考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

日記を書いてから、

 

 

ばあちゃんが亡くなってバタバタしていた直後くらいから、宿直明け以外に休みのないハードな12日間がやってきてそれが昨日で終わり、今日は久しぶりに朝ゆっくり休める日だった。

9時くらいまで寝た後最近はまってるポケモンのゲームをしたり、クロスバイクを修理に出そうと自転車屋に持っていったりして、昼からは1ヶ月ほど日本に一人旅に来ているデンマーク人の友人と奈良で会って、一緒に大仏を見たり鹿と戯れたり日本酒を飲んだりしていた。

 

僕は留学していたわりにはあんまり英語が話せないし(かと言って聞いて理解するのはできるかというとそれも微妙だ)、今回はたぶん1年ぶりくらいに英語を話す機会だったからコミュニケーション大丈夫かなあと思っていたけど、その友人が僕の下手な英語を上手に理解してくれたおかげで、いろいろ話せてありがたかった。

 

ブランクがあったけど、以前話せた言葉は変わらず話せるし、その友人の使ってる言葉をもらって自分も話したりして、こうやってちょっとずつ語彙が増えていくんだろうなあと思って、なんだか安心した。スピーキングも、スキーや自転車とかと同じで一旦体が覚えたら忘れないものらしい。初歩レベルに限った話かもしれないけど。

 

とにかく、これからも下手でもいいから臆せずに話していこうと思う。

そして、臆せずに話したいとき、アルコールはかなり役立ってくれる。

nihonshuは偉大だ。

 

全然関係ないけれど、最近、文章を書く依頼が来たので、その内容について少しここに書きながら考えてみようと思う。

 

僕が月に一回程度面会ボランティアをしている、大阪精神医療人権センターというところの広報誌に、面会をしている理由やボランティアの体験について短い文章を書いてほしいと頼まれた。できればそこにデンマーク留学で見聞きしたことも含めてほしいと。

 

デンマークで見聞きしたことをまだほとんど発信できていなかったので、精神医療に関心のある人たちが読む広報誌でこういう機会が与えられてありがたい。

一方で、文字数に限りがあるし、いろんな関係者や当事者に配慮した表現をするという制約があるから、個人的なブログというこの場で、これを機に、少し書きたいことを書きたいように書いてみようと思う。

 

僕がボランティアを始めたきっかけ。

母親代わりに自分を育ててくれた、今は亡き祖母が・・・とかって書くと、少し読者の共感を得やすくなるんだろうか。

 

直接のきっかけは、ばあちゃんの精神病院への入院だったと思う。

見舞いに行ったとき閉鎖病棟に入っていたばあちゃんが僕に言っていた病院の厳しいルールに対する文句はとても全うに思えたし、直感的にも、その精神病院はちょっとおかしいんじゃないかと感じた。

 

閉鎖病棟で、本や新聞が患者の刺激になるから禁止されるのは百歩譲って理解できるとしても、日記も書けず、部屋に時計も無いのというはいくらなんでもやりすぎなんじゃないかと思った。

自分でもこんな環境にいたらおかしくなると思ったし、刺激の無さ過ぎる環境で人が幻覚や妄想を起こしやすいことは大学の認知心理学の授業で学んでいた。だからこの環境があまり治療的なものではないんじゃないかと思い、日本の精神病院のことを図書館で調べて現在まで続く人権侵害の歴史を知り、その数ヵ月後にデンマーク福祉国家のメンタルケアの歴史や今を少しだけ、学んだ。

帰ってきてからフィンランドスウェーデンの事例も本で読んだりして少し知ったけれど、日本と北欧で、精神病患者の置かれる待遇は全く異なる。

自分が見たり読んだり聞いたりした少ない情報を一般化するのはよくないけれど、僕が見たデンマークの精神病院では患者は一人部屋を与えられ、共用スペースで他の患者とテレビゲームをし、したければジムで理学療法士の指導ののもと筋トレをしたり、体育館でバスケをしたりすることができたし、包丁を使った料理や木工をすることもできた。そして精神病院のスタッフは患者に生活習慣を整えることを教え、他者との適切なコミュニケーションのとり方を学ぶ機会を与え、社会復帰を主眼に置いたかかわりをしていた。ちなみにこれは、殺人などの重度な犯罪をした精神病患者のいる病院の話だ。

 

一方、日本の一部の精神病院では、10年以上入院している患者が医師から外出の許可をもらうことができず、ずっと病院内で過ごしているということが少なくない。

これは必ずしも、病院の医師や看護師が悪いのではないと思う。専門職の数が少なかったり、病院にいる人間が忙しすぎて患者にじっくり関わることが難しいといった構造的な問題は大きいと感じている。僕がこれまで、問題があるとされている日本の病院で出会った医師や看護師やケースワーカーの人たちは、どこにでもいるような、ある意味普通の人たちだった。人は置かれた状況や周りにいる人たちの影響で言動や考え方が変わる。

 

僕がデンマークで患者以上に羨ましいと思ったのは、患者に関わるスタッフだった。

自分のものさしで人をはかるのではなく、その人の考え方を知る努力をし、たとえ言語化してわかりやすく伝えてくれることがなかったとしても(そういうことのほうが多いだろう)、その人に見えている世界やその人の価値観を知ろうとして、自分と違う人の心を冒険していく、その楽しみ方を知っているようだった。

 

精神病院に社会が求めていること、つまり他害行動のある患者から社会を守る役割と、患者一人ひとりを保護しながらその社会復帰を支援する役割、その2つのバランスをどうとっていくかという悩みを、現場のスタッフが持っていることも、魅力的に思えた。このタイミングで退院するべきかどうか。患者のことを決めるのは医師だけではない。悩みながら目の前の人と関われるというのは、幸せなことだと思う。

 

日本へ帰ってから、日本の浅香山病院の患者と、看護師の物語を撮った「オキナワヘ行こう」という映画を見る機会があった。そこには患者の願いをかなえるために奮闘する看護師と、あまりにも久しぶりの外泊や旅行を不安に思って心が揺れ動く患者さんの様子が、ユーモアを交えながらも、ときにはシリアスなタッチで映されていた。そんなことをしている、そしてそれを映画にすることでこの世界を開いて行こうとする、そんな病院も日本にはあったのかと驚いた。

ちなみにこの映画は監督の意向で、自主上映しかされていない。

 

僕は今、精神病院の外側で生きていて、でも時々、ボランティアを通してなかに入っていくことができている。

一方で、何十年と精神病院に入院している人は、ときどき、病院の外の世界を見たり、退院して外での生活を始めたりもする。

その環境の厳しさを知りながら、ただ病院の外のほうがいいとか、自由がいいとかいう自分のものさしで図らずに、中の人の気持ちを、見えている世界を冒険しながら、何かしらその人の役に立てたらいいなあと思ってほんの少しだけ関わらせてもらっている。

 

長くなったけど、本音をだらだらと書くなら、こんな感じかな。