気ままに暮らすためのブログ

大学卒業後デンマークへ。帰ってからは奈良で働きます。簡単じゃないけど、日本でもできるだけマイペースに気楽に生きたいと思っています。考えたことを時々、まとめてみます。

鶏むね肉の行方

 

 

鶏むね肉が鶏もも肉よりも安い値段で売られているのは、もも肉よりも取れる量が多いからではなく、むね肉の方が需要が少ないかららしい。

 

 

たしかに、胸肉のパサパサしている感じは否めないし、もも肉に比べておいしくないと思う人が多いのは理解できる。

フィンランド帰りの友達曰く、フィンランドのスーパーの生肉売り場にはもも肉は置いてあるが、胸肉はないらしい。

 

けれども、一般に欧米では胸肉の需要の方が大きいとされているから、世界規模でみたときにどちらがより好んで食されているのかはよくわからない。

 

日本人がもも肉をより好んでいるということだけは、日本ハムのホームページのなるほどコラムにも書かれているし、徳島県が鶏むね肉の消費拡大運動をしているので、ある程度の確信をもって言える。

 

日本ハム | 日本はもも肉好き、海外はむね肉好きなのはどうして?

鶏胸肉の消費拡大対策 | 徳島県

 

 

僕も唐揚げならもも肉の方がいいし、鍋にも、カレーにも、もも肉が合うと思う。

それでも数か月前からスーパーで胸肉しか買わなくなったのは単に、経済的な理由からでしかない。

パックいっぱいにむっちり入って100グラム50円台で売られている胸肉は、そのつやとラップへの張り付き方のおかげでほかの肉にはない輝きを放っていて、たんぱく源をできるだけ安くとろうと数十秒前まで納豆コーナーで一番安いパックを探していた僕に、「肉をたくさん食べていいんだよ」と優しくささやいてくれているようだ。

 

 

 

鶏むね肉をおいしく調理する有名な方法がある。

 

薄くスライスした肉に酒と醤油、あるいはオイスターソースをかけてしばらく置き、そこに片栗粉を入れて混ぜてから調理する。

 

そうすると火を通しても胸肉がパサパサしないし、片栗粉のおかげで味がよくしみる。

 

 

そのことをずいぶん前にネットで知っていたけれど、試してみたのはごく最近だ。

それまで試すことをしなかったのは単に、めんどくさかったからだ。

 

胸肉をおいしくするためだけに片栗粉を買う気にはなかなかならなかった。

肉は何もせずにそのまま火にかけるという習慣が、当時の僕にはあった。

 

 

それでも一度試してみると、何もせずに火を通すのよりもずいぶんおいしくて、このくらいの手間で変わるのなら、これからもやろうと思った。

 

習慣っていうのは、一度ほかのことを試さないと変わらないけれど、一度試してみることさえすれば、案外簡単に変わるのだ。

 

日常的に何気なくやっているあらゆる行動の中に、実は多くの試行錯誤の余地が残されているけれど、ほとんどの場合、僕は習慣を変えようとしない。変えることを思いつくことさえしないことが多い。

 

そして、珍しく思いついたとしても、あまりにも、試さなさすぎるのだ。

 

 

思いつくこと、試すこと、その二段階のステップを踏んでようやく、今までの習慣と変えたやり方のどちらがより優れているか、自分に合っているか、快感を得られるかを判断することができる。

 

一旦優れていると判断すれば、新しい習慣に変えるのに大したエネルギーはいらない。

そして、思いつくことは、好奇心に素直になって、積極的に新しいものに触れるという習慣を一度作り上げてしまえば、実はそんなに大変じゃない。

 

別の場所で見聞きしたものを、自分がこっちのフィールドで試したらどうなるかと考えるだけでいい。

 

一番エネルギーがかかるのは、それを試すこと、つまり、自分にとって新しいことを実際にやってみることなんだと思う。

 

 

僕はいつも、物事を試さなさすぎる。

 

 

 

 

 

 

 

鶏むね肉が鶏もも肉よりも安い値段で売られているのは、もも肉よりも取れる量が多いからではなく、むね肉の方が需要が少ないかららしい。

 

 

 

需要が少ないと安くなるという理屈を、人はどんな風に説明するだろうか。

 

 

完全競争市場において、供給量と需要量がぴったり重なる均衡数量よりも供給数が多いとき、売り手は、値段を下げるのではなく、生産量を減らす。そうすると希少価値が上がって需要者価格も上がり、売り手の希望価格と買い手の希望価格との差が解消される。

 

このような考え方が、マーシャルの考案した数量解消メカニズムだ。

 

 

この理論では、鶏むね肉が安いことを説明できない。なぜなら、一羽の鶏からとれる胸肉ともも肉の量は決まっていて、供給側がもも肉の量はそのままで、鶏むね肉の生産量だけを自由に増やしたり減らしたりできないからだ。(廃棄するという手段もあるが、もったいないから、なんとか消費量を増やそうとして、徳島県が消費拡大対策をしているのだ)

そもそも、マーシャルのこのメカニズムは価格が安いという現状の説明はせずに、いかにして均衡価格に近づいていくのかということを示しているに過ぎない。

 

 

スーパーで売れ残りを安売りするのと同様に、供給側が値段を下げることで需要を拡大しようとするという理屈でその状況をシンプルに説明できる。

これは、ワルラスの価格調整メカニズムに当てはまる。

 

 

 

しかし、値段が下がってもそんなに需要が増えないおかげで、今でも僕は、安い値段で鶏むね肉を買うことができる。

 

鶏むね肉を今まで通り安く買い続けるためには、その需要が増えないことを祈るしかないのだ。

徳島県の鶏むね肉消費拡大政策を阻止するのは、今の僕には難しい。

 

 

 

 

多くの人が価値を見出さないものにもし自分が魅力を感じたら、それをもっと大事にした方がいいのかもしれない。

市場に出回っているものの中では、需要が少ないものほど安く手に入り、需要が増えると高くなる。

 

世間にはトレンドというものがあるから、たいていのものはいずれ需要が減っていくのかもしれない。

 

自分の好きなことを素直に追いかけて、好きなように生きるのは今の日本ではあまりにも難しいように感じるけれど、主流な考え方をあくまで文脈としてとらえて、その中で自分がどう生きるかってことをもっと意識したほうがいいんだろう。

 

 

鶏むね肉が鶏もも肉に勝つ日など、来なくていい。

来ない方がいい。

 

                                                                                        金曜日のひとりごと   2016/3/4