考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

書くこと。

 

暮しの手帖日記」という松浦弥太郎さんのエッセー集のような本に、「普段感じていること、考えていることを紙に書く」という行為についての考察がある。兄に会いにいく電車のなかで読みながら、自分にとっての書くという行為の意味について考えていた。

 

友人が亡くなってから、noteやこのブログに頻繁に心境や出来事を書いている。

最初に書いた、「心がけたいこと」についての話は、自分を守るための文章だった。ポジティブなことを書くことで、そっちに目を向けることができる。強烈な悲しみに襲われることを避けるために無意識にしたことだったと思う。純に自分のために書いた文章だったから、落ち着いたらnoteの方は削除した。読んでしんどくなる人がいるかもしれない。同じ文章を載せたはてなブログの方は、自分が書きたいことを書く空間だから、残しておいた。

 

 

お葬式の日のことを綴ったのは、その日のフィーリングを忘れないようにするためだった。その子のお父さんがお葬式で「彼岸花」の話をしていて、きっと毎年彼岸花を見るたびに思い出すから、忘れることはないのだけど、あった出来事を書き連ねることで、より鮮明に思い出せるようにしたかった。

 

昨夜から随分憂鬱で、何かをしていないと、生きるとか死ぬとか、そんなことばかり考えてしまうから、PCの対戦の将棋で気を紛らわせていた。死んだ子と何度かチェスをしたことがあるのだけど、弱くていつも僕が買っていた。天国で練習しておいてほしい。

 

今朝、兄と会って話し、職場で同僚や利用者さんと話し、仕事後にボルダリングに行って随分気持ちは楽になった。みんなとてもショックを受けていた。

「私が死んでも苦しむ人は少ない」なんて書いていたけど、そんなことは決してなかった。

 

職場では、妊娠して休むスタッフがいたり、難病の奥さんが入院してしばらく出勤できない人がいたり、そして僕の周りには、誕生日を迎えた人がいる。

 

みんな、生まれたり、生きたり、死んだりしている。