考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

「ルールは破るためにある」とよく言ってたおばあちゃん

ルールを疑ったり、おかしいと思ったらあえて無視したり逆らったり、あるいは声を上げて正面から変えていこうとする人が少ないなあと思う。

3年前になくなった僕の育て親のおばあちゃんは、傍若無人な人で、無茶苦茶なところも多かったのだけど、
「ルールは破るためにある」という言葉を格言のように時々口にしていた。


おかげで、「我が家では高校生まで電車は子供料金!」などという、社会の法を完全に無視して違うものを堂々と孫に押し付けてきた祖母オリジナルのそのルールを、僕はきちんと破って、中学の時には大人料金で電車に乗ることができていた。
(一度、お金ないときに子供料金で乗って駅員さんにバレて注意されたことはあったけれど。)



社会や組織の仕組みとかルールは、必ずしもベストなものとは限らない。

たとえば、駅構内や電車内ではマスク着用というルール、風通しのいいホームや、周りにほとんど人のいない車両でも適用されるべきなんだろうか。

僕はアレルギー性鼻炎持ちで鼻詰まりがあってマスクがしんどいから、そういう状況では必ずマスクを外すんだけど、周りを見渡すとずっとつけてる人がほとんどだ。


たとえば、濃厚接触者を特定するために、感染者が集団でいたときの状況を保健所に報告するルール。

濃厚接触者が増えて現場が回らなくなるくらいなら、ある程度適当にごまかした方が現実問題いいよねってことはよくあるし、そもそも保健所パンクしてない?とか。

政府の言う感染対策を忠実に守って使い捨ての感染対策グッズを大量に消費するのは正しいことなの?とか。
疑問はたくさん。

だけど本音でそう思っていても、堂々と声をあげる人って本当に少ない。

対立を避ける方法だってある。

小声で相談するように、疑問形で声をあげてみる。
本当にそれがベストなんですかね?
対策したから防げたって証拠がないなら、環境問題とも天秤にかけながらゆるめるとこゆるめて行ったほうがいい気がするんですよね…
とか。うまいこと言えたらいいんだけど、上の言うことに素直に従って当たり前、って思ってる人が多すぎる気がする。



いまのルール決めたのも、本来僕らと対等であるはずの人間なんだけどな。

国会にいては見えないことなんて無限にあるはずなのに。現場の人のほうがわかってること、たくさんあるはずなのに。

もちろん、その逆も然りなんだけどさ。

そのルールの究極の目的は何なのかってところを考えて、その目的を果たすためにほんとうに今のルールはベストなの?って、疑問に思ったら、

気づいた人から、声上げるなり行動で示すなり、していったらいいと思う。
さぼるとか、忘れたふりをする、とかいうのも一つの手段。

真面目な人には難しいから、不真面目な人から、少しずつね。

ルールを変えるためにも、投票行動でメッセージを送るって大事だと思うんだけどな。