9月16日から18日までの三日間、京都大学のデザイン学連携プログラムや情報学大学院の情報科などの方たちが主催されたサマーデザインスクールというものに参加してきました。
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http://www.design.kyoto-u.ac.jp/sds2015/index.html
サマーデザインスクールは、2011年から始まり、今年で5年目になるイベントで、大学生はまだ夏休みの9月に開催されます。
数百の会社のオフィスが入ったビル群の一部で行われました。
イベントのおおまかな概要を言うと、複数のテーマ(今年は28テーマありました)に分かれ、各テーマ10名ほどのグループでのフィールドワークや議論を通して、それぞれのテーマに関する問題解決の案を考えたり、生活をより豊かにする方法を探したりするよなワークを行うというものです。三日目の午後には全体の発表もあります。
300人以上がかかわる大規模なイベントです。
このイベントは、理学部の友人が勧めていたものです。
2015年度の参加者を募集していた時、休学を決めてすぐのタイミングにいた僕は「なんでもいいからチャレンジ」精神が旺盛で、まったく無縁だったデザイン学のこのイベントに申し込んでいました。
当時引っ越しの前後で、居住環境が精神面に及ぼす影響の大きさが身に染みていたころだったので、僕の選んだテーマは「すまい」に関するものでした。あえてなじみのない分野を勉強したいという気持ちもあり、臨床心理学とは少し遠く、一度も勉強したことのない建築に触れてみようと思ったのもあります。
そんなこんなで、今回は工学部の大学院生が主催の「きかいな住まい、京都にて。」というテーマで参加。「暮らしを心地よくする仕掛けを持った“きかいな住まい”をデザイン」(ホームページから抜粋)するというもの。
1日目と2日目ののフィールドワークで、長年空き家だった木造の長屋を大家さんがモノづくりをしている若者の住まいにした”あじき路地”と、
京都中央卸売市場脇にあるかつて乾物屋だったのビルを株式会社”めい”がリノベーションした、職住一体のシェアハウス”REDIY”を見学できたのはとても新鮮でした。
二つとも、京都に住んでいてもなかなか入れる場所ではないので、貴重な経験だったと思います。
あじき路地では、大家さんである安食さんに、たとえば柱が腐らないように床下に窓を作り風を通すといった、京都の昔ながらの木造住宅ならではの工夫を教えてもらいました。そこで暮らす若手の職人さんたちの暮らしの様子を知れたのも興味深かったです。安食さんが紹介してくださったドライフラワーを作って販売している住人の方は浪人のころの和歌山出身の友人と雰囲気がそっくりでした。
REDIYでは、自分たちの手でビルを解体して暮らしやすい住まいに作り替えた経緯などを垣間見ることができて、僕自身が当然と思っていた、というより意識さえしていなかった暮らし方を相対化できたのはよかったです。手作り(手解体?)のおもしろさが、今回見せてもらった解体時の動画や画像から伝わってきて、今度知り合いの倉庫に行って内装を手伝いたいなあと思うきっかけになりました。その前に自分の部屋をもう少し工夫してみようか…
住民同士のつながりの作り方なども参考になることはいっぱいでした。
「シェアハウスでも長屋でもない普通のアパートに住む自分にも、何か工夫して隣人とつながることはできないか」とか、「壁の薄さがむしろメリットになることもあるのなら、プライベートを強固に守った現代のマンションは本当に幸福につながるのか」など、自分の中に新たな問いが生まれるいい機会でした。
最後には自分たちの考える、愉快できかい(機械仕掛けの・奇怪な・機会の生まれる)な住まいのアイデアを10分の1サイズの模型で表現しました。
初めて会った人たちと普段あまりしないアイデア出し、フィールドワーク、ものづくりができて、充実した3日間になったなあと思います。
一方で…
最終日の懇親会で、おいしい料理を食べながら女友達と話していた内容は、こんなものでした。
こういうイベントに参加できる機会が与えられている京大という環境はすごく恵まれている。このイベントで社会人の方や大学教授とのネットワークも広がるし、人生を豊かにしうる情報も得られる。
けれども、日本にも経済的な理由で大学にいけない人はたくさんいる。大学にいけても、京大ほどこういう機会に恵まれた大学は少ないだろう。
大学にいけないだけならまだいいかもしれない。
貧困で食費や子供の給食費や保険料も出せない、けれども生活保護という社会制度の存在さえしらずに苦しんでいるような人も中にはいる。
貧困から、奨学金を使ってでもこういった世界へとステップアップしていくことがすごく大事だと、その友達は話していました。
京大生の過半数は、親がある程度裕福で、本当の意味で(下宿生でお金が少ないとかじゃなく)お金で苦労した経験がないんじゃないかと思います。僕もそうです。
そして京大生の多くは、将来の収入には恵まれるだろうと思う。
資本主義の世の中で社会を変えていくためにはきっとお金が必要で、京大出身者の多くは将来ある程度社会にインパクトを与える力を持つと思う。そういった人に、経済的に苦しんでいる人、貧困じゃなくても、差別なんかで苦しんでる人たちの世界をもっと知ってほしいと思う。
いろんなコミュニティーの人、所属の人、肩書きの人、年代の人をかき回したいという欲求が僕にはあります。
ソーシャルネットワークの糸があるとしたら、できるだけ遠いところ(物理的な意味ではなく)どうしでつながれるような、長い糸をいっぱい作りたい。
TFJのように、高偏差値の大学生が貧困の問題に触れられるような取り組みをしている団体はあるんだけど、もっと小規模でもいいから、京都という地域に根ざした何かができひんかと、自分に問いかけています。