僕は人より少し、歩くのが速い。
道を歩いていて、他の歩行者を抜かすことはよくあるけれど、抜かされることはめったにない。
自分を育ててくれた人が同じように速く歩く人だったから、こどもの頃よく一緒に歩いているうちにつられてそうなったのか、
歩くのが好きで、人よりたくさん歩いているうちに速くなっていったのか、
理由はよくわからない。
昔せっかちな性格だった名残なのかもしれない。
歩くのが速いと、よくないことがひとつある。
狭い道で、前の歩行者の歩くスピードが遅くて抜かせないときに、少しイライラしてしまうことだ。
それがたとえお年寄りでも、ベビーカーを押したお母さんだったとしても、急に自分の歩く速さを変えないといけなくなると、咄嗟にむっとしてしまう。
もちろんすぐにそのイライラがよくないことに気づくんだけれども、その一瞬の感情が生じないようにすることはできない。
ネガティブな感情に気づいたあとでそれを消すことはできても、まったく感じないようにすることは、理性にはできない。
腹の調子が悪かったり、寝不足だったりするともっとよくない。
感情に気づいても、コントロールするのが難しくなる。
もちろん自分の前を歩く人に文句を言うわけでも、感情を顔に出すわけでもないけれど、胸の中に現れたほんの少しのイライラを、簡単に消せない。
頭ではわかっている。
前を歩く人は何も悪くない。
思い通りに歩けないくらいでイライラする自分が悪いに決まっている。
「歩くのが遅いのはいけない」なんてことはないし、前の人が遅いんじゃなく、自分が”速すぎる”だけなのかもしれないんだと。
そう思って少し落ちついたら、ゆっくり歩く方法を考える。
前の足を地面に下ろすとき、かかとから順番に着地することを意識する。
地面の感触をしっかり味わったあと、つま先で地面を蹴って前に進むんだけど、あまり強く蹴らず、すぐにまた、かかとを地面に付ける。
そうすると歩幅も小さくなって、歩くのが遅くなる。
自然と心拍数も下がる。
前の人よりも遅く歩いてしまえば、次第に詰まった距離も開いていき、パーソナルスペースの中から前の人が出て行く。
そうすれば、うまくイライラが解消される。
普段からもっとゆっくり歩けばいいんだけど、自分のペースを落とすのは意外と難しい。
急がないといけない状況はあっても、ゆっくりしないといけない状況はないから、意図的にペースを落とすことに慣れていないせいかもしれない。
だけど、ペースを落とす練習も、本当は必要なんだと思う。
体の動きを遅くすると、心も静かになるけど、忙しくしながら穏やかに生きるのは難しい。
きっと急げば急ぐほど、人生は短くなってしまう。
自分がこのブログで何を言いたいのかよくわからないけど、とりあえず、ゆっくり歩く方法に関係あるようでないような話を、これから何回か書いていくつもりです。