考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

日課日記99 話し続けることで自分にとって普通のことになる。

日課日記99

 

実習や仕事のことで自分の不甲斐なさにもやもやして、バッティングセンターへ行ってから家に帰ってホルモンカレーを作った。

 

バッティングセンターは良い当たりが少なく4打席目でも時々空振りした。

業務スーパーで安く買える黒毛和牛のモツを入れたホルモンカレーは当たり前のようにおいしかった。

 

ゲームは再開してしまっているけど、断酒は続いていて、このまま飲まずに年を越せそうだ。

 

いろんなものに依存してしまっていることに気づいて、いろんなものを一つづつ期間限定でやめてみることをしてきた1年だった。

コーヒーも酒も、洗濯機もやめられた。コーヒーはとっくに再開しているけれど。

 

肉や魚を一定期間食べずにいたこともあるけれど、美味しいものを食べることだけはたぶん一生、1日たりともやめられないんじゃないかと思う。まずいものしか食べない日を経験したことがないし、おいしいものを食べずにまずいものだけで生活するのは、頑張ってやろうとしてみても結構難しいんじゃないかと思う。それくらい、僕たちの周りは、おいしいものであふれている。

 

 

 

 

話すことでどうして楽になるのか

 

note.com

 

wish you were here の音声配信の2回目で、僕たちが母親の自死を受け入れる過程について話した。この中で僕は当たり前のように、受け入れることができるようになっていくきっかけの一つに「人に話せるようになったこと」を挙げたのだけど、なぜ人に話すと受け入れられるのか、楽になるのか、について考えていなかったことに気づいて後から考えたし、よだかさんとも話した。

 

そのなかで「話すことで、(自分にとって)普通のことになっていく」というのがひとつの理由だろうと思った。

 

ショッキングな出来事を受け入れられずにいるのは、当たり前だけど、それが衝撃的なできごとだからで、受け入れがたいことだからだ。

だけど、人に話して、聞いてもらって受け止めてもらう。

そうすれば、自分だけでなく、聞いてくれた人にとっても事実になる。

 

共有されればされるほど、そのことは一般的になっていくし、

繰り返し話せば話すほど、自分にとって当たり前なことになっていく。

 

僕は高校の頃に、母親の自死を初めて、学校の先生や友人に”カミングアウト”した。

そのときは、自分が自死遺族であることは、誰にも言えないような悲しいことであって、隠すべきことだった。

 

だけど、折に触れてこの話をするようになっていって、例えばそれが、文脈のなかで話すのが自然なことであれば、初対面の人に話すことさえ、抵抗がなくなった。

 

たとえば大学の頃、専攻を聞かれて臨床心理学と答えたあとで、それを専攻した理由を聞かれたら、ためらいもなく、「実は母親が精神病で自死をしていて・・・」と話していた。

 

 

そして30歳が近づいた今の僕は、自分の母親が自死をしたことを、ブログや音声配信でさえためらいなく話している。高校生の頃とは全く違う。

 

話すにつれて、同じように、身近な人を自死でなくした人が他にもたくさんいることを知っていったし、身近な人をなくす悲しみは、自死であろうとなかろうと、大きな喪失感を与えるものであって、そして身近な人を亡くす悲しみは、誰しもが経験することだということも、年をとるにつれて感覚的にわかっていった。

 

 

ブッダに言われて、子どもを亡くしたキサーゴータミーが死人の出たことのない家を探す話に似ている。

 

 

 

今、自死をした人の息子であることは、自分にとって当たり前で、普通のことだから、それを考えることにネガティブな感情はない。むしろ、似た経験をした人と話ができるときには、共感できる喜びを感じる。

 

 

 

 

しんどいときに、人に聞いてもらうと気持ちが楽になる。

そして、話すことで、それが自分にとって少しずつ普通のことになっていく。

普通と思えるようになることが、受け入れるということなんだと思う。

 

 

 

●トレーニン

バッティングセンター、右3打席、左1打席

 

●読書

4年前のデンマーク留学中のノートを読み返す。

 

●洗濯

せず。