書きながら考えたこと。

奈良で暮らす20代の男の、とりとめのない日々の記録です。

ログボー

はてなブログにあまりに個人的なことを書くのがすごく恥ずかしいんだけど、(そのわりにこれまでも書いてきてはいる)しばらくこのブログをそういう目的で使おうと思っている。

何かのテーマについてというよりは考え事、感じたことなどを。

 

 

タイトルのログボーっていうのは、デンマーク留学中に紹介された、自分の今後の進路について感じていることや、そのときそのときに転換のきっかけになったできごとをメモして残していく記録のようなもの。

 

これまでは今働いている奈良の福祉施設で働きながら、最短で精神保健福祉士をとってそっちの方向に転職するつもりで考えていたけれど、もう少し、最低でも5年くらいは今のところにいようと、考えが変わったので、そんな今の気持ちをここに残そうとしている。

 

 

メンター制度

今の職場で、定期的に先輩職員が悩み事などの話を聞いてくれる制度があり、自分は毎月7年目くらいの先輩に聞いてもらっていた。

10月から仕事を始めたので9月でラストだった。普段は和室で聞いてもらっていたけど最後は2人ともアウトドアが好きなのでたき火をしながら行った。

 

今日は、12か月間の振り返りみたいな感じもになって、自分が入社まもないころから労働環境をよくする必要性をめっちゃ訴えていたこととか、児童デイでやっていることが自分にはすごく窮屈で子どもの自由を奪っているように思えてしんどかったことなんかを主張していた話が出ていた。その話を振り返って、やっぱり今の職場の多くの人と自分は考え方が違う部分が多いなとか、でもそんなことを主張していた自分のことを受け入れてくれていた職場の人たちの懐の深さを感じた。

 

一方で、違う意見のメンターの人と議論で対立することもあって、そこで感じていることや自分の思想や価値観をぶつけたけど、それってめっちゃ主観的だし、障がい者福祉という分野についてあまりにも無知なのに教育についての考え方とか主張しても仕方のないように思えて、もっと勉強しないといけないと痛切に感じた。自分が不安に思ったり、ほかの人のやり方をみて違和感を覚えてもやもやするのは、知識や経験、理論から出た自分のかかわり方がなくて、空虚で不安定だからだなって。もし自分なりのかかわり方をその子供やメンバーとの間で構築できれば、もっと自信がもてるし、人のやり方を否定的に感じたりすることなく、違うかかわり方を受け入れることもできるだろうって。

 

 

デンマーク以前

自分の人とのかかわり方、なるべくその人の意思を尊重したいとか、子供であっても、対等に接したいとか、自他の自由を認めあえる関係性がいいとかって、デンマークで留学中に受けた教育から来ていたと思っていた。

 

でも、実は大学の教育学部で勉強しているころ、苫野一徳さんの本を読んで感銘を受けていたことを今朝、その人の記事を偶然ネットで見つけて思い出した。

 

カリスマ教師が担任した翌年はクラスが荒れる!?―「今度の先生面白くないんだもん」の言葉で気付いた「教師の役割」(教員養成セミナー) - Yahoo!ニュース

 

自由の相互承認の実現を教育の目標とする。だから教育は押し付けではだめで、その人の選択を尊重し、相手の選択を尊重できるような信頼の構築や、議論しあえる土壌を作ることが大事なんだって、デンマークに行く前から感じていたんだ。

 

けれど、相手のことを何も知らずに、障害のある子供に対してたとえばご飯を食べる量を自分で選ばせる。「食べたくないなら食べなくていい」は確かに無責任かもしれない。

障害特性を理解しながら、その人にどうかかわっていくかを考え続けること、その人の幸せになる方法を悩み続けることは大事で、とにかくもっと積極的に学ばないと、きめてかかってたら、自分の価値観でかかわっていてはいけないなってすごく思った。

 

 

回り道

自分は精神病の人の支援がしたいと思っていたけど、他者理解とか、その人のことを知ろうとして相手に合わせる姿勢、その人から障害特性やかかわり方について学ぼうとする姿勢などは、たとえば脳性麻痺自閉症の人とのかかわりも、精神病の人とのかかわりも共通しているんじゃないかと思う。

 

焦らず、今は目の前のことにきちんと向き合いながら、自分の経験やほかの先輩、同僚、後輩たちと話をたくさんしながら学んでいきたいと思っている。

 

大阪精神医療人権センターのボランティアで、精神病の人とかかわる機会を保ちながら。

 

 

安心できる場所

今の職場は、母親がおらず、荒れた家庭環境で育った自分にとってもかなり居心地のいい場所で、皆が信頼しあっているのがわかるし、理不尽な怒られ方をすることが全然なく、意見を受け止めてもらえる場所でもある。ここを拠点にして、学びのベースにしながら、ほかの活動やイベント、外の人との話などからもいろんなことを吸収していけばいいんだろう。

 

 

マイノリティーの苦しみ

そうはいっても、自分があまりにほかの人、特にうちの職場の人たちにない弱さや特徴を持っているのも事実で、(大勢の人と長時間かかわるのが苦手とか、安定して愛想よくふるまうことができないとか)そういったことのために今後理解されず苦しんでいくことは覚悟しないといけないと思う。

 

それはたぶん、外国人労働者や、自分と同じような父子家庭の人たちなんかも共通して持っている、価値観のズレによる苦しみであって、そこはもう、仕方ないから、自分のことを理解してもらおうとする前に、職場の常識とか、価値観をいったん学んで受け入れていこう、これから。そのうえで、自分の限界や、それでもほかの人たちのためにも変えていくべきだと思う点については頑固に主張を続けたらいい。

 

最後に、日々の悩みを相談できるような場を職場内に設けることができたらいいなと思っていることも、メモしておこう

兼務しているうちの片方の、福祉ホームのスタッフとも、食事にいって話し合ったりできたらいいな。