考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

日課日記113 「豊かさ」について

 

休日。

 

東大寺の金鐘ホールで11時から映画を見るつもりでいたけれど、腹痛があったのと、しないといけない課題があって、朝は家で過ごす。

見る予定だった「ブータン 山の教室」、いつか見てみたい映画だ。

 

bhutanclassroom.com

 

家で過ごす時間に、stand.fmで、ネイティブアメリカンの暮らしについて話すIna Sinさんの音声を見つける。

アメリカ南西部に住むネイティブアメリカンナバホ族の、豊かさの定義がとても深い。

 

stand.fm

 

自分のできることで、家族や社会にどれだけ貢献できるか。

何かを与えることができるか、が豊かさ。

持っていることではなくて、与えられるか。

 

いろんなことが頭のなかで繋がる。

 

 

・昨日お会いした、台湾人のお坊さん。会うたびにいつも台湾のお菓子や手作りの食べ物をお土産にくれる。人を幸せにするために修行していると言い切るお坊さん。自分の欲にはとらわれず、人のために何かをすることに喜びを見出す姿が尊い

小欲知足で自分は必要最低限のもので満足できるから、持っているものが少なくても人よりたくさん与えることができるのか。そしたら、「欲が少ない方が豊か」なのかもしれない。

 

 

・障害のある人や他の人のように働くのが難しい人も、僕たちに与えてくれるものがあって、それが、その人をケアする喜び、だったりする。必要とされている感覚は自己肯定感に直結するし、人を助けられることはとても幸せなことで、助けることで自分を肯定する機会を僕は仕事を通していつももらっている。

 

 

・シェアとか贈与といったものの価値を思う。ただ自分の分の食べ物を買うよりも、誰かに何かをプレゼントして、逆にプレゼントされたものを食べる方が嬉しいこともある。何かを誰かと交換するだけで価値が上がるように感じていて、僕はいつもそれを考えるときに、ポケモンのゲームで交換したら進化したり、経験値が上がりやすくなることを連想する。

 

 

ネイティブアメリカンナバホ族は、家族をとても大事にするらしい。台湾人のお坊さんは、人類はだれであれ、前世をたどっていくとどこかで繋がっているから、皆家族だと言っていた。家族に貢献するみたいに、たまたま縁があった誰かに何かを与えることができたら、無限に豊かになれるかもしれない。台湾人のお坊さんは、まさにそんな感じの生き方をしている。

 

 

できないことで無理して与えるのではなくて、自分ができることで与えるのがいいらしい。そのために自分のことをよく理解する必要があるらしい。

自分はどうやって社会の役に立てるだろう。何を与えられるだろう。

そうやって考えること自体が豊かっちゃ豊かだ。

 

午後、久しぶりに後輩とカフェに行って、平城宮跡でぼけーっとしたのも豊かな時間だったな。自然もいろいろ与えてくれるから豊かなのかもしれないな。

 

 

 

●運動

平城宮跡を散歩&サイクリング

 

●読書

論語を読み進める。

「冷や飯を食べて水を飲み、眠くなったら肱を枕にして眠る。その中に豊かさがある。」なんて、「年収90万円でハッピーライフ」の著者の大原扁理さんが言いそうなこと(そうでもないか)を孔子も2500年前に言っていたらしくておもしろい。

 

孔子はどうやら、生きていた時代にはあまりいい地位につけなかったらしくて、富裕層になれなくても幸せだ、みたいな開き直りがあったのかもしれない。もしそうだとしたら、僕もそこだけは孔子と共通している。

 

●料理

スーパーで玉ねぎとバターチキンカレーのルーを買って来て冷凍していた鶏肉を使ってカレーを作る。バターチキンカレーの市販のルー(こくまろカレーとかバーモンドとかそういうタイプのルー)ってどうなんだろうと思って試しに使ってみた。まあおいしいけど、手づくりの方が楽しい。

 

最近は水菜のサラダにはまっている。ちょっとチンして温野菜サラダにするのが好きな食べ方。和風玉ねぎドレッシングがおいしい。作り置きの豚バラ大根と一緒に食べる。