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デンマークでの3か月

迷いながら生きる若造の雑感

もやもやと、ぽっかり。

 

前の記事から、2週間以上、間が空いた。

 

この期間、友達のおもしろいブログを読んで、自分も何か書きたいなあって気持ちはあったし、文章にしたいテーマも複数あるんだけど、なんとなく、今はインプットしたいなって気持ちの方が強かった。

 

そういう日が、わりと長く続いた。

 

 

そのあいだにも、このブログをチェックしてくれている人はいるみたいだし、読者も少しずつ増えてきて嬉しいし、また書こうって気持ちになる。

 

本当のことを言うと、一日あたりの読者がゼロに近づいたときに、そろそろ書かないと誰も読んでくれなくなるなって思って、書き始めることの方が多いんだけど。

 

 

 

はてなブログをはじめたての頃は、「ゆくゆくははてなブログProの方で少しでも利益上げれるようになったら嬉しいなあ」なんて思ってたけど、ツイッターフェイスブックと同じで、ブログも読者が多くなるとなんとなく書きたいことを自由に書けなくなる気がするから、これくらいの読者数がいいのかなあと今は思っている。

 

 

なので、この記事を読んでおもしろいと思った人がいても、なるべく読者にならないようにお願いします。(なんだこれ)

 

 

 

あ、ちなみにこの前ブログのタイトルを変えたんだけど、「なんとなくな日常」っていうのは、川上弘美のエッセーの「なんとなくな日々」と、星野源の曲の「日常」からとってます。両方とも僕の好きな作品です。

ついでに言っておくと、前のブログのタイトル「頭と心のノート」ってのは、宇宙兄弟のあるセリフからとってました。

 

まじめな感じよりもゆるい感じのタイトルの方がいいなあと思って、「なんとなくな日常」に変えてみました。

 

 

 

 

 

最近書きたいなあと思ってたテーマは、この前知った主流秩序っていう概念のことだったり、イスラム教のことだったりするんだけど(まじめ)、今回は全然関係ないことを書きます。

 

 

 

これから書くのは、他人から見たらどうでもいいような、自分の気持ちをつらつらと綴ったものです。

 

 

 

 

 

昨日、土曜日の夜、前のサークルの友人たちがうちに遊びに来て、鍋を囲み、酒を飲みながらいろんな話をして盛り上がっていた。

 

久しぶりに話す友人もいたせいかすごく楽しくて、そのメンバーひとりひとりのことが今までよりも好きになったし、お酒のせいもあってかすごくいい気分になっていた。

 

 

酔っ払って眠かったから、友人たちが帰ったあと風呂に入らずにそのまま寝て、

朝起きたらひどい宿酔(ふつかよい)になっていた。

 

 

頭痛のせいで布団から出る気になれないので、出窓の本棚に置いてある小説を適当にとって読むことにする。

寒くて布団から出たくない休日の朝には、頭痛じゃなくてもしばらく布団の中で本を読むことが僕はよくある。

 

 

books.rakuten.co.jp

 

 

たまたま手にとった本がこれだった。

今年の秋ぐらいに買って読んでから結構気に入って、友人が以前プレゼントしてくれたおしゃれなブックカバーに入れて、くり返しくり返し、大事に読んでいる本だ。

 

 

 

この本の中に、実は宿酔の話が出てくる。

 

”宿酔”と書いて”ふつかよい”と読むってことを僕に教えてくれたのもこの本だ。

 

 

 

この小説の魅力は、主人公の価値観のかっこよさなのかなって思う。

 

おかしな家庭で育って、いろいろ悩んだりしてもおかしくないような境遇にいるんだけど、これまたかっこいいお母さんのしつけやユニークなおじいちゃんの影響で、あれこれ悩んだり、深刻に考え込んだりすることを好まないし、哲学書なんかを読んで高尚な悩みを抱いている同級生のことを、なんとなく、馬鹿にしている。

 


どんな高尚なことで悩んでいたって、体が痛いときやお腹がすいたときは、そのことしか考えられなくなる。頭痛や怪我や空腹の前では、高尚な悩みなんか消えてしまうんだって。抽象的なことで、本当に悩む価値のあることなんて実際はそんなにないんじゃないか。と。

(あなたの高尚な悩み)

 

 

高尚な悩みを抱く同級生、サッカー部の植草くんが虚無感を語るシーンがあって、そんなことを考えてるから練習でシュートが決まらないんだよと、主人公がツッコミを入れる。

 

 

まあ誰だって虚無感とか空虚感、もっと簡単な言葉で言うと、心にぽっかり隙間があいたような気分になることはあるだろうけど、主人公のセリフを思い出すことで、そんなに深刻に考えなくてすむかもしれない。

 

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なんでこんなことをブログに書いたかって言うと、

今日友達の家でもつ鍋を食べながらM1を見たあと、家にひとり歩いて帰っていたときに自分も植草くんと(たぶん)同じように、虚無感を抱いたからだ。

 

 

 

楽しいことが終わったあととか、心境に変化があって以前までの自分と違う考え方になってるなってふと思ったときに、過去が終わってしまった、とか、それまでの自分がいなくなったんだって思ったりする。

 

 

その感情は、さみしさはあるんだけど、不幸なことでもなんでもなくて、普通の日々のなかでもよくある自然な感情で、なんとなく、否定したくないというか、大事にしたいと思う。


上に書いた小説の主人公のように、虚無感を抱くのを馬鹿らしいと思わなくても、別にいい。

 

 

いつから始まったのかわからないけど、

「考え方」を変えることを意識させる自己啓発本とか、心理系の本とかツイッターフェイスブックの投稿とかが溢れかえっている。

 

そのせいなのか、それとも、小さい頃から大人に「感謝しなさい」って言われたり、道徳や国語の授業、学校での教師の何気ない話を通して、いわゆる”正しい”考え方みたいなものを暗に教え込まれたからなのかなんなのか知らないけど、「こんなふうに考えちゃダメだ。こういうふうに(前向きに・明るく)捉えよう」っていう思考が、自分のなかで当たり前になってしまっている。

 

 

でも、自分の気持ちなんか、そんなにコントロールしなくていいんだよな。

悩みすぎて余計にしんどくなるほど悩まなくていいけど、悲しみに耽ったり、イライラしたり、寂しさを感じたりするような時間も、大事にしたいなと、思う。

 

 

他人を不幸にするような言葉や行動に移さなければ、何をどんなふうに考えてたっていいんだから。

自分の気持ちまで自分でコントロールしすぎて窮屈になるのもどうかと思う。

 

 

 

順番が逆になったけど、それが、「ぽっかり」の話で、「ぽっかり」も大事にしたいなって話だ。 

 

 

 

 

「もやもや」するのは、

(だいぶ話が変わるけど)なんか最近、企業が利益を求めてることがあからさまな広告を出したり、快楽をお金で買ったりすることや拝金主義が堂々と言えたりするような文化になってきてしまったって感じること。



内容は書かないけど、M1の直後の番組ですごくそれを感じた。

 


経済の活性化を喜ぶメディアがそういうものをあえて押し出してるのかもしれないけど、奥ゆかしさが全然ないし、思慮が浅い感じがして、好きじゃない。

 

 

 

メディアが購買欲を煽るのに流されて、商品を求めて、お金を求めて、高給の仕事を求めて、金銭的に安定した生活を求めて、多くの人が、お金や物的な欲求よりも大事なものを忘れてしまいそうな気がする。

 

 

 

ぼくがこんなことを感覚じゃなくて言語で考えるようになったのは、ある本の影響が大きくて、さっき上にちらっと書いた主流秩序っていう概念が書かれた本なんだけど、やっぱり近いうちにその本のことを書きたいと思う。

 


まあある意味大多数の日本人を批判したような本で、少数の人にしかウケないのかもしれないけど、サンデル教授の本よりも、考えるきっかけを与えてくれる。

 

 

読者に考えてほしいっていうのもあるけど、自分の考えをまとめるためにも、このブログを使って書いてみようと思います。

 

 

 

 

近いうちに、また書きます。