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日記と考え事のメモ。

大学卒業してからデンマークのフォルケホイスコーレに来てます。帰ってからのことは未定。

ハートネットTV「精神疾患の親を持つ子ども」を見て

 

不幸中の幸い? 

 本来ならおととい出国して今頃はデンマークのフォルケホイスコーレ(大人が学ぶ国民高等学校)にいるはずなんだけど、パスポートの有効期限が3か月を切っていた関係で渡航ができず、空港から泣く泣く家に帰ってきたので、今も日本にいる。航空券も直前に買い直すと高いし、パスポート更新の期間分、留学が短くなってしまっていろいろショックは大きいんだけど、出発が伸びたおかげで昨夜のNHKのハートネットTVを見れたのは良かった。

 

 

 昨夜のハートネットTVのテーマは、「精神疾患の親を持つ子ども」。統合失調症の母親のもとで育った夏苅郁子さんを迎え、同じく精神疾患の親を持つ当事者からのメッセージとともに、精神疾患の親を持つ子どもがどのような思いで家族の中で育ち、大人になってからどういった思いで生きているのかを追っていく。

 

 

↓ハートネットTVの番組ページ

http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/program/?id=201704062000

 

 

 僕の母も精神疾患だったけど、僕を生んで数か月で死んでしまったので、僕には母との思い出はない。だから大人になるまで親元で過ごした夏刈さんたちとは境遇が少し違うんだけど、僕も家族に精神疾患の症状をもつメンバーはいたし、安心して過ごせない家庭だったのは共通している。だから夏刈さんたちの発言には共感するものがとても多く、たった30分の番組のなかで何度も泣きそうになってしまった。

 

 この番組では視聴者がツイッターで投稿したことを画面の下部に流しており、似た境遇の人が同様の苦しみや共感の言葉をつづったり、違う立場の人が支えてあげたいという気落ちを投稿していたが、それを見てこみあげてくるものもあった。

 

 僕自身、20歳前後まではかなり精神的に不安定で抑うつ気味になりやすかったし、漠然とした不安に襲われたり、母親を自殺で亡くした自分の生い立ちなどを思って暗い気持ちになることはしょっちゅうだったが、幸い大学時代に経験したいくつかの出来事がきっかけで、生きていくのがずいぶん楽になった。今後またいつ調子を崩すかわからないけれど、そういうもろさも含めて自分のことを肯定的に思えるようになっている。

 

 そんな僕が、少し冷静に過去の自分を思い返しながら、この番組を見て強く共感したこと、異なる境遇の人にわかっておいてほしいこと、社会に望むことなどを書いてみようと思う。

 

 

当事者がかかえる苦しみ

 自分のせいだと思ってしまう

 親の調子が悪いこと、精神病の症状が出ていることを自分のせいだとか、自分がもっと頑張っていないからだと思ってしまうという話が出ていた。

「自分が悪いことをすると親は怒る」という、一種の常識のようなものが子どもにはあるわけで、精神病の症状でイライラしたり、暴言を吐いたりしている親を見て、自分が悪いからそうなっているんだと誤って解釈してしまうのは当然だと思う。子供にとって、単に人が怒っているのと自分に叱っていることの区別をするのは難しい。

 そして、怒っている人を見て自分のせいだと思ってしまう癖は、家庭の外に出ても変わらない。学校で誰かがイライラしているときに、(この人は自分が怒らせるようなことをしたから、自分に対して怒っているんだ)という被害妄想を抱いてしまうことは僕もよくあった。怒っている人や不機嫌な人の前で萎縮しやすい、という特徴を持つ人はもしかしたら、家庭のことがきっかけでそうなっているのかもしれない。

 

 

話してもわかってくれるわけがない

 精神疾患の親を持つ子供の多くはおそらく、小学生のうちには、自分の家が他の家と違うということに気づくだろう。友人の家に遊びに行ったときに感じる安心感やなごやかさは、自分の家にはないものだ。「お母さん優しいね」と話すと友人は「うちのお母さんも友達来てないときはめっちゃ怖いで」と言うかもしれないが、おそらく次元が違う。その証拠に、そう話す友人の口調には怯えがなく、母親をからかっているようにも感じられるからだ。

 自分の家のことを友人に話してもわかってくれるわけがないと思う。おそらく、精神疾患をかかえた人と接したことのない思春期までの子どもの多くーつまり周りの友人たちーは、そういった自分の話をどのように聞いていいのかわからないだろう。つらさを少し打ち明けても、「それでも、育ててくれてるんやから感謝せな」などと言われてしまうことだってある。

 小学校高学年から中学生の時期に、自分の家での状況をある程度明確に言語化できるようになったとしても、そのことを担任の先生に話す方法を知らないし(職員室に行って聞いてもらうなんて思いもしない)、担任の先生に悩みを聞いてもらうというのは、思春期の子どもには恥ずかしくて抵抗があるかもしれない。

 

大人になってからも続く苦しみ ”まともな家で育たなかった自分”

 大人になって、仮に親元を離れたとしても、苦しい状況は続く。まず、親との関係は他の人との間でも繰り返されてしまうことが少なくない。たとえば親の機嫌をうかがって過ごしていた子どもは、仕事先でも怒ると怖い上司におびえてしまうかもしれないし、甘えることや、しんどさを人に伝える方法を家で覚える機会がなかった人は、どれだけ苦しくても我慢してつぶれるまで仕事をがんばってしまうかもしれない。

 また家を離れて目の前の苦しみはなくなったとしても、「まともな家で育ってこなかった自分」というアイデンティティーは残る。友人が親に教えてもらっているような家事の仕方、対人関係のマナー、あるいは幼少期に親に愛された経験、安心できる環境での育ち、そういったものを知らずに、あるいは経験せずに大人になってしまったことへの不安は残る。漠然とした不安はもしかしたら幼少期の経験から来ているのかもしれないけど、過去を変えることはどうあがいてもできない。

 

 

楽になるきっかけ

 ここで少し、僕自身が生きるのをしんどく感じなくなったきっかけや、ラッキーだったと思っている経験を話しておきたい。

 

 

 僕が最初に自分の母親の自殺のことを人に話したのは高校の頃だった。

倫理の作文で「自殺について意見を書きなさい」というお題が出た。(僕の通っていた高校の倫理の先生は、定期テストのたびに、授業内容に関連するトピックで作文を書かせたが、そのお題は事前に公表し、それに関する資料も配布していた)当時の自分にとって、このテーマで作文を書くことはとてもつらかったが、「身内に自殺者がいるので論理的に作文を書くことができない」と正直に書いたところ、倫理の先生がテスト後の授業のあとで僕のことを呼び出して、その苦しみを親身に聞いてくれた。それは僕にとってとても嬉しいことで、それまで感じたことのない安心感を抱いたのを覚えている。

 そのことがあってから、友人や彼女に自分の家族のことを話すことができるようになった。

 

似た境遇の人

 種類は違えど、家族になんらかの問題を抱えている人は高校にも少なくなかった。普段学校にいるときは話さないけど、放課後二人で話しているときに、実は親が離婚しそうだとか、薬物中毒だとかいう話を聞くことがあった。大学に入ってからは、自分と同じように親が自殺したという人にも出会った。

 

 心理学には、「自己開示の返報性」という言葉があって、自分が話した内容に応じて、相手も似たことを話してくれることがある。自分が家族のしんどい話を打ち明けると、「実は私も…」と、似た話を聞けることは多かった。同じような経験をしているとしんどい話でも盛り上がることができ、自分だけじゃないんだとほっとする。そうして少しずつ、「まともじゃない環境で育った自分」というアイデンティティーが、それほど悪いものじゃないと思えてきた。家族でしんどい経験をしてきたからこそ、こういう話を人とできるんだ、と。

 

 

家族の閉鎖性

 番組のなかで、コメンテーターの荻上チキさんは、「この社会は家族というシステムに頼りすぎていて、問題を家族に押し付けすぎだ」と話していた。「だから、子どもがそういった(しんどい)状況でもなかなか支援の手が入らず、相談に乗りにくい」と。

 これにはとても共感する。誰か外の人に助けてほしいと思っている子どもは必ずいるはずだが、子どもには助けを求める方法がわからないし、担任の先生も多忙な状況で、学校でも気づかれずにサポートに結びつかないことも多いだろう。やはり学校、塾以外で大人とのつながりがあってほしい。子どもが話しやすいのはインフォーマルなゆったりとした場だと思うが、近所づきあいの減ってきた現代、自然発生的なコミュニティーにそれを求めるのは困難だろう。僕個人の意見としては、すべての家族にファミリーソーシャルワーカーが家族医のような形で関わるべきだと思っている。生活保護世帯や、障害を持ってなんらかの福祉的支援を受けている人のいる家族だけでなく、すべての家族が担当のワーカーに相談できる体制がないと、必ずセーフティーネットの網から漏れてしまう子どもは出てくる。夏刈さんは、小さいころ、母が入院している間に自分をあずかってくれたおばさんがかわいがってくれた経験があり、そのことが、心の支えになったと言っていたが、そういう幸運がなければより悪い結果になってしまというのが、今の日本の現状だと思う。

 

タブーと偏見で進まなかった議論と支援

 今回の番組のテーマにもなっている「精神疾患の親を持つ子ども」は、日本では最近ようやく注意が向けられてきたそうだが、これまで注意が向けられてこなかった理由のひとつが、身内の精神病のことを外で話してはいけないというタブー的な考え方と、それを生みだす、精神病への周囲の無理解や偏見だと思う。

 幸い僕の育て親は、家庭訪問のたびに僕の担任に「この子の親は幼いころに自ら命を絶ってるんです」と話していて、僕に対して口止めすることもなかったからよかったが、そういったことを外で話してはいけないと言われて育った人も多いんだろう。話して問題化することで議論が進み、サポートにつながっていくと思うが、この国はまだまだ、精神病や死、あるいは障がいといった話題にオープンではないと思う。話さない限り問題は解決しないのだから、もっとオープンになってほしいし、周りにもそういったことを学んでほしいと思っている。だから僕はこれからも、家族のことを隠さずに人に話すつもりでいる。

 精神疾患を患った人と接した経験がないという人にまずわかってほしいのは、精神病を抱えた人はもともと家族あるいは社会で多大なストレスを受けてきた被害者であって加害者ではないし、マスコミの報道を見て精神病患者だから犯罪を犯したように思ってしまうことがあるかもしれないけど、精神病を抱えた人の犯罪率は一般の人よりも低いということ。また、誰しもが後天的に精神病を患う可能性があるということだ。

 

苦しみを人に話すということ

 僕は人に話すことで(そして、似た境遇の人と関われたおかげで)楽になれた人間だが、自分のなかで長年隠していたしんどさを人に話すことはとても勇気とエネルギーがいるし、もろい部分をさらけ出すわけだからやはりリスクも伴うと思う。

 夏苅さんが、似た境遇の人が描いた漫画を読んで自分も話せるようになったといったが、まずは他の人のが自身の体験を書いた本やネット記事に触れてみて、いいなと思ったらそれを身近な人に読んでもらい、その反応を見て大丈夫そうなら自分の話をするとかでもいいと思います。

 過去の経験を話してもすべてが楽になるわけではないし、またしんどい時期はやってくるかもしれないけど、精神疾患の親を持つ子供は、幼少期に人に支えてもらう経験がたぶん不足していて、それを大人になってから親以外の人にやってもらうのは、何も恥ずかしくないことだと思っています。問題を抱えていようとなかろうと、そもそも誰もひとりでは生きていけないんだから、しんどいときに人に頼ることを躊躇しないでほしいなあというのが僕の意見です。

 

 

 

 ではでは。