書きながら考えたこと。

奈良で暮らす20代の男の、とりとめのない日々の記録です。

「世界と僕のあいだに」を読んだ記録

最近アメリカで起きた事件やそれを発端として世界中で起きている運動のことが気になって、黒人差別やアメリカの歴史を読み漁っていた。暇があれば歴史を学んだ方がいいと、最近自分に言い聞かせている。

感じるものが多かったので、書店で見つけた表題の本のことを少しメモしておく。

記憶を便りに電車のなかで書いているので、ところどころ間違いがあるかもしれない。
あとで加筆修正するかもしれません。

父から息子への長い手紙と言う形で書かれたタナハシ・コーツさんのノンフィクションは、2015年にアメリカでいくつかの賞をとったらしい。

黒人としてアメリカで生きることがどういうことか、というのを、当事者の視点から、
国外にすむイエローである僕にもわかりやすく伝えてくれる。

最近警官に窒息死させられた男性の他にも、警察に射殺された男性や少女、暴力を振るわれた年配の女性も、近年だけでもたくさんいたようだ。

息子にあてた手紙のなかで、コーツさんは、「お前はこの国のだれよりも破壊されやすい肉体の持ち主だ」ということを何度が言っている。

自分自身のせいではないところで、破壊されやすい体、その環境で生きているだけで、殺されやすい立場にいるということ。

生物学的な理由じゃなく、人種主義という考え方によって、よりホワイトな血が濃い人たちと区別され、虐げられる立場にあるということ。

Black lives matter の、black をyellow に置き換えたとして、それを叫ばなければならない状況が日本人にあったとしたら、どれほど過酷な環境だろうと想像していた。けれど、当たり前だけどノンフィクションを読んで実際の状況を知った方が早かった。それは映画などで見てある程度知っていたものもあったけれど、珍しくない事実として描かれているものを読む意味は大きかった。


アメリカの歴史を学んで、世界対戦のときに収容所に送られた日系移民のことを知った。
アメリカという国への忠誠を示すために、進んで戦地に赴いた人もいたらしい。

この本を読むと、殺されない、差別されない自由が、いまの自分にあることがラッキーだったんだなと思う。
たまたま今の日本に、日本人男性として生まれて、ここに住み続けているというだけで、そこになんの当然さもない。

この本が書かれたきっかけになったのはある黒人男性の死なのだけど、そのお母さんが本のなかでこのようなことを言っていた。

「この国の栄光の日々はとうに過ぎ去ったし、栄光の日々のなかでさえ名誉を汚されたものだったと思うわ。だって、ほかの人々の肉体を犠牲にして成り立っていたんですもの。」

大国と、それに強く影響を受け、いまも影響され続けている自分のいる国が、今後どんな道を歩んでいくのかが気になるところ。


コーツさんの、長い息子への手紙のラストは、意外な話で結ばれていた。

何かの犠牲の上に実現される理想が無限なわけがないってことは、何に対しても言えるらしい。