもしろそうやし、その友人に会いに青森に行くときには行ってみようと思い、

その前に京都でもいろんな人ともっと深くかかわっていきたいなあと思う日々です。

 

 

 

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