書きながら考えたこと。

奈良で暮らす20代の男の、とりとめのない日々の記録です。

”ひとり”の人が好きな理由。

(タイトルとは裏腹に、前半ネガティブなことばかり書いています。

詳しくは書いていませんが、いじめにかかわる内容もあります。苦手な人は気をつけてください)

 

 

あるきっかけで、久しぶりに中学生のころのことを振り返って考えていた。

 

 

 

僕はどうも、自分の身近な人や大切な人が、自分のいないところで他の人と仲良くしている写真を見るのが苦手で、そもそもSNSやポスターなどでも、誰であろうと、集団で仲良く楽しそうにしている様子を、外から見るのが苦手なところがあった。

 

スマホなどでSNSを見るときはたいていひとりなわけだから、それは相対的に感じる孤独感、みたいなものかなと思っていたし、一般にSNS疲れ、と呼ばれるもののひとつの原因で、きっと多くの人に、多かれ少なかれあるものじゃないかと思う。しんどくなったら見ないようにしたり、ときにはinstagramをアンインストールしたりしてしんどくなりすぎないように距離を保ってきた。逆に、自分の投稿を見た人にしんどい思いをさせたくないなと思って、SNSに投稿するのは、なるべく一人でいる時間のことに限っていた。

(自分がそうしているっていうだけで、他の人もそうすべきだなんて言うつもりはない。苦手なアカウントはフォローしなければいい話で、あくまで僕のポリシーというか、ポリシーと呼ぶにはおおげさすぎるほどの、そういうことに思いを馳せるまではずっと無意識にやっていた習慣の話だ)

 

 

あるきっかけで、「仲よく楽しそうにしている人たちを外から見たときの疎外感」に関する、過去のことを思い起こした。

当時のことがもしかしたら今でも、上に書いたような、「SNSにしんどさを感じる」ことに繋がっているかもと思ったので、普段あまりしないけれど、少しネガティブなことをつらつらと書いてみる。

 

中学のときに、理由があって部活を途中で転部して、陸上部に入った。良いところや楽しい思い出もあった部活だったから悪い点だけ書きたくはないのだけど、そこにはちょっとしたいじめのようなものもあって、「ちょっと気に入らない」みたいに思われる人が、一定期間無視される、といった、よくない習慣?があって、途中から入った僕も、ある理由でその対象になっていた時期があった。

 

もとから陸上部にいて仲良くしている人たちを、ひとりで外から見るのはやはり孤独で、思春期の多感な時期に、孤独に耐えながら部活中走っていた。部活のことを考えると胃が痛くなることもあったし、いじめとか、そういっためんどくさいことをする人や集団とはできるだけ距離をとろうと思うようになった。

いじめが終わって、陸上部でリレーメンバーに選ばれて、個人種目でも大会に出たりして、周りから認められるようになってからも、付き合う人間関係は選んでいたし、「ひとりひとりと関わったら別にそんな悪いやつでもないのに、集団になったらいじめとか起きてめんどくさい」って認識ができて、できるだけ安心できる少人数のメンバーとか、信頼できる人と一対一で関わろうとする癖が、自分のなかにできた。

 

まだいじめられている時期、陸上部にいるときに、安心できる人もいた。あまり誰ともしゃべらず、おっとりしていて、まじめで淡々と長距離を走っている同学年の子で、いま思えば発達障害だったのかもしれないけど、2人でやる練習は彼と一緒によくやっていた。今思うと、彼の存在にはとても救われていた。

 

部活とは関係のない、自分のクラスでも、不登校で時々しか来ない子と仲良くなったりして、「ひとりでいる人」に安心感を持つようになった。

 

高校になってからも変わらず、主流の価値観と外れたところにいるような人との付き合いが多かった(高校からは、個性の強い人が多い環境だったので、そういう人の数が少なくなかったのだけれど。)。

進学校の高校で、みながセンター試験の勉強をしているときに、ひとりだけ卒業後海外にいくためにバイトをしている人とか。

 

逆に、学祭なんかで、みなで同じTシャツを着たりするのが苦手で、なるべくひとつの集団にどっぷりと浸からずに、一定の距離を持って外からいたい。ちょっと専門的な言葉を使うと、マージナルな存在でいたいと思うようになっていた。

 

大学でも、サークルはかけもちしていて、在学中ずっと続けたものはなかったし、暇な夜の時間も、同じ学部の人よりも、他の学部の人たちと過ごす時間の方が長かった。でももちろん、どうしてもアウェーな感じはあった。自分だけ知らない授業の話とか、クラスの人の話が出るときもたくさんあったから。

なんというかいつもどっちつかずで、浮き草のようで、ずっと当たり前に一緒にいて、安心できる集団がないことに、それはそれで孤独を感じてしまうこともあった。

育った家族も安心できる居場所ではなかった。何も気を使わずに、リラックスして、当たり前にその場にいられる集団がある人に、あこがれた。

 

いま思えば当時、自分にとって本当に居心地がいいと思える場所を、ずっと探していたのかもしれない。

 

 

自分がそんなだったからか、どの集団でも、そこになじめずに一人でいる人に、惹かれていく傾向にあった。自分と同質のものを感じて安心するのもあったし、一人でいる人が持つ特有の考え方とか、興味関心はいつもおもしろくて、単純にそういう人と話すのが好きだった。

 

中学の部活の自分がそうだったように、集団と距離をとっていたり、ちょっと他の人たちと外れたところがある人は、もしかしたら、見せないけれど、孤独を感じているかもしれないとも思った。近づいてみたらたいていおもしろくて、そういう人たちとの付き合いが増えていった。

 

そういう人たちとは、だいたい一対一で本音で話せるし、普段人に見せない孤独な部分で共感しあえたときには、なんとも言えないぬくもりを感じる。いまも、そうした人に惹かれる傾向にある。ある意味、そうした人たちばかりの職場で、僕はいま働いているのかもしれない。

 

 

僕がブログやnoteを読むのが好きなのも「ひとりの人が好き」だからかもしれない。

誰かが一人の時間に書いたものから、その人の考えや、心の動きを知ることができる。

 

孤独で孤独を癒せるような文章を、僕はこれからも書きたいと思う。