考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

外を歩ける贅沢 / 本人の立場に立てばたつほど、自殺がダメとは思えない

 

喉の調子が悪い。

こういうときは休むに限るのだけど、朝起きたあと、ただだらだらするのも暇なので、ブログを書く。目が疲れているときは音声で残すけど、喉がしんどいときは文字に書く。選択肢があるというのは便利なものだ。

 

 

外を歩ける贅沢

ようやく涼しくなってきた10月4日の火曜日に、久しぶりに山に登った。

4年くらいの冬に登って、見晴らしがよくて好きになったものの、なかなかチャンスがなくて2回目の登山ができていなかった大和葛城山奈良県御所市と大阪府千早赤阪村の境目にある。

標高1000mにも満たないけれど、大阪府の最高峰らしい。ちなみに最高峰ってのは、その地域にある山のてっぺんのうち一番高いところを指すらしくて、大阪府の最高地点は別にあるらしい。

 

 

前回は行かなくて、今回初めていったお気に入りスポット。まだ暑さも残っていたので、風が強いのが気持ち良かった。

 

 

前回は近鉄を使ってふもとの御所駅まで行ったけど、JRを使ったら早くてDoor to top(家から山のてっぺんまで)で2時間半ほどで行けて、下山しても3時くらいだったので、もう少し歩くか~と思って登り口から2時間くらいある香芝駅まで歩いてから帰ることに。下山した時点での万歩計が1万6千歩で、こっから平坦な道をずっと歩いたら4万歩くらい行くかも!とちょっと期待して。

 

 

登山のあとで2時間の散歩って結構ハードで、正直ちょっと後悔したけど、こういうときに思い出すのは、外を歩けるって、実は誰にでもできることじゃないんだよって話。

精神科に長期入院してる人のなかには、コロナでなくても外出許可出てない人たくさんいるし、入院せずに地域で生活している人のなかにも、足が不自由で自由に歩けない人ってたくさんいる。

 

便利さとか速さでいったら、車とか自転車とか新幹線とか飛行機の方がいいだろうけど、外を歩くって行為が実は、したくてもできない人のいる、贅沢なこと。

そう思うと、ちょっと無理して、しんどいくらいに外を歩く日があってもいい。

歩きすぎたしんどさや筋肉痛だって、味わえない人もいる。

 

その日の万歩計は、3万2千歩だった。

いつかまた、4万歩にチャレンジしたい。

 

 

 

 

 

 本人の立場に立てばたつほど、自殺がダメとは思えない

 

去年の11月からstand.fmでやっている、自死で大切な人を亡くした人の対話。

おとといの収録は前からとても楽しみにしていたゲスト回で、ゲストは、ラジオのなかではあまり話していないけど、かなりハードな育ち方をしながらもこでまで積極的に活動をしてきた、尊敬している方。

 

大切な人を自死で亡くして、自身も自殺未遂をした2人に、死にたくなったときの経験や「なぜ生きているか」について話を聞いたり、一緒に考えたりするような、とても刺激的な時間だった。

 

本人は本気で苦しいのに、自殺してほしくないとか、自殺は良くないっていうのは、周りのわがままでしかないのかも、ということは、前から思っていた。

それでも、ラジオのなかで中村さんが語っていた、「死にたいときに言われて楽になった言葉」(19分ごろ~)はほんとに心に響いて、その言葉を言えるくらい相手の苦しみを理解しようとしない人に、死んだらあかんなんて言われても響かないのかも、って思ったりもした。

 

死にたい理由ならいくらでもあるけど、生きる理由なんてないって人に、ちょっとでも「それでも生きてて良かったな」って思える瞬間があればいいし、そんな瞬間を見つけやすい社会であってほしい。

 

働き続けるために、無理せずにしんどかったら休んで、仕事を楽しまないといけない、おもしろみを見つけないといけないと思いながら働いてきたけど、生きることもきっと一緒で生き続けるために、休む時は休んで、楽しめるようにしないといけない。

 

じゃあそもそもなんで生き続けないといけないのかっていうと、やっぱり僕の場合は、

死んでしまった人に、生きててほしかったって気持ちが原点にあって、自分はどうにか生きていようって思ったんだよな。そう思って長い間生きてきたら、たくさんの人に支えられる幸せも経験できて、いつの間にか生きるのが楽しくなっていた。自分に生きる価値があるかはわからなくても、生きる目的はできた。

 

stand.fm