考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

婚姻届と、家族のはなし。

 

婚姻届

 

昨夜、仲の良い友人が彼女を連れて奈良の僕の家にやってきた。

婚姻届の証人になってほしいと前から頼まれていたのだ。

 

20代にしてすでに両親や祖父母を皆亡くした彼は、同い年の僕のことを家族のように慕ってくれていた。僕に彼女を紹介することをとても楽しみにしてくれていて、昨日は初めて3人で会って、僕と友人の彼女はなぜか最初かしこまった挨拶をして、お酒を飲みながら楽しい時間をすごした。(前向きな理由があって、僕は結局昨日、婚姻届に署名をしなかった。きっと後日署名することになる。)

 

昨日は朝から仕事だった。

僕はまだ、結婚というものをしたことがない。それなのに自分が結婚の証人になるのは、少し不思議な気分だ。仕事中車の運転をしながら、ひとりぼんやりと考えていた。

 

友人が持ってきた婚姻届は偶然にも、僕が学生時代宿直の仕事をしていた役所でもらってきたものだった。場所によって婚姻届はデザインが違っていて、その役所のある市の婚姻届は花柄と和の建築のデザインがかわいらしい。

 

婚姻届を出したり、証人になったことのある人は少なくないだろうけれど、婚姻届を受理したことのある人は珍しいんじゃないかと思う。役所の宿直のバイトをしていると時々、夜遅い時間に婚姻届を出しに来る人たちがいて、僕はその婚姻届を預かり、ハンコを押して、これから夫婦になる二人の写真を撮ったりしていた。正確に言えば、受理されるのは役所の良く営業日で、僕らの仕事は届けを預かるだけだった。だけど彼らにとっては提出した時点で結婚が成立していて、とてもいい表情で写真に写る姿を見て、撮っている僕まで気分が高揚することもあった。

 

宿直の仕事は、学生3人とおっちゃん5人で回していた。公務員の人たちが休んでいる時間、つまり平日の夕方から朝方にかけてと、休日は丸一日、役所の休日用窓口のある部屋にいて、主に死亡届などの届出を預かったり、苦情などの電話を受け付けたりする仕事だ。経済的に苦労している学生を助ける意図も込みで学生を雇っていたから、拘束時間が長いとは言え、時給の割には楽な仕事だった。そのおかげで僕が大学5回生の1年間を、なんとか仕送りなしでしのぐ事ができた。

 

定年したあとでこの仕事に就いた人生経験豊かなおっちゃんたちからは、実にさまざまな話を聞いた。京都での料理人の仕事をやめてからこの仕事に就いた人もいた。彼の話の中にはなかなか書けないくらい強烈でドロドロしているのもあった。要は男女と金にまつわる話だ。

 

飲み屋が近くにあるその役所には、寄った勢いで婚姻届を出しにくる人もいるらしい。離婚届に相手が署名してくれなくて困っているという相談もある。

 

結婚は所詮形式的なものなのかもしれない。

A3サイズの紙一枚。それを役所に出すだけで、戸籍上の2人の関係が変わる。解消することだって、同じサイズの紙一枚でできてしまう。昔は結納とか、いろんな儀式があったけれど、今は式を挙げない人も増えている。

 

 

 

家族

「夫婦とその血縁関係者を中心に構成され、共同生活の単位となる集団。」というのが、ある辞書による「家族」という言葉の定義らしい。

 

僕のこれまでの27年の人生経験に照らして考えてみると、家族というのは実に曖昧でわかりにくい概念だと思う。

母親はぼくがうんと小さい頃に死んだから、僕の家族には母はいなくて、(その代わりに、といって良いのかわからないけど)父方のおばあちゃんがいた。祖母、父、兄、僕、というのが僕が物心ついてから12歳になるまで同じ家で暮らしていた人員構成だ。

 

喧嘩ばかりしていた家族は、僕が中学に上がるタイミングで2つに分かれた。祖母と僕、父と兄、という組み合わせだ。祖母と僕が家から出て行って隣の市にあるマンションの一室に移り住んだのだ。

やがて父と兄も離れて暮らすようになり、そのあと僕は父の家に引越し、やがて、僕も一人暮らしを始めて家族4人が皆それぞれ一人で暮らすようになった。

 

そしてやがて、父は再婚した。

 

別々に暮らす時点で、僕と父や、兄は家族じゃなくなったのかっていうと、そんな気は全くしなかった。祖母が亡くなった今でも僕と兄と父はそれぞれ別々に暮らしているけれど、家族だと思っている。

 

父の再婚相手も、僕とは別々に暮らしているけれど家族だと思う。再婚して間もない頃は、家族にその人がいることには、どうしても違和感があった。だけど、どのタイミングだったかは忘れてしまっていたけれど、その人は家族なんだと、なんとなく感じるようになった。

 

祖母は晩年、老人ホームに入っていて、もう80歳を過ぎていたけれど、仲良くしてくれている男性がいた。よく一緒にご飯を食べていて、周りからは夫婦のように見えていたかもしれない。僕が祖母に会いに行くと、必ずその人もいて一緒にご飯を食べた。再婚の話はさすがになかったけれど、家族のような存在なのかもしれないと、なんとなく感じていた。

その人が家族だとはっきりと思えるようになる前に、祖母は亡くなってしまい、僕はその老人ホームに行くことがなくなり、それ以来、その男性とも会っていない。気性の激しい祖母をかばって助けてくれていた彼は、今も元気にしているだろうか。

 

 

 

僕の家族は、一緒に暮らしていなくても家族だ。

 

夫婦は血が繋がっていなくても家族だし、婚姻関係なんて、極論すれば、A3の紙一枚出すか出さないかの問題だ。たとえ家族じゃなくても、祖母が懇意にしていた男性は、死ぬ前の時期の祖母のことを家族の誰よりも、身近なところで、大事にしてくれていた。

 

家族だから、過度に期待して喧嘩をしてしまうことがあるし、家族だけど誰とも性格が合わなくて孤独を感じてしまうなんてよくある話だ。

 

だったら、血が繋がっていなくても、婚姻関係がなくても、自分とこの人は、家族だと思えるような親しい関係性を、勝手に作っていってもいいのかもしれない。

 

一緒に暮らしているわけでもないけれど、緩く支えあえるような大家族。そんなに大勢でなくていいから、中家族くらいかな。

昨日来てくれた友人やその彼女と、僕や僕の彼女と、そこから少しずつ広げていって、家族みたいな存在になっていきたい。

 

家族なんて曖昧なものなんだから、お互いの合意があれば家族ってことにすればいいのかもしれない。血の繋がった家族でも疎遠になるときはなるし、絶縁することだってある。

 

血が繋がっていなくても、安心できる家族がどこかにいるっていう安心感が、その人の支えになればいい。