考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

身近な人が自ら命を絶ったときに心がけたいシンプルなこと。

 

 

死に方だけで、その人の幸・不幸を判断しないようにする。

その人と過ごした楽しい時間を思い出すようにする。

語らないことをしない。

 

 

2泊3日の旅行の最後に、名古屋駅のビルの15階にあるスタバで、周りの高層ビルがたくさん見える席に座って、甘い飲み物を飲みながら彼女に話を聞いてもらっていた。少しでも気分が上がるような場所で、話をしたかった。ありがたいことに、彼女は仕事柄何度も人の死を経験しているし、自死した知り合いの話を聞いたこともあったから、めでたい誕生日祝いの旅行のあとでも、話を聞いてもらいやすかった。

 

彼女の誕生日祝いで訪れていた温泉地の旅行の最後の日に、訃報が入ったのだった。最近希死念慮を抱いているとブログに書いていた友人の死だった。元同僚でもあるその友人の死は、職場の一斉メールで、葬儀の情報とともに伝えられた。

 

希死念慮についての友人のブログにコメントしたあとで、ラインも送ったのだけど、既読にはならなかった。何かを伝えてもそのときにはもう、届かなかったかもしれない。

 

 

 

竹内結子さんの死について「産後うつだったのでは?」とする報道に対して、フリーアナウンサー高橋真麻さんが、「幼い子どもが物心ついた時に、「自分のせいで母親が死んだんじゃないか」って自分を責めちゃうんじゃないか」と心配して警鐘を鳴らしている、という記事を読んだ。

 

すごくありがたい配慮だし、僕自身の経験に照らしてみれば、「その可能性もある」と言いたい。僕は母の自殺の原因を「育児ノイローゼ」と聞いて育った。「自分が生まれなかったら母も生きていたのでは?」と思っていたし、なんなら今でもその可能性はあったと思っている。

 

ただ、僕はそのおかげで、よくも悪くも、人の10倍は自殺のことについて考えてきた。大学で心理療法を学ぼうと思ったのは、母の自殺のことが自分の関心の大きな割合を占めていたからで、大学の図書館で一時期、自殺に関する本を読み漁っていた。今でも時々、生きやすい社会について考えるために、自殺が少ない地域に関する本なんかを借りてきたりする。

 

初めて友人の葬儀に出たのは大学4回生の春だった。やはり死因は自死だった。

高校2年のクラスで一緒だったとびきり明るい笑顔が好きだった友人は、就職して間もなくして亡くなった。

 

葬式で悲しみに耐えながら、「自ら死を選んだ彼の意思を尊重してあげたい」と話す母親の強さが、深く心に響いた。

 

それは僕のなかで、自分の母親の死に対する考え方が、少し変わった瞬間でもあった。

 

それまで僕は、自殺という行為が100%不幸なものだと思い込んでいて、それに陥った周りの環境を責めてばかりいた。その選択を尊重するなんてこと、頭になかった。なのに友人の母親は、息子の死の直後に、そんな風に自分に言い聞かせていたのだ。

 

 

中学のころに母の死因を知ってから、10年くらいは引きずっていたと思う。「自殺した人の子ども」、というのが自分のアイデンティティのひとつなっていた。

 

最近、母親の子どもの頃のことを知っておきたいと思うようになって、母の兄に話を聞きに言った。あまり話をしない兄妹だったようで、2人で遊んだエピソードなんかはあまり聞かなかったけれど、写真をたくさん用意してくれて、子どもの頃の母親がいい表情で写っているものがたくさんあった。

 

終わり方が、自殺だったというだけで、彼女の人生が不幸だったわけじゃない。

人より生きづらく、苦しい人生だったかもしれないけれど、楽しい瞬間もたくさんあったはずで、そのことをもっと知っておきたいし、大事にしたい。

 

天寿を全うした人のことを思い出すのと同じように、その人との楽しい時間を思い出して、できれば明るく誰かとその人の話をしたい。

 

そうして長い年月のあとに天国で出会ったら、「久しぶり」って明るく声をかけよう。