書きながら考えたこと。

奈良で暮らす20代の男の、とりとめのない日々の記録です。

去年の元日のこと。

 

 

年が明けて2019年になった。元日の昼を父親の家で家族と過ごし、祖母を老人ホームの近くまで送ってから、奈良の家に帰る。初詣に行こうものならそこは人でごった返していて、僕は存分に正月気分を味わっていたのだろうけれど、神社にもお寺にも行かなかったから、静かな気分で1月1日の夜を迎えている。

正月のざわざわした雰囲気が僕は苦手だから、今日も一人暮らしの部屋で静かに、本を読んだり、料理をしたり、こうして文章を書いたりする。

学生時代から貧困の問題に関心のある僕は、twitterでホームレス支援をしている人や団体のアカウントをフォローしている。今日、家族の集まりに向かう電車の中でtwitterを開いていたら、参議院議員山本太郎さんが炊き出しのボランティアをしている写真が流れてきて、去年の正月のことを思い出し、なんとなく、書いて振り返ってみたくなった。

去年、24歳から25歳になる歳の秋に、僕は生まれて初めて正社員になった。”障がい者福祉”という分野の仕事を選んだ。福祉ホームと呼ばれる障害のある人たちが住む住居で、宿直もある仕事。年末年始もお盆も、誰かスタッフがいないといけなくて、去年の大晦日、僕は昼から夜まで、勤務があった。

翌日の元日は家族で集まる予定も、友人と初詣に行くような予定もなく、暇を覚悟していたら、大晦日の宿直のーつまり僕と交代で勤務に入り、元日にかけて、年越しを職場で迎えるー先輩スタッフから、「毎年、年末年始とお盆は大阪の釜ヶ崎でボランティアをしている」という話を聞いた。

大阪育ちで、高校は釜ヶ崎の割と近くだった。しかも大学の頃、ここでの越冬闘争(行政の支援がなくなる年末年始に、ホームレスの人たちが寒さでなくならないように皆で力を合わせて乗り切るための炊き出しなどの活動、といったところだろうか)に関わっている人と親交があったのに、一度も釜ヶ崎に足を運んだことがなかった。

先輩に話を聞いて、勢いで、一緒にボランティアをすることに決めた。友人を誘ったら、たぶんその友人も軽いノリで来てくれることになって、ココルームという、ゲストハウスの掃除のお手伝いなどを、元日にすることにした。

当日、新今宮駅から歩いてきたものの、場所がわからず迷っていると、釜ヶ崎のおっちゃんが声をかけてくれて、「俺はやんちゃしすぎて出禁になったんやけどな」と言いながらもゲストハウスに案内してくれた。

そのおっちゃんは自転車に乗って徒歩の僕たちを案内しながら、道中で政治の話や釜ヶ崎の話をたくさんしていた。知識は豊富で話もかなりおもしろかったけど、昼から酔っ払っているのか、同じネタを何度か言っていた。

ゲストハウスを見学させてもらい、お金を払って、おせちを一緒に食べた後、シャワールームの掃除をした。

毎年手伝いに言っている職場の先輩は、「何か特別なことをするわけではないけれど、年末年始も働かないといけない人の普段の仕事の一部を代わりにして、少しでも楽をさせたい」というようなことを言っていた。

終わってから、ゲストハウスの庭で友人とゆっくり喋ったあと、夜は三角公園という、毎年越冬闘争の舞台(炊き出しやステージでの出し物が行われる)となる場所に連れて行ってもらった。釜ヶ崎のいたるところにある、酒の売られている自販機で、100円か200円かの安い日本酒を買って飲みながら、職場の先輩やホームレスのおっちゃんたちと立ち話をしていた。

去年、冬を乗り越えられず、一人、なくなってしまったらしい。

その日は月がやたらと綺麗で、三角公園から月の見える方角には、天王寺に数年前にできた、資本の象徴のような高い高い高層ビルの灯りが見えて、まぶしかった。

寒い中炊き出しの列に並ぶおっちゃんや、ボランティアに来ている人たちといながらその光を見上げて感じたのは、お金持ちを憎たらしく思うとかそういう類のものではなくて、この格差を、日本のリアルを自分は知っているのだという誇らしさのようなものだった。現実のほんの一部しか知らないくせに、酔っていたぼくは、そんな風に思った。

 

寒くなってから、家に帰り、布団に入った。

外気から守ってくれ、安心して眠れる家があり、暖かい布団に包まれることができることを、心から嬉しく思って、その日ぼくは、眠りについた。