考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

ぼんやりした日のドキュメント72時間/ アウトプットの精度を上げる

 

年末年始たくさん働いたから、というわけじゃないけれど、国家試験2週間前に入った今週の半ばから、2つ掛け持ちしているうちの片方の仕事をしばらく休ませてもらっていて、勉強時間にあてている。

今日から4日間、月曜日の午前中にリモートで会議に出る以外は仕事は休み。

 

とはいえ、大学受験生の頃のように集中は続かないし、4~5時間程度勉強をして、他の時間はゆっくり好きなことをするのに使っている。誰かの関心につられて流されてみたり、興味に従ってふらふらと動いてみる時間もある程度あった方がいい。

 

 

 

昨日は仕事終わりに友人の家で鍋をして遅くまで飲んでいて、今日は二日酔いの頭痛が少しあって、少しいつもより遅めに起きて、ウクレレの練習をして、昼ごろから図書館で勉強をした。友人にもらったウィーン土産の20㎝四方の正方形の形をしたウエハースは4等分に割っても1口では食べれずにコタツ布団にたくさんこぼしてしまって、食べ終わりの頃に、4等分ではなく8等分に小さく割れるように切れ目が入っていたことに気づいたけど手遅れだった。

 

近所の図書館はなかなか珍しい(変な意味じゃなく)大人向けの図書館で、成人専用席というのがある。休日はカードを借りて席をとることができるのだけど、窓側の席と通路側の席の2列でたしか60席くらいある。

昼は窓側の席を借りて集中が切れたり目が疲れたときに窓からの景色を眺めてぼーっとするのが好きだ。川沿いにある図書館だから、今は葉のついていない桜の木が見え、散歩をするおじいちゃんおばあちゃんや、ジョギングをする人、友達連れで自転車で走っていく子供や犬の散歩をする人たちの姿が見えて楽しい。遠くには山も見える。

夜は通路側の席を借りる。通路側の方が落ち着いて集中できる。

 

途中、買い物をしないといけなかったので抜けてホームセンターへ。駐車場にあるたこ焼き屋さんでたこ焼きを買って食べた。たこ焼き、ずいぶん久しぶりかもしれない。熱すぎて上あごをやけどして皮がめくれてしまった。

 

過去問を何周かしているけれど、精神保健福祉士の試験は範囲が広いし似たような制度がいくつかあるから、細かいところはなかなか定着せず、繰り返し問題をときながら少しずつ理解を深めている。

 

 

ぼんやりした日のドキュメント72時間

 

今日は誰と会うわけでもなく、おそらくこの4連休、誰とも会わずに終わるかもしれない。転職して間もない緊張感から少し離れて、ぼんやりした気分で過ごした。

 

勉強を終えて家に帰ってから、noteでフォローしている人が、NHKのドキュメント72時間のファンの人がやっているpodcastを紹介していて、夕食後に散歩しながら聞いてみたらとてもおもしろかった。初回で話していたのは、能登半島の桜が綺麗な無人駅が舞台のドキュメント72時間。二人とも話がうまく、独自の視点でその空間や番組を分析していて、番組を見ていなくてもかなり細かく映像がイメージできて楽しめた。

むしろ、見ずにこれを聞く方が想像膨らませて楽しいかもしれない。

映画より先に、ノベライズを読むような感覚。笑

 

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アウトプットの精度を上げる

 

転職先の職場の上司が話やコミュニケーションがとても上手で、比べて自分は言語化するのが苦手だと思う。いろんな情報があって、記憶が定着しにくいというか、アウトプットに時間がかかるのもよくない。

記憶力を高めるのに、運動が良いらしい。座って過ごす時間が長いと記憶力が落ちるというような話を、世界一受けたい事業でさっき「スマホ脳」、「運動脳」の著者が話していた。明日久しぶりに若草山に登ろう。

 

 

あまりにも当然なんだけど、他者から見た自分は、自分がアウトプットした部分でしかないんだよなということを最近ときどき思う。

頭のなかでどれだけいろんなことを考えていようが、言葉に出さないものは伝わらないし、(別に自分はそんなことないけど)仮にどれだけ高尚なことをたくさん考えていようと、それを上手に伝えられず、つたない言葉で乏しい情報しか伝えることができなければ、そういう人間だと思われる。

 

 

去年1年の目標は、アウトプットを続けることで、それはできたし、してきたおかげでいろんな人と繋がれて学ぶことも多かった。

今年は、アウトプットの精度を上げることを目標にしようと思う。津村記久子さんの小説みたいにクリアに言語化したいし、ぼんやりとしてないで、しっかりと日々を生きたい。

言葉を丁寧に使う必要があると思う。

 

僕はなんとなく伝わればいい、で、話をしすぎてるし、

なんなら話さなくてもわかってくれたらいいなんて甘えて言葉にしないことすらある。

 

たとえば、いただいた年賀状に対して正月を過ぎて返す寒中見舞いのことを、(目的は一緒だから)「年賀状」と読んでしまったりする。そういうところが僕はある。

 

言葉の使い方というより、物に対する言葉を当てはめ方が雑なのだ。

 

そう思うと、自分だけが見る日記だけじゃなく、こうして人に伝わる言葉でブログを書くのは大事かもしれない。なるべくここにも書くようにしよう。

 

 

アウトプットの精度に関連することで言うと、ウクレレの練習音声をずっとstand.fmに収録して配信していたのだけど、雑音が気になっていて、最近スマホ用のマイクを注文した。ソロウクレレの音色は本当にきれいなので、綺麗なまま聞いてもらえたらいいと思う。

 

2023年は、アウトプットの精度を上げよう。

そのために、精細に物事を捉えよう。

 

できるかな。できるといいな。