考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

魔法瓶のお茶がまだ温かいと嬉しいし、車から見る紅葉も綺麗だ。

引越しに向けて節約をするようになってから、喜びとか、欲というものについて考えている。

 

家の周りにはたくさん飲食店があって、おいしそうなものが目に入るけれど、肉や魚を食べなくたって生きていける。なんならその方が健康的な気もする。こないだまで魚料理(主にぶり大根)にはまっていたけれど、最近は魚も買わなくなった。

納豆や豆腐、卵、きなこでたんぱく質をとっている。それで十分。おいしいものは、昔の人が一生で食べたのと同じくらい、28年間でもうすでに食べたと思う。

 

今の家にいる日数があとわずかなので、カフェに行くよりも家で語学をしたり、本を読んだりしている。

友人がビアレッティのエスプレッソメーカーをプレゼントしてくれて、家でラテを飲めるようになった。ラテはコーヒーの一番好きな飲み方で、これを飲みたくてコーヒー屋に行ったり、コンビニでテイクアウトすることがあったのだけど、その頻度も減りそうだ。

 

 

 

この季節、わざわざバス代を払って有名なお寺に行かなくても、仕事中の車の中から見える紅葉で十分に満足だし、朝、薬缶から魔法瓶に入れて職場に持っていった熱いお茶が夕方になっても温かいと、それだけでほっとする。

 

最近、家でコーヒーを飲むときに100円を貯金箱に入れるようにしていて気づいたのだけど、お金を使う行為それ自体に、喜びがあった。

家にあるコーヒーをただで飲むよりも、100円で買って飲むほうが嬉しいのだ。

100円だと店で飲むより安いから、お得感もあるし、ついでに言えば、貯金箱に入れたお金はまた使える。

冷静に考えたら馬鹿みたいな行動だけど、それだけで一石三鳥の喜びになる。

こういうのは、実質的に何をしているかより、心がどう感じるかが大事だから、馬鹿みたいでもいいんだと思う。

 

ぼくの購買欲なんて、その程度のことで、簡単に満たすことができるのだ。

 

 

地球のためには、人間は、できるだけ何もしないのがいいと思っている。

なるべく働かず、食べ過ぎず、消費せずに、静かに生きる。

 

できれば少しだけ、植物や動物を育てたりしながら生きられたらいい。

 

 

秋はいい季節だから、あんまり何もしなくても、幸せでいられる。

だから、あんまり何もせずに、消費することを控えめにして、しばらくの間生きようと思っている。