考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

血液型が変わり、血液型に支配されていた過去を思う。

体調不良で仕事を早退して、家で眠ったり起きたりを繰り返しながら、そこそこ元気な時間には何もしないわけにも行かないので、人の文章を読んだりpodcastを聞いたり、こうして自分でも言葉を綴ったりしている。

 

 

昨日はじめて献血をした。

ずいぶん前から、コロナで献血をする人が減って輸血用の血液が足りてないことは知っていたけれど献血をしてこなかった。

行ったあとで思うとバカみたいな話なのだけど、子供の頃に、注射針の使いまわしによるB型肝炎ウイルスの感染のニュースを見たりしていて、注射に対するネガティブなイメージが頭にあって、できれば不要な注射は避けたいと思っていて献血にも手が出なかった。

 

最近、知り合いが献血車の待合にいたのをたまたま見て、身近な人がやっていることに安心感を覚えて、たまたま通りがかった駅前で献血の看板を出している人がいて、時間もあったので献血をすることにした。

 

 

A型じゃなくてO型だった

 

献血は僕にとって驚きの連続で、この経験はnoteにも書いたのだけど、血液型が変わった経験が結構衝撃だったので、それについて掘り下げて書きたい。

 

正確には、変わったわけではなく、違う血液型だと思い込んでいただけなのだけれど。

 

 

輸血の前に血液検査をされて、血液型を調べるための検査キットで、僕が申告した血液型と一致しているか調べてもらえた。間違った血液型のものがまざったりしたら大変だもんな。

 

僕はおそらく赤ちゃんのときの血液型検査でA型の結果が出て、それ以来ずっとA型として生きてきたのだけど、今回調べてもらったらO型らしかった。これ、自分が大けがとかして輸血される側だったら違う型の血液入れられて大変だっただろうから、今回献血してほんとによかったと思う。

 

 

血液型性格占い

20年から15年くらい前だろうか、僕が小学生から中学生くらいのときに、血液型性格診断とか、占いとかがやたらと流行って、テレビでも、A型は几帳面とか、O型はおおざっぱ、みたいなことが言われていた。A型とO型は相性がいい、みたいな話もよく出ていた。

 

今では血液型と性格は実は関係ない、って科学的には言われているけど、どこまで信じているかは別にして、「でもやっぱあの人Oっぽいところあるで」とか言って盛り上がったりする人はいると思う。B型は割とネガティブなイメージなので、B型の人をさりげなく傷つけているんじゃないかと思うけど、人を傷つけたりしなければこういう話で盛り上がるのは別に悪いとは思わない。

 

僕はいまは血液型性格診断なるものは信じていないのだけど、子どもの頃は結構メディアのいうことを鵜呑みにしていて、それによって「A型の自分らしさ」みたいなセルフイメージができていたと思う。中学の頃は、育て親の祖母の影響(祖母はA型だった。もはやこれも本当かわからないけど)もあってか几帳面な方だったし、父と兄と祖母と4人暮らしだった当時、O型の父と兄はおおざっぱ、祖母と自分は几帳面、みたいな構図で性格の違う家族を捉えていた時期があった。祖母もよくテレビを見る人だったから、「あんたはO型やからルーズやねん」みたいなことを平気で息子である父に行ったりしていて、ああ、そういうもんなのかと、幼心にインプットされていた。

 

ちなみに僕を生んで数か月で死んだ母はA型らしく、自分は母親と血液型が一緒だから、母に似た性格なのか、だからもしかしたら自分も神経質で繊細で鬱になりやすいのかもしれない、などと思っていたところがあった。そういう風に思うと、その正確に当てはまるエピソードばかり蓄積されて、血液型がどうであれ、「神経質な自分」という自己イメージが徐々にできていった。これがもし、自分がO型だと子どもの頃にわかっていたら、全然違う自己イメージになっていた気がするし、そのイメージが自分自身の行動に影響し、(たとえば「自分はおおらかな人間やから、ちょっときつく人に言われたことくらい、気にせんとこ」的な)人間関係での立ち振る舞いとか、その後の人生とかにも影響してたんじゃないかと思う。

 

調べてみたら、根拠のない予言によって行動が生じ、予言通りの結果になってしまうという現象は、「予言の自己成就」と呼ばれるらしい。

そして、以外だったのだけど、2004年にはすでにBPOが、「『血液型によって人間の性格が規定されるという見方を助長することのないよう要望する』との声明を発表」していたらしい。


ja.wikipedia.org

 

逆に言えば17年前以前はそういった言説が流行っていた時期で、92年生まれの僕は小学生で、情報の取捨選択なんてできるわけもなく(今の小学生は上手そうだけど)メディアの情報を鵜呑みにしてしまっていた。

もしかしたら、1985~95年生まれくらいの世代は、多感な児童~思春期くらいにこういった言説に多く触れて影響を受けている人も多いかもしれないと思う。

 

B型が特に、自己中心的などとひどい言われ方をしていたから気の毒だけど、何型であれ、レッテル張りによって自身の行動が影響を受ける経験をした人は、人種差別とかと共通項のある経験をしていることになるんだろうな。

 

人種差別も、同じように、外の人たちから作られた自分のひとつの側面に対するイメージに、多かれ少なかれ自分自身の行動が影響を受ける現象なんだと思う。

 

 

 

 

自分のイメージなんて、血液型が実は間違っていたということを知っただけで、こんなに簡単に変わってしまうのかと思うとなんだか馬鹿らしくなって、簡単に自分のことを決めつけたりしないで、もっとのびのびと生きたいように生きようと思う。

 

神経質でもずぶとくても、自己中心的でも思いやりがあっても、内向的でも外交的でも、変わっていても普通でも、どんな自分でも自分は自分なんだから。