考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

大阪入管の監禁のニュースを知って思うこと。

www.tokyo-np.co.jp

 

 

最近、ブログにまじめな話を書くことが多くて、久しぶりにどうでもいいようなことを書いてみたいなあなんて思っていたのだけど、あまりにもファックなニュースを見て書かずにはいられなくなったので、今日もまじめに書きます。

(まじめってなんだろう)

 

リンクを貼ったニュース。外国人収容施設で6人部屋に17人を24時間以上閉じ込めていたという話。

 

「罵声を発したり扉をたたいたりしたため秩序維持の観点から事故発生を懸念、施錠を続けた」と入管は説明しているけれど、人間は何もなければ基本的に罵声を発したり扉をたたいたりしないので、おそらくそれまでにも何かしらひどいことをしたのだろう。

 

入管で働いている知人はいないし、職員サイドの事情はわからない。あまりにも過酷な労働環境で、大量の外国人を収容しておく必要があって、厳しい管理体制をとらざるを得ないのかもしれない。

精神病院とか、児童福祉施設に似たような構図も思い浮かぶ。

 

けれど、こういったことができてしまうことにまず違和感を覚える。

 

法的にもそうだし、そもそも一般的に、罪を犯したわけでもない人にこのような扱いをする権利が、入管の職員にあるのだろうか。

 

日本人に、外国から来た人の住む環境を決める権利がどこまであるのだろうか?

 

もっと言えば、一人の人間の意思で他者の環境を決定することは、許されていいのか。

 

まあ、法的なことも世界的な常識も細かい事情も何も知らないのでとても情緒的な書き方になってしまったのだけれど、こういった対応は日本人にとってもデメリットしかないように思う。専門家でもなければ、わかりやすく論理的に書いて広くシェアされたいわけでもないので、感じたことをひたすら書いていく。

書くことで不快感を吐き出したいだけかも。笑


超わかりやすい記事を見つけたので、

詳しく知りたい人はこちらを。

 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58249

国のイメージを決める言動

このニュースを知ったとき、ナチスソ連がした、強制収容を連想して、それに似たことを自分の国がしているように思って本当にいやな気持ちになったのだけれど、そのあとに少し冷静になってから思い出したエピソードが3つある。

 

ひとつは、中学生の担任の先生がホームルームで言っていた話。サッカー部の顧問で体育の先生をしていて、まっすぐな印象の人だった。

 

その先生が過去にオーストラリアかどこかに行ったときにたくさんの国のが集まるキャンプか何かのイベントに参加したとき、「自分のふるまいが他国の人にとっての日本人のイメージを決めるんだ」と感じたということを、終わりの会か何かで僕らに話してくれた。自分が人に親切にすれば「日本人は優しい人」と思われるだろうし、無礼なことをしたら日本人がみなそういう人だと思われるかもしれない。日本の代表としての意識を強く持ったと。

自分は今25歳で、もう10年以上前の話なのに、なぜか覚えている。連想ゲームのように、きっかけがあれば繰り返し思い出す話だ。

 

最近、このことを思い出すきっかけになったのが、沖縄出身の友達とベトナム料理を食べに言った日に聞いた話。

「最近移民のことに興味があって、ベトナム人移民が増えているときいたからベトナム料理店に行ってみたい。そこに行けばベトナム人の話を聞けるかもしれない。」と言って奈良に来たその友達をベトナム料理屋に誘っていた。

 

どういう話の流れやったか忘れたけど、その友人がこんな話をしていた。

「自分は外国人観光客の多い沖縄で育ったけど、小さいころから家族に、「外国人には親切にしなさい。あなたの行動がその人にとっての日本のイメージを決めるんだから」って言われていた。だから自分は(今住んでいる)京都で外国人に会っても道を聞かれればなるべく丁寧に答えるし、できることは手伝うようにしている」

沖縄というのはアメリカを始め、外国との関係の中で揺れてきた地域で、だからこそ、外国人を敵に回さないようにするというのがあるのかもしれないけど、日本に来た外国人からすれば、日本には英語を話せない人も多いし、不安なことはたくさんあるだろうから、優しくしてもらえれば本当に有難いだろうなあと。

 

3つ目は、デンマーク留学中に、あるイベントに参加したとき、会場の敷地が広くて行くべき場所がわからず、混乱していた僕に声をかけて、目的地まで案内してくれたクルド人のこと。

会話のなかで当たり前のように僕に出身国を聞き、自分がクルド人であることを伝えてきた。

 

帰ってからインターネットでクルド人のことを調べてみると、たくさんの人が難民になっていて、ヨーロッパ各国に移住していることを知った。彼らの境遇は概して楽なものではないだろう。

僕に親切にしてくれたクルド人は、自分が人に優しくすることで、同胞であるクルド人が世界の別の場所で人に優しくしてもらえればいいと思っていたのかもしれないなと、あとで思った。

 

さて、入管の対応は、その人権侵害的な意味でのひどさがまずショッキングだけど、日本人に対する大きな負のイメージを、彼らに与えるだろう。

そのことはバタフライ・エフェクトのように回りまわって、この記事ではどこの国か明かされていない”外国”をいつか僕ら日本人が訪れたときに出会う人たちが持つ、日本の印象に影響を与えるかもしれない。

これだけSNSが普及して、情報が外国にすぐに伝わるこの時代に、(少なくとも、もしいつか海外にいくことがあるのなら)僕らは他の日本人が外国人にしていることに敏感になっていないと思うし、それがよくないと思うなら、声を上げて、変えていった方がいいと思う。

 

偉そうなことを書いたけど、どうやって変えたらいいのか全然わからないので、これから考えます笑