考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

去年の緊急事態宣言の頃のこと。など。

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仕事で、奈良県香芝市にあるgoodjobセンターに来ていた。

香芝駅から奈良まで帰る電車の時間に書いている。
年次レポートという、1年間の会社の活動の報告冊子の担当になって、特集ページで去年の4月や5月のことを振り返るインタビュー記事を作っている。


いろいろな人に話を聞いたり、雑談してみたりしながら、自分も当時のことを振り返っていた。

新型コロナウイルスはまだまだ過去の物ではないし、むしろいまの方が感染が広がっている。今後また、奈良県にも緊急事態宣言が出る可能性もある。

けれど2020年の、初めての緊急事態宣言の頃は、初めて社会全体で大きな生活の変化を経験していた。職場でも、プライベートの時間でも、慣れない状況に対する、あるいは先の見えないことへの不安や、会いたい人に会えない寂しさなどがあった。

次に全国で緊急事態宣言が出たとしても全く違う心境になるはずだ。当時のことはすでに、振り返る価値があることのように思う。


障害のある人の生活支援の仕事をしている僕らは、緊急事態宣言が出てもテレワークなどはせず、仕事の日は必ず職場に行って働いていた。

どこかで感染者が出たとしても全ての建物を閉鎖しなくても良いように、職員の建物間の移動は基本的に禁止され、僕は約一ヶ月半の間、常に福祉ホームで働いていた。


それまでは複数の部署を掛け持ちしていろんな人と関わっていたから、関わる人が固定されるのはなんとなく窮屈な気もしたけれど、慣れない日々に、慣れた人たちと頻繁に会うことができたのはありがたいことでもあった。


日中建物の中にいてもやることがあまりないから、僕たちはよく散歩をした。ガイドヘルプでスーパーやコンビニに買い物に行くことは禁止されたけれど、店に入らない散歩ならば良かった。

気候もよく、晴れた日の多い季節に、富雄川の近くを歩いたり、車椅子を押しながら神社に続く坂を上ったり、まだ歩いたことのない道を散歩して、帰ってから地図を開いて、歩いた道を塗りつぶしたりしていた。

時間に余裕があったからゆっくり散歩できたし、あまり話したことのないメンバーとも、普段しない話ができた。

繰り返す日々に楽しみを作ろうと、ウッドデッキにテーブルを出して、音楽を流し、おやつを出して、コーヒーブレイクの時間を作った。

すぐ近くにいるのに会えない人に手紙を書いたり、ズームをしたりもした。

福祉ホームのそばに、別の部署の人も車を停める駐車場があったから、帰り際の人と、少し距離をとって話をしたりして、それぞれの部署の状況を話し合って盛り上がった。


いま思えば、イレギュラーなあの日々は、人に会いたい気持ちが高まったり、小さなことに喜びを見つけることができた、貴重な時間だった。


僕は休みの日にもよく散歩をしていた。

桜が満開だった季節の奈良公園は人がほとんどいなく、夕方の陽射しが桜の木々に降り注ぐ景色は本当に美しかった。

人に煎餅をもらえなくなった鹿たちは当たり前のように地面の草を食んでいて、その光景は、人間が繁栄する前の世界を見ているようだった。


ひとり暮らしだった僕は、寂しい気分のときは、散歩や料理をしながらずっとPodcastを聞いていた。家の時間を楽しもうとする人たちの話を聞いて元気になれたけど、別のPodcastで映画産業が相当ピンチなことを知って心配にもなった。

時間ができたから、文章をたくさん書くようになった。みんなパソコンやスマホを見る時間が長くなったのか、これまでより読んでもらえることが多くなったようで、それが少し嬉しかった。

愛用していた図書館も一時期閉まっていて、多くの書店の経営も、ピンチらしかった。
それでも書店への人の戻りは、比較的早かったような気がする。



しばらくしてから、兄が病気になって、自粛してる場合ではなくなって大阪の病院に行ったりした。

いつの間にか緊急事態宣言は解除され、少しだけ暮らしは元に戻った。

秋に友人が引っ越しをし、冬に僕も引っ越しをした。


そしてここ数年、ずっと変わらず、僕はだいたい1日に4杯ほどコーヒーを飲んでいて、自転車で通勤をし、料理や皿洗いを職場でも家でも楽しんでやっている。

シェアとケアと銭湯。

 

経済や社会にそんなに詳しいわけではないけれど、GDPとかで豊かさを評価するのはいい加減時代遅れだということくらいはさすがにわかるし、お金の動きが鈍くなったって豊かさを保てる社会にシフトしていったほうがいいってこともわかる。

 

これまでいろんな学者たちが言ってきたことを、コロナ禍でますます強く実感するようになった。

 

パートナーの影響で聞き始めたJwaveのpocastで久しぶりに資本主義の限界についての話を聞いて、日ごろの考え事を自分でも書こうと思った。

 

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引越したけど、家具とかは新しいものをなるべく買いたくなかったし、買わなくてもなんとかなると思っていた。コタツや冷蔵庫、洗濯ラックは譲ってもらったし、デスクやたんすはもう10年くらい使っているものを使い続けている。ばあちゃんの部屋からもらってきたもうひとつの古いたんすは、パートナーに手伝ってもらって黒いペンキを塗り、引き出しをいくつか出して収納棚にリメイクして使っている。

 

職場でバザーを一昨年までやっていて、若手の社員はいろんなおうちに行って、「バザーに出してほしい」ものを受け取る仕事をしていたから、世の中には、不要になった、まだまだ使えるものが山のようにあることを実感を持って知っていた。店に並んでいたときは高い価値があっただろうものが、少し時間がたって、バザー会場に雑多に積まれていると、随分価値が下がって見えた。

 

 

物は、本当に気に入って、ほしいもの以外は買わなくていい。

もらったり、レンタルしたり、シェアしたりでなんとでもなる。

無印良品の家具のサブスクも、今の時代を反映している。

 

物を買わないようになって、使わなくなって余ったお金があれば、誰かに、必要なものやほしがっているものをプレゼントしたり、足りていないところに寄付したほうがいいとほんとに思う。寄付をした方がいいなんて正論を何度も言うのは憚られるけれど、やっぱり言いたくなる。

 

 

僕は給与が高いほうでは決してないけれど、そんなにお金がなくても幸せになれる環境と人間関係と趣味と、マインドセットを持っている。

 

パートナーと山に登って、山の上で熱いコーヒーを飲んだり、ホットサンドメーカーで焼いた肉まんを一緒に食べることで、最高に幸せになれる。

 

 

経済格差より、幸福度格差の方が重要だと思っている。

お金がたとえ平均より少なくても幸せに生きられている人は、もっとお金がなくて、お金がないために苦しい思いをしている人や、お金が必要な人にシェアした方がいいと思う(お金があるけど幸せそうじゃない人に、生きやすくなれる考え方や、趣味を紹介するのもいいかもしれない)。贈与や寄付をすることで、する側の心も満たされる。福祉の仕事で、ケアされる側より、ケアする側の人間が自己肯定感を持てるように、寄付も、する側の心が満たされる。

 

贈与は、行き過ぎた資本主義や、競争社会に対するささやかな抵抗だと思っている。

ものを買う代わりに、足りていないところに流す。

競争社会で、がんばって働かないと生きていけない人を、そんなことしなくても大丈夫なようにしていく。異常に窮屈で、生きずらい社会を、必死に頑張らなくてもなんとかなる世の中に変えていく。もっと稼いで独占しようとせずに、余っているところから足りてないところに流せばいい。物もお金も、持ってあの世へは行けないし、足りてないところに流すことをしていれば、そういう循環を作っておけば、自分が足りていないときに助けてもらえると思う。

 

というか、自分が一番足りたなかった子どもの頃にすでに、社会や大人たちに助けてもらっているのだから、少し余裕が出た今、社会に返していくのは当たり前かもしれない。

 

 

 

シェアすることで、相手も、自分の心も、社会もケアする。

 

シェアとケア。

そんな2つのワードから連想するのは、銭湯だった。

 

大浴場を皆でシェアして、それぞれの体もケアする。

多すぎると窮屈だけど、広い空間にひとりだとなんだか寂しいから

やっぱり人がいたほうがよくて、その方が満たされる。

続いてほしい文化だと思う。

 

 

久しぶりに行った奈良の京終の朝日温泉、休日の昼間に地元のおっちゃんやおじいちゃんが結構来てたの、やっぱり良かったな。

 

 

いやはや。

一緒に暮らしているパートナーと休日に近所の山に登り、銭湯に入り、夜は鍋を囲んでからボードゲームをするという、最高の一日を過ごしたあとで、ポップインアラジンでなんとなくTEDtalkを見ていたら、ものすごい話に出会ってしまった。

 

2014年のできごとらしい。

自分はこのニュース知ってたんだろうか。知ってて忘れてしまったのか、見てもいなかったのか、わからない。

とにかくショッキングなできごとだった。

 

デンマーク留学中、シリア難民の人も一緒に学んでいたから、他人事とは思えない。

だけど、難民問題は、しばらく関心が薄くなってしまっていた。

 

ただただ、勉強しないといけないし、寄付ももっとしないといけない。

 

自分が満たされてるなら、寄付と勉強をしよう、とにかく。

 

学び続けないといけない。

「人間できるだけ何もしないほうが環境には良い」とか反出生主義とかって言う前に、不平等や世の不条理に、ちょっとでも抗いたい。

 

 

 

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