考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

夫婦同姓制度について思うこと。

最近聞いている朝日新聞podcast夫婦別姓についての話があった。

前から時々気になっていたテーマだったので、これについて思うことを少し書いてみる。

 

podcasts.google.com

 

 

自分の周りでこれまでに話題になったこと

 

僕は祖母が子どもの面倒を見てくれる父子家庭で育った。母は早くに亡くなっていて話をしたこともないので、母から姓を変更したことに関する話を聞くような機会はなかった。育ての親である祖母からも生前にそういった、姓を変える煩わしさや制度に対する不満などの話は聞かなかった。祖母の姓が祖父のものに変わったのはかなり前の話だし、おそらく当時は今以上に結婚のタイミングで女性が夫の姓に変えることは当たり前だったのだろう。

 

この話を聞くのは主に、ある女友達からで、彼女は、「自分は姓を変えるのが面倒だし制度がおかしいと思っている。現状では結婚のメリットより姓を変える煩わしさの方が勝るから、結婚はしない。パートナーシップ制度のようなものができれば、それを利用するかも。」と話している。

 

僕のスタンスとしては、「別姓のままで結婚することを選択できるようにすればいい」と思っている。夫婦別姓になると家族の一体感がどうこう、とか、子どもがかわいそうとかいう話は、別姓を選ぶ夫婦が増えていく過渡期にそれまでの価値観で生きてきた人間が感じることに過ぎないし、それが珍しくなくなれば皆何も感じなくなるだろう。そんなことは共働きとかの例を参照してちょっと想像すればわかる話だ。

 

夫になる立場としては、(夫婦別姓が可能になった直後に)まだほとんどの人が夫婦で同じ姓を名乗るなかで自分のパートナーが同じ姓を名乗ってくれなかったら寂しさは感じるかもしれないけれど、じゃあ(現行の制度でもできるが)自分が妻に合わせれば?って話になるわけで、それは面倒だなあ、ってなって、「面倒なのは相手も同じでしょ」ってなって、誰と議論する必要もなく、自分の頭のなかで、「別姓選択可能にすべきだな」っていう結論に落ちつく。

 

 

職場のこと

僕の職場は、福祉の現場であって、職員は男性より女性の方が多い。各部署のリーダーも女性がやっているケースが過半数だ。「自分は姓を変更せず夫が自分の姓に合わせた」という話を女性職員から聞くことはないけれど、女性陣は結婚しても皆、職場では旧姓を名乗っている。職場での呼び名や名刺などは旧姓、LINEやFBの名前は現姓というパターンが多い。

 

調べて意外に思ったアジアの夫婦の姓制度

 

wikipediaの「夫婦別姓」のページに、現行の制度ができた経緯や、これまで日本で行われてきた議論、各国の制度がとても詳しく載っている。保守的なイメージのあったアラブ諸国や、日本同様に儒教文化が強く「個人」より「家」の考え方が強そうな中国、韓国はどうなのだろうと見ていたら、意外なことにサウジアラビアやイランでも伝統的に婚姻時に改姓はしないらしい。

さらにびっくりたのだけど、中国では1950年の婚姻法で「自己の姓名を使用する権利」が認められていたらしい。

1950年の婚姻法において「自己の姓名を使用する権利」が認められ、夫婦双方が自己の姓名を用いることができる、とされた。これは相手方の家族の成員になった場合でも妨げられない。また夫婦自らの意志で夫婦同姓や複合姓(冠姓)を用いることもできる(wikipedia夫婦別姓

 

ヨーロッパでは選択できるか、イギリス・フランスなどそもそも「法律に規定がない」国も多い。一致させないといけない国って日本だけなんだな。逆に日本すごいな。

 

ja.wikipedia.org

 

 

パートナーと話したときに僕が思っていた本音と、振り返って思うこと。

結婚を予定しているパートナーと、以前、姓を変えることをどう思うか聞いてみた。あえて本音をそのまま書くと、「幸い、彼女は面倒さは感じるけど名字を変えることに抵抗はなく、僕の姓を名乗ることを受け入れてくれた。」

 

僕が彼女の姓を名乗る選択肢もあることはもちろん知っていたから、「ほっとした」というのが正直なところだ。でもそれって、「もし「変えたくない」と言われて自分が彼女の姓を名乗るとなったら面倒だし、僕は自分の苗字に愛着があって寂しさもあるから」なわけで、その面倒さと愛着のある苗字から離れることを彼女に当たり前のようにやってもらおうとしてるんだなと、あとで振り返って気づいた。

 

 

「男はきちんと負い目を感じないといけない」

 

さっき一人暮らしの部屋で朝ごはんを作りながら考えていてそんなことを思った。

今も昔も、男の方が偉い、なんてことは全くないと思うのだけど、昔は建前だけでも、(たとえば男が稼いだお金で家族を養うという点など)偉いと思わせられなくもない何かがあった。

 

共働きが主流になってきて、特に僕のケースのように薄給で両方が稼がないと子どもを育てるのが厳しい場合は、夫というものにもはや建前の偉ささえもなく、完全に対等な立場だろう。

そんな中で、妻に夫の姓に合わせてもらう、その手続きの煩わしさや、愛着のある苗字から変更してもらうことに対して、申し訳なさをもって、感謝をきちんとしないと行けないんだろうなと感じた。

 

世界的に考えても、「当たり前のこと」では全くないのだから。