考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

インタビューの思い出。/ 知人のひとり語り

インタビューの思い出

 

一週間ほど前に、仕事で障害のある利用者さんにインタビューをする機会があって、あとでスマホで録音した会話の内容を文字起こししながら、「この感覚久しぶりだな」と、3年前のことを思い出していた。

 

3年前ぼくはデンマークに留学していて、留学先の学校で、現地に暮らす日本人2人にインタビューをした。片方は、僕が留学していたデンマーク起源の独特な文化を持つ学校を日本にも作ろうとして今も活動している人で、もう片方は、デンマークの精神病患者の入所施設で働いた経験のある、デンマークの福祉や教育について教えてくれた学校の先生だった。ふたりとも留学先の学校にいたし、日本人だったから、英語があまり話せない僕でもインタビューしやすかったのだ。

 

後者のインタビューは残念ながらお蔵入りになってしまって、僕だけの宝物になっているのだけど、前者は留学中にどうにか世に送り出すことができた。

 

「世に送り出す」という言葉は、ぼくが書いた記事を公開するときに、それまで密に連絡を取りながら編集をしてくれていた同い年の子が使った言葉だった。彼は20代前半のときにウェブメディアを立ち上げ、何人ものデンマーク在住の人たちに英語や日本語でインタビューをし、3年前には、ほかの人が書く記事の編集もしていた。当時僕はデンマークにいて、僕より早いタイミングでデンマークの別の学校に留学していた彼は日本に戻っていたから、facebookメッセンジャーでやり取りをしていたのだった。

 

公開直前、「世に送り出す」と言われてなんだか大げさな表現のように感じながらも、読者の多いウェブメディアで発信するのが初めてだったのもあって、その言葉にとてもワクワクしていた。

 

いま思えば、フォルケホイスコーレを日本に広める活動をしている山本勇輝さんに何度もインタビューをして、留学前、デンマークの情報を集めるのに活用していた EPOCH MAKERSで発信したことは、僕が留学中に、なんなら留学前に別府くんに会いにいくときから、一番熱心に取り組んで、同時に一番ワクワクした、贅沢な体験だった。

 

放課後や休みの時間を何時間もインタビューや文字起こし、推敲、写真撮影に費やして、2017年6月15日の放課後、記事をついに公開したときの達成感は忘れられない。終ったあと、友人と数日後に迫った校内イベントのフットサル大会の練習を少ししてから、コートの芝生に寝そべって空を見上げ、やり遂げた満足感に浸っていた。これも大げさだけど、初めて社会に対して、小さくても影響を与えられることができた気がした。

嬉しいことに、そのとき書いた記事は多くの人に読まれて、今でもある会社の社長さんが新入社員に紹介してくれているらしい。

 

5つの見出しで区切っている長いインタビューで、最後の5つめの見出しを、少し挑発的に「その方向で、あってますか?」としてみた。

その言葉は時々読み返すたびに、自分の胸に突き刺さっている。

 

 

知人のひとり語り

知っている人の一人語りを聞きたいと思う。友達でもいいし、同僚でもいい。

関わりのある誰かが書いた文章が、どんなにありふれた日々の日記でも、言い古された言葉であってもおもしろいと思うのは、普段、外しか見えないその人の内面に触れられる気がするからだと思う。今年の5月に、家にいる時間で何か楽しいことをしようと友達4人と始めた、しりとり形式でお題を出し合って文章を書いてまわしていく遊びは、いまもゆったりペースで続いているけれど、毎回楽しくて次の投稿をわくわくしながら待っている。

 

誰であっても、僕と関わりのある人は僕に、「僕といるときの姿」しか見せてくれない。僕に話せること、僕に見せていい部分、共通の話題、その日一緒に見に行った映画の話。もちろんきっと、ほかの人には見せない部分を見せてくれることもあるのだと思うけれど、その人がその人自身にしか見せない中身を見せてくれるのが、ブログであり、ひとりがたりをするpodcastなのだと思う。

 

その人の内側、とか、内面とか言ったりするものは、結局のところ、ひとりのときに考えている内容なんだと思っている。いろんな人の、そういったパーソナルな部分を知ってみたいと思う人は、きっと他にもいるはず。

 

それならまず自分もやってみようと思って、こうしてブログで発信したり、ひとりでpodcastを取ろうと思ったりしている。

 

そして、あまり語らない人の語りを聞く中で、独り語りのような、その人のなかに眠っている思いを聞くことができたらおもしろいと思っている。一人では気づけなかった先のところまで、一緒に行けたらもっと嬉しい。

 

インタビューをしてみたい人や、ブログとかで発信してほしい人が、周りにたくさんいるっていう話です。