タイトルは、今年の「現代思想」の3月の見出し。
僕が認知症に関する本を読むようになったのは、ありがちな理由で、祖母が認知症っぽい状態になったから。
祖母についてはいろいろ複雑な気持ちがあるけど、母に代わって育ててくれた、自分にとって大きな存在なので、明らかに様子がおかしくなったときは、ショックでした。
激しすぎて当時はショックを感じる余裕もなかったけど、兄の精神病の症状(こっちはかなり慣れてきたので)以上に、自分が動揺していた大きな原因だったと思います。
あえて認知症っぽい状態って書いたのは、入院した精神科で認知症と判断されたわけではないから。
認知症の周辺症状と言われている夜間せん妄があったけれど、昔から祖母はキレるとどなったりわめきちらす癖があったので、今回一晩中暴れたり怒鳴ったり、ものとられ妄想があったりしたのも、認知症のせいかどうかがわからないんです。まあ、僕はそうだと思ってるけど。
そもそも精神疾患同様、認知症もスペクトラムだし、明確な線引きなんてないんだと思います。
人間の行動を病気って名付けることに、正確さなんてありえないですよね。
現代思想「認知症新時代」から、認知症の薬に関してまなんだことを、簡単に書いてみます。
今、認知症の薬は四種類あって、どれも、認知症の進行を和らげるもの。認知症の基本は脳の老化やから、止めることはできない。
そのうち一番よく使われているエーザイから出たアリセプトを含め、四種類中三種類は興奮作用のある薬。もうひとつは眠気を催すような、鎮静作用のある薬。
『認知症の「真実」』を書いたフリーライターの東田勉さんは、興奮作用のある認知症の薬を飲むことが患者の暴力を生み、そのことが家族を困らせることもあると指摘している。
厚労省は認知症の薬に、だんだん量を増やしていくことで症状に対処していく、増量規定を定めている。
家族が患者の暴力を医師に訴えると、医師は、興奮作用のある薬を減らさずに、増量規定を守りつつ、抑制系の向精神薬を追加するようだ。
このことを東田さんは、「アクセルとブレーキを両方踏んだ状態での治療」と表現している。
そのとき認知症の患者さんの脳内はどのような状態になっているのか。患者さんの気持ちはどうなのか…
医師が薬に頼りたい気持ち、家族がついつい医師にすべて委ねてしまうことが、患者さんや家族を苦しめることがあるんやなあって思います。
国が認めてるからって、薬が本人に合うとは限らないし、薬が悪く働いてる可能性も簡単に排除しちゃいけないんやなあって。
そもそも認知症のことってまだまだわからないことだらけなんやから、自分で情報を集めつつ、その情報を疑ってかかる必要があるよねって。
何よりも、患者さん本人の気持ちを大事にすることを忘れたくないなあと思います。
ブログ、書き慣れてないせいか、これを書いただけで少し疲れちゃったので、ここまでで。
今日はこれから、認知症で末期癌をかかえる患者さんの意思決定のあり方についての、生命倫理学ディスカッションに行ってきます。
そのあとは友達の家でクレヨンしんちゃんを見る予定です(笑)