書きながら考えたこと。

奈良で暮らす20代の男の、とりとめのない日々の記録です。

障害のある人の生活支援の仕事をして、何より良かったと感じていること。

noteに、障害のある人の生活を支援する今の仕事に就いて良かったと感じていることをまとめてみた。



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うまく言語化するのが難しいからここには書かなかったのだけど、ここに書いたことよりももっと大事だと思うことがあって、それについて、伝わるかどうかわからないのだけど、言葉で表してみたい。


一言で言ってしまうなら「自分を緩める」ことができるようになったということ。

すごく感覚的な変化だから、これがどういうことか説明するのが難しいのだけど、ひとつは、自他の境界が緩くなったことによって、自意識が下がった感覚。

福祉の現場で、利用者さんと日々密に関わって、食事や風呂やトイレの介助なんかをしたり、頼まれた買い物を引き受けたり、一緒に外出をしたりする。

悪い意味でなく、僕だけでなく他の人に対してもそうなのだけど、障害のある人たちは一定程度ヘルパーに依存している。
それはたぶんヘルパー側もそうで、僕も年上の利用者さんに話を聞いてもらうことがあるし、疲れたときに雑な言葉遣いをしても許してくれる彼らの優しさに甘えているところもある。

そしてその依存は、利用者さん個人ではなくて、他のスタッフも含めたその場全体に対する緩やかな依存になっている。

果物やお菓子を持ってきてくれたり、皆でシェアしたりすることが当たり前にあるし、冷蔵庫に入ってる食べ物を勝手に食べていいよ、なんて言ってくれるから、持ってきてくれた人のいないところで本当に勝手に食べることもあるし、他の人のものを借りることもある。

もらう割合の方が多い気がするけど、その分何かお返しをしたり、若くて体力がある分たくさん働いたりする。

そうやって分けあい、補い合っている。利用者さんもスタッフもみんなすごくでこぼこで、不完全で、忘れっぽい人もいれば、すぐにイライラしてしまう人もいる。利用者さんもスタッフもそうだ。
みんないろんなダメなところがあって、それを補える人が補うことを、当たり前に行っている。そうすると、自分も不完全でいいと、ありのままの自分で、貢献できるところで貢献したらいいと思える。

いろんなことが、適当でよくなってくる。何か食べながら仕事することも普通にあるし、疲れたときは元気になれる音楽をかけながら家事援助の仕事をしたりする。

そうしてなるべく気を張らず、無駄にエネルギーを使うことを避けて、大変なことが起きたときに対処できるように温存しておく。

自分を緩めて、仕事中も普段適当でいることで、必要なときに頑張れるようになる。
これがひとつ。


ふたつめは、自分を崩して相手に波長を合わせることが自然にできるようになったこと。
これは、自分の気質によるところもあるのかもしれないけど、昔の自分はもっともっと固くて、頑固で真面目で、だから付き合える人も少なかった。

利用者さんとも他のスタッフとも、この仕事は関係性がすごく大事で、いろんな人とうまく付き合っていかないといけない仕事だ。だから、適当な人には適当に、しっかりした人にはしっかりとした自分でいるように、自分を調整する。これを無意識にやっている。

極端だと最初はしんどくて、特にいろんな人のいるミーティングの場は困るのだけど、慣れてくるとちょうどいい楽な自分が見つかってくる。

初めてあった人と話すときに、最初はちょっと合わせて、しばらくしたら自分も楽な自分のあり方に落ち着いていく。
この流れに慣れてくると、プライベートでも結構訳に立つ。いろんなタイプの人とコミュニケーションをとれるようになる。

相手に合わせて調整する「緩み」と、自分にとって楽な、力まない自分でいるときの「緩さ」は、意味が違うのだけど、この二つを使うことで、あんまり人と衝突することなく、でも疲れることもなく、人付き合いを昔より楽にやれるようになってきたと思う。

「人との関わり」がメインの仕事じゃなかたら、こうはなれなかったかもしれない。

これが、自分の思う福祉の仕事についたメリットなのだけど、言語がした時点で何かずれてしまっている気がする。

もっとぴったりな言葉が浮かんできたら、また書きたい。