考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

「つくられたもの」を使うこと。

note.com

 

昨夜、結局はてなブログに書いた内容とあまり変わらないものをnoteに投稿したのだけど、これを書く前に考えていたことを書き残しておこうと思う。

 

前回の話以上に取り留めのない話になりそうだけど、よかったら読んでもらえると嬉しいです。

 

 

建築家でもなければ家具職人でも料理人でもない僕は、これまでそんなに大したものを作った経験がなかったから、「つくる」ことをテーマに書くときに、「(自分ではなに誰かによって)作られたもの」について書いた方がおもしろいかもしれないと思っていた。

 

 

「つくる」ことについて考えていたときに思い出していたのはnoteにも書いた、デンマーク留学中にテーブルやイスを廃材から作った経験だったり、同じく留学中にデンマークの協会で見たDIY感たっぷりの本置きを参考に帰国してから職場の本棚を作ったことで、

 

 

その流れのなかで「つくられたもの」を考えたときに思い出したのが、留学中に2回、その2年後の旅行でも再び訪れたコペンハーゲン大学学生寮THE TIETGEN RESIDENCE HALLだった。2ヶ月半の短くて濃い留学期間のなかで一番刺激的で感動したのは、デンマークのローカルメディアにインタビューを受けたときでも、当時の皇太子(いまの天皇)が学校にきたときでもなく、初めてこの学生寮を訪れたときだった。

 

前にも書いたかもしれないけど、僕は偶然この学生寮の10周年祭の日にここを訪れていて、おそらく住人の学生が売っていたビールをちびちびと飲みながら3時間くらいこの中庭でぼーっとしていた。それくらい好きな建築だった。

 

 

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tietgenkollegiet.dk

(英語だけど写真がたくさんあるので、知らない人はホームページをぜひ覗いてみてほしい。)

 

この建物の建築に僕は全く関与していないし、THE TIETGEN RESIDENCE HALLはぼくにとって「作られたもの」でしかないのだけれど、たとえばここに誰も住んでいなかったり、この建物を見に来る観光客が一人もいなければ、いまのような存在感のある建物としてのTHE TIETGEN RESIDENCE HALLにはなっていなかったのだろう。

 

2回目の訪問で、ここに住んでいる日本人と話すことができたのだけど、エレベーターがいくつかあるこの建物では、エレベーターとエレベーターの間の数部屋の住人たちで作られたグループのようなものができていて、学生寮のイベントではそのグループでチームを作ってゲームを競ったりするらしい。

 

この建物を使って、ここの住人の人たちは独自の文化を作っていた。

 

最初に建築とか、プラットフォームとか、ハード面を作った人が注目されるけれど、実際には人が使うことによって文化が作られて行く。

 

はてなブログにしたってnoteにしたって、その仕組み自体もすばらしいけれど、運営する人、利用する人、それを読む人がいるから成り立っていて、その存在があって初めて「作られた」ことになるんじゃないかなと、そんなことを考えていた。

 

市場経済に消費者が不可欠なように、読む側、使う側の存在が実はすごく大事で、いいと思うものをきちんと使うことを大事にしていきたいなと思う。

 

はてなブログもnoteも、書くだけじゃなく、読むことも丁寧にやっていきたいな。

 

 

「つくる」から連想されるもの。

 

緊急事態宣言が発令されているなか、友人4人とnoteを使ったしりとり形式の遊びを始めた。簡単にいえば、次の人が書く文章のテーマをしりとり形式でまわしていくというもの。

出されたお題から話を考えることも、そのお題の最後の文字から次のお題を考えるのもおもしろくて、自分が考えたわりには結構楽しい遊びなんじゃないかと思っている。

 

 

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「靴」というテーマで書いた佐野さんが僕にくれたお題は「つくる」だった。

(ちなみにこの遊びでnoteを書くときは、前の人のnoteのリンクをはってもらうようにしているので、佐野さんのnoteから、最初の言葉までしりとりをさかのぼることができます。)

 

木工や料理などで「作る」ことに面白みを感じることが多々あるから、個人的に好きなテーマなのだけど、自分が書いていて楽しいのと人が読んでおもしろいと思ってもらえるのって違うんだろうなあと思いながら、何を書くのがおもしろいだろうとあれこれ思い巡らせる。

 

ただ、せっかくなので下書きがてら、はてなブログに「思い巡らせたこと」を残してみようと思う。

 

 

料理を除けば、作ることのおもしろさに気づいたのは僕はかなり遅いほうだった。

2016年、大学5回生の夏休みに、当時オープン目前だったgood job center 香芝という福祉施設で、グッドドッグという名のはりこの置物を作っていたときだった。ボランティアでこの置物を作るのを手伝う中で、無心になって何かを作ることのおもしろさや、完成したときの満足感を味わうことができた。good job center 香芝では、ものづくりを本業や副業でしている人たちにも囲まれて、何かを自分の手で作ることをしている人たちへの憧れの気持ちも芽生えていた。

 

 

 

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とはいえ、グッドドッグを作ったあとも、特に家で手を動かして何かを作ることはしなかった。実際に何かを自分でも何かを作り始めたのは、(とはいってもたいしたものは何も作っていないのだけど、)2017年の春の2ヵ月半のデンマーク留学から帰国したあとだった。

 

留学中に、その学校で教師をしていた日本人の先輩から、木工を手伝ってくれと頼まれて、操作の仕方を1から教えてもらいながら、学生が放課後にくつろげるスペースを作るためにベンチやテーブルを、電ノコやドリルを使って廃材から作った。

自分で何かを作り、できたものを自分たちで実際に使うことが、それまでろくに手作りで何かをしてこなかった自分には刺激的な体験で、帰国してからコーナンでドリルやノコギリ、木材などを買ってきて、小さなテーブルや、トイレに本を置くための台や、ベランダのプランターなどを手作りするようになっていった。

 

自分は木を使って何かを作ることが好きなようで、職場のカフェの本棚なども作るようになった。最初は下穴を開けることも知らず、木材によくひびを入れたりもしていたけれど、試行錯誤しながらもそれなりのものができて、嬉しいことに今でもカフェで使ってもらっている。

 

ここまでが「つくる」からぱっとイメージしたもの。

けれど「つくる」って、”もの”だけじゃないんだよなと思う。

 

たとえば、心地いい環境。家に観葉植物やドライフラワーやクッションを置いたり、気に入ったデザインのカーペットを敷いたりして、好きな空間を作ること。

 

 

心地いい人間関係だって、意識的にも、無意識的にも作っているのかもしれない。

最初はなんとなく自分を緩めて相手に合わせて、関係性ができてきたら少しずつ自分をオープンにしていく。その作業を複数の人たちと1対1でやったあとで、何人かで集まったときに、なんとなくみんなが居心地よくいられる場になっていけるように調整したりとか。

 

誰かに食べてもらう料理、友人と過ごす心地いい時間、自分のために書く文章・・・。

 

 

たぶん僕たちは日々、いろんなものを作っていて、これから先も、みんながそれぞれ、仕事でもプライベートでも、何かを作りながら生きていくのだと思う。それがたとえ、目に見えるものでなくても。

いろんな人たちが社会の中で作ろうとするものが、複雑に織り交ざってこれからできていくものが「未来」なのかもしれないなあ。

 

 

皆さんが作ってみたいものってなんですか?

 

 

作る

①(その人の独自の精神活動の結果を)形のあるものにする。

②(苦労・努力を重ねて)役立つものに仕上げる。

③今まで無かった状態を新しく存在させる。

④手を加えて、もとと違った形(や価値)のものにする。

⑤意図的に、そのような形(状態)に見せかけるようにする。

 (三省堂新明解国語辞典第六版(2005年)より引用)

 

昨日と今日とこれから数日間のこと。

 

気分を楽にするために今日も手を動かす。

 

東ティモール産の豆で作ったカフェオレを飲みながら書いている。

 

 

5月18日(月)

休日。

朝からコーナンで自宅用の家庭菜園の種や土を買ったあと、兄の家へ向かう。

兄の家にも自転車があった方が便利だと思い、二台ある自転車のうち小さいほうを輪行バッグにつめて電車で運ぼうとするが、意外とバッグに車体が全部入らなかったので断念し、駅の駐輪場に自転車を停めて向かう。自転車をバッグに入れて電車で運ぶときは、車体のすべてが覆われていないといけないらしい。

 

柏原駅でのJRから近鉄線への乗り換え時間が長く、待っている間にうとうとしてしまう。自販機でカルピスを買って飲む。

 

家に到着後、先日買っておいた掃除道具で簡単に掃除をし、片づけを始める。

収納スペースが足りなかったので収納棚を買うためにコーナンへ向かう。

兄の部屋に観葉植物を置きたくなり、園芸コーナーで気に入ったものを探す。

エアープランツという、根を張らなくても育つ不思議な植物を見つける。水遣りの頻度も少なくていいみたいだったので、たまにしか来れない家にはちょうどいいと思い、購入する。ついでに自宅用にポトスも。

 

棚もコーナンで買ったが、兄の家にドライバーがなかったので組み立ては次回することにし、最寄の駅の近くのパン屋で買っておいた菓子パンとコーヒーで休憩する。

以前彼女に借りた、翻訳家が主人公の小説をリュックに入れていたので、それを少し読んでから帰る。郵便受けに、最近兄が購読し始めたらしい英字新聞が入っていたのでもらっていく。

 

外は雨だった。奈良に戻ったら銭湯に行こうかと思っていたが、やめてそのまま家に帰ることにする。

 

帰宅してからnoteを読む。

友人4人と始めた、noteでしりとり形式でお題を出して書いて回していく遊びがおもしろい。今日は早いペースで、2人が書いていた。この遊びのこともいつか書いてみたいと思う。

 

 

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夜、友人と電話で話す。

兄に対する感情など、カウンセラーに打ち明けるようなことを始めて友人に話した気がする。「5年前は誰にも話せない感じだったから、人頼るの上手になってきたんじゃない?」と言われる。

 

「そんな気持ちがあってもなくても、困ってるときに人を助けるのは自然なことだから」という言葉にも、なんだか救われた。

 

困っている人を助けて、自分がしんどくなって困ったらまた誰かに助けてもらったらいいんだろうな。人に話を聞いてもらうことも、助けてもらうことも、もっと当たり前にできるようになっておこう。

 

電話してたらいろんな話になって、おもしろそうな本を紹介してもらったりして、なんだか明るい気分になった。

 

 

5月19日(火)

昼から仕事の日。仕事前に産業医の人に話を聞いてもらう予定を入れている。

どうなるかわからないけど、何か気づきがあるといいな。

 

午前中は英語の勉強をしよう。

 

これからしばらくは、家庭菜園と読書と、予定のない休日は、誰もいない兄の家に遊びにいって片付けでもしよう。片づけをしながら、気持ちの整理もしたらいい。そして毎回、コーナンで観葉植物を買ってこよう。知らない名前の植物に出会うだけで少しわくわくする。

 

兄が退院する頃には、部屋は植物だらけになっているかもしれない。