書きながら考えたこと。

奈良で暮らす20代の男の、とりとめのない日々の記録です。

土曜日の朝の、なんとなくなこと。

 

 

世間は4連休で、昨日のテレビでは海に遊びに来た人を映したり、政府の旅行促進のキャンペーンが観光業界を混乱させているだとか、感染症の感染者がまた急増しているのに緊急事態宣言は出ないとか、そんな話をしていた。

 

奈良のテレビ局では高校野球奈良県の独自大会を放送していて、強豪校が県立高校に大差をつけてコールド勝ちする様子が流れていた。

 

カレンダーどおりに働かない僕は今日が5連勤の最終日だけど昼からの勤務で、最近の仕事中にあったショッキングな話やできごとや、心のエネルギーを使う案件を、朝、家で育てているゴーヤやナスやミニトマトやアボカドに癒してもらっている。

 

 

安楽死のこととか、芸能人の自死のこととか、ほかにもいろいろともやもやすることが多くて、久しぶりに山にでも登りたい気分だ。

 

なんで一般人のことならタブー視される自死が、有名人だったらこんなに大きく報道されるんだろう。なんでみんないずれ死ぬのに、死ぬことがこんなにも暗いトーンで語られるのだろう。

 

周りの人に生き続けたいと思ってもらうために、自分は何ができているんだろう。

 

 

語りすぎることは違うと思うし、無視することも違う気がする。

 

 

母の死の理由を知ってからあれだけこのテーマについて考えて、勉強もしたというのに、いまの自分は何も言えなくなってしまった。

 

しんどければ逃げた方がいいってことくらい。

 

だけど、逃げる場所が、この世の別の場所なのか、それともあの世かって、逃げた本人にとってどれだけの違いがあるんだろう。常にその行為に対してネガティブな評価をするのは残った側の人間で、本人の幸福は誰にもわからない。

 

 

周りの人に死んでほしくなかったら、普段から積極的に、その人たちが喜ぶようなことをしないといけないんだろう。自分が死にたくなかったら、普段から積極的に、自分が喜ぶようなことをしないといけない。

 

それくらいしかできない。

 

自分がしてほしいことを、できればまず誰かにやってあげること。そして自分に戻ってきた優しさが、結構嬉しかったりする。

 

しんどいことはなくならないから、それを上回るくらい嬉しいことや、幸せな時間を作らないといけなくて、そこに誰かがいたら、もっと嬉しい。ひとりの方が楽なことも、たくさんあるけれど。

 

何のメッセージも結論もないけれど、ときどき思うことを言葉にしてみた。

 

読んでくれた人に、今日一日、いいことがありますように。

読んでくれた人の周りの人にも、いいことがありますように。