日課日記39
なんだか久しぶりに感じる休日。
今月後半は休みが多かった分、昨日まで4連勤でも長く感じていた。
今日は「消費ミニマリズムの~」の本について発信したくて朝から読みながらnoteを書き、蔦屋書店に本を買いにいくついでに読書。月1回くらいは蔦屋書店行って新刊本リサーチするのも良い。
読んでいた本の内容から自然に触れたくなって、夜の大和民俗公園ってどんな感じやろうと思ってチャリで向かうも、ちょっと遠いことに途中でめんどくさくなり、道中にあった郡山図書館で読書をして帰ることに。
結果、本ばっか読んでる1日だった。
おかげで情報量が多くて頭がパンパンに。
仕事もいろいろ大変な状況が重なっていて、専門学校のレポートもやらなあかんというのに・・・。
仕事のこと以外、全部自分のせいやからすごい。
運動
夕方ごろ、バッティングセンターへ。遅めの打席で右、左、右の3回。
筋トレ、スタビーのちゃんとした方法についてネットで調べたが今日はせず。
涼しくなってきたのでランニングも取り入れていきたい。
読書
・「消費ミニマリズムの~」
・友人にプレゼントする本
・「パパラギ」の絵本と、辻信一さんの「スロー・イズ・ビューティフル」
パパラギの絵本、改めてちゃんと読んで、考えさせられる。
資本主義とか、私有財産制がない地域では、余っていたら誰かにあげる、困ってる人がいたら助けるが当たり前やのに、お金という存在のせいでそれが簡単にできなくなっている。もちろん、寄付とかはあるけど、お金なくて困ってる友人に、「お金余ってるからあげるわ」ってあんまりならない。飯奢るとかやったら、まだあるか。
お金じゃなくて食料やったら、どうせたくさんあっても腐るから、と簡単かもしれない。
そう思うと、第一次産業をしてる人って、人助けをしやすいよな。農家の人から野菜あげるわって言われたら気軽に受け取れるけど、投資家の人からお金余ってるからあげるわって言われたら、ちょっと何か裏あるんちゃうかと思って抵抗あるもんな。
消費ミニマリズム~とかを読んでると、お金ってあったら使っちゃいがちやし、そもそも稼ぎも少ない方がいいのでは?とすら思えてくる。欲望の象徴であるお金が余っていれば、その分欲も湧きやすい。
少なくとも、低所得とは言えそれなりに暮らせていて(同世代の他の人から見たら少ないかもやけど)自分が必要と思うだけの貯金も一応できてる今、まあ、職場もちょっと人手的に大変やし仕事基本楽しいから変わらず働くけど、お金をなんか、ちょっと異常な方法で周りに還元するような実験、してもいいかもしれないと思う。自分を苦しめない範囲でやけど。
やってみたら、周りの世界が微妙に変わったりするかもしれない。
てか、家族とかパートナーにだったら簡単に何か贈ったりするのに、そうじゃない同僚とかには少ないのも、なんというか排他的である。うちの職場、食べ物の差し入れはよくあるけど、なんかもっとラディカルなことしたいな。
パパラギの絵本の元になった演説をした部族長がいるサモアの島で、「私の」と「あなたの」を表す単語が同じっていうのは、結構衝撃だった。
仏教の考え方にも近いけど、不可分であるというのは、すごいことだ。
語学
せず。
スローライフならぬ、スローハングルラーニングである。
洗濯
する。