書きながら考えたこと。

奈良で暮らす20代の男の、とりとめのない日々の記録です。

最近映画館で見た映画の感想など。

『もみの家』という映画を見た。

久しぶりに劇場で映画を見たいと思い、京都の四条烏丸にある大学時代によく行ったお気に入りの映画館を調べたものの、今の気分にあったものがなく、シネリーブル神戸でもともと不登校だった女の子が主人公の映画を見ることにした。

 

最近は黒人への警察の暴力の話題や、中国が香港で強引に国家安全法を導入しようとしたりと、暴力的でしんどいニュースが多かったので、優しい映画を見たいと思って選んだ。

 

月曜日の夜遅い時間の上映であったにしても、客は僕含め3人ほどしかおらず、しばらくは映画館も厳しいんだろうなと思う。席は1席ずつ空けていてさすがに感染症対策もしっかりしているようだった(これ、カップルで来る人ほんと減りそうだな)し、僕は人が少ないほうが快適だと思うタイプだから、これから月に1~2回程度映画館に足を運ぼうと思っている。

 

 

mominoie.jp

 

 

自粛期間中、ネットフリックスやツタヤで借りた映画を家のテレビで時々見ていたのだけど、映像作品を見るうえで画面の大きさというのは見え方にとても影響するなと、当たり前のことを思った。人の顔や、みずみずしい野菜が、実際の大きさより大きく映るか小さく写るかというのは感じ方に影響する。錯覚でしかないのだけれど、大きいものは近く見えるわけで、その距離感が、どれだけ強く、あるいは多く見たものから何かを感じるか、というのに比例するんだろうな。

(少し話がそれるのだけど、僕はたぶん耳でその人の声を聞くということが結構大事だなとpodcastを見て感じていて、たぶんニューヨーク在住のジャーナリストの声を聞いているから、黒人差別の問題が最近とても気になっているというのはあると思っている。あとは、noteのように個人の媒体で発信されるものと、ニュース記事などの公の媒体で発信されるものとの印象の受け方の違いとかもある。)

 

あと、映画館だよっぽどの理由がないと途中退出しようと思わないから「最後まで見ていられる」というメリットもある。家で見ていると序盤でちょっとつまらなさそうだなとか、今の気分に合わないなと思ったら僕はすぐに見るのをやめてしまうことがあって、そのせいでそのあとの名シーンなどにたどり着かないのはもったいないことだと思う。

 

この映画も正直最初のほうは、見ていていたたまれない気持ちになるシーンもあったけれど、映画館だったので最後まで見ることができて、いいなあと思える場面もたくさんあったのが良かった。予想のつく展開で、わかりやすく綺麗なストーリーなのだけど、それでも心が温まるし、主演の女の子もいいけど緒方直人がめちゃくちゃいい味を出していた。

 

僕は仕事という形でそれに携わっているのだけれど、「集団生活」について考えさせられる映画で、いろんな人間がいる以上合う合わないは当然あって、特になじんでいくまでは軋轢とか鬱陶しさも多々あるのだけど、ストレスを引き受けてそこにもまれていくのもまた、何かを学ぶために大事なプロセスなんだろうなと。

 

僕自身は生まれ育った家族がなかなかにしんどかったけれど思えばそこから相当多くのことを学んできたし、これから自分に家族ができたときにも、時には息抜きも大事だろうけど、しんどさを引き受けることも、積極的にとはいわないけれど、仕方ないとあきらめたり開き直ったりしながらやっていこうと思う映画だった。

 

めんどくささを引き受けたときに見えてくるおもしろい世界も、たくさんあるんだろうな。今の自分には、そういうものが足りてないかもしれないな。