休職期間、3日目。
本の内容が頭に入らないくらい、ぼーっとしている。
しっかりと鬱状態だなあ。
出かけるのもおっくうで徒歩5分の図書館で本を借りて、コンビニのコーヒー片手に川辺でぼーっとする。
性格上、人との関りもある程度セーブした方がいいんだろうなと思いつつ、
おとといも昨日も人と話をして、今日もLINEでやりとりをする。
明日は、ある人に会いに行くから、今日はせめて、一人で過ごそう。
人が書いたものを読む余裕がないときでも、自分のブログを読んで、過去のことを振り返るのはできたりする。
余裕がないと過去のことを思い出せなくて不安になるんだけど、ブログは思い出すのを助けてくれる。
2015年の春から夏の、しんどい時期によく聞いていた、星野源の桜の森を聞きながらこれまでの4月を振り返っている。
4月は毎年調子を崩しているように感じていたけど、実際鬱っぽいのはここ3年くらいで、意外とそうじゃない年もあるんだなと気づいた。
本気で、僕以外の人が見る意味のないブログやと思います。
2022年の4月
去年の4月のブログを読み返して、ああ、自分は去年から鬱っぽかったんだなあと思う。
というか、脳に負荷をかけすぎている。レポートや仕事や、他にもいろいろとプレッシャーを感じていた。
しんどいから酒を飲みながら無理やりテンション上げて勉強したり、ソメイヨシノが気持ち悪く感じられて桜のない山に登ったり、羊文学の1999をひたすら聞きながら夜に散歩して、忙しさのあまり、精神科への入院願望をブログに書いたりしている。
もうすでにちょっとおかしい。
春はメンタルの調子崩す人が多くて、自分も憂鬱だったりそうじゃなかったりを繰り返しているんだけどまあまあマシな方で、マシな方と言えどもまあまあしんどくて、だけど慣れてるのでしんどさを味わって楽しもうとしている変態な自分もいる。人の苦しみは笑っちゃいけんけど、自分のしんどさならなんぼでも笑い飛ばす権利が自分にはある、というのが最近のどうでもいい持論だ。
そんなこと考えている間にも、毎月レポートの提出期限は迫ってくるわけで、仕事終わりにちょっとでもモチベーションを高めるために、お酒を飲みながら気分をよくして勉強するということを今、している。
ここ2日くらい、羊文学の1999という曲を繰り返し聞いている。
疲れた脳を、いい感じに慰めてくれる。
noteで1999って検索したら、虐待されてうつ病を患った若い女の子の文章が出てきて、それはそれは上手な文章で、少し心が揺さぶられた。
一度自分も精神科に入院したいなと、最近漠然と思っている。
この年の4月9日のブログで紹介していたEXITの兼近さんと、菅原直樹さんの対談は今読んでも良かった。
ここ数か月の自分は、余裕がなくなりすぎて、本当にカチコチになっていた。余裕、本当に大事。
2021年の4月
2年前の4月は、PSWの通信の専門学校に入学して、これから始まるレポートの不安や、職場の仕事のことでプレッシャーを感じている。中国語のHSKの試験を受けたりもしている。
この時期は短かった結婚期間の一部で、そのなかで職場の利用者さんと同僚と一緒に旅行に行って、自分の好きなことを思い出したりしている。ネガティブなことを書いた文章は意外と少ない。
それにしても、仕事で作っている、ある冊子の製作に関するプレッシャーはずっと付きまとっていて、焦りとか不安とか、ネガティブな感情にもよく陥っている。
他にも、4月からの精神保健福祉士の学校の通信の課題がどれだけ大変だろうかとか、読めないことも多くて最近はなんだか不安が大きい。
仕事や勉強だけだったらどうにかなるんだけど、同時に急がしいなかでも遊びたいとか、生活を大事にしたいという思いが、逆に重荷になっている気もする。
スマホで喩えたら、2割は「娯楽・趣味」で常に埋めていたい、だから残り8割がぎゅうぎゅうになってしまうような感じだ。
まあでも、なんでも余裕は大事だし、楽しいと思いながらやるようにしよう。
良いものを作りたいからプレッシャーを感じるわけで、そのワクワクを忘れないようにしたいなあと。
僕は旅に出たら、だいたいその土地の図書館に立ち寄る。入ってみて、居心地のいい図書館だったり、おもしろい本にたまたまた出会ったら、1~2時間くらい滞在する。
図書館は休憩場所にもなるし、旅で訪れた地域のことを知るためにも利用できる。ガイドブックもあるし、その地域の地方紙も置いてある。建築もそれぞれ違っておもしろい。
だけど、ゆるい活字中毒の僕にとって、旅先で図書館に行く一番の理由はきっと、旅先での活字不足を補うためだ。
普段は仕事以外の時間は、読もうと思えばいつでも本が読めるけれど、旅の途中は、(ひとりで行く電車旅なら車内で思う存分読めるからそうでもないけれど、それ以外のドライブ旅や人との旅行だと)本を読む時間が少ない。
だから欲求不満になるのだけど、その欲求不満の状態で図書館に入って、興味のある本を探して読んだらとても楽しい。
2020年の4月
この年は、コロナ禍が始まって間もない時期で、ニューノーマル、なんてワードが出ていて懐かしい。
それぞれの人が、慣れない状況に対応しようとしていた時期。自分はむしろ、人と会う頻度が減って、電話でのやり取りで満足していて、精神衛生的によくなっていたりしている。
仕事以外の時間で僕自身におきた変化といえば、友人たちと電話やZOOMなどで話す機会が増えたことがひとつだ。電話をする相手は、リモートワークになって人と関わる機会が減って寂しいとか、何かと変化が多くて落ち着かないからという理由で(それ以上に夜の予定がないために遠隔で話すだけの時間があるというのが大きいだろうけど)、僕のほうは、同様の理由や、このご時勢にみんながどんな風に生活をしているのか興味があってよく電話をする。結果的に仕事以外で人と話す機会が増えたおかげで、メンタル面がむしろよくなっている気がしている。
これに関してはほんと人それぞれ違うだろうけど、僕は対面でのコミュニケーションも好きだけれど電話やオンラインでも結構満足できてしまう性質で、「人の声を聞く」ということでかなり寂しさを紛らわすことができている。このことは、コロナ騒ぎが始まってしばらくたってからpodcastにはまってずいぶんよく聞くようになったことにも関係している。
2019年の4月
この年は、育て親の祖母が3月に亡くなった。
4月に休みをとって、沖縄へ行き、辺野古を訪れたりしている。
連休をとって、わりと、自由に過ごしている。
2018年の4月
この年の4月は、ブログを書いていない。
5月4日のを読み返すと、就職して半年後、仕事をとても楽しく感じている自分がいる。
なんと、春を楽しんでいるらしい。
新年度が始まって1ヶ月が過ぎ、職場にきた新人たちとの出会いや新しく入ったコミュニティの人たちとの関わりなどもあって浮かれた気分になっている。春はいつも落ち着かない。調子を崩したりすることが今年はなく、むしろ自然と楽しい気分になっている。
去年の秋から始めた職場で半年以上が立ち、職場での立場も変わり、後輩に教えることも出て、より深くコミットするようになった。障害のある人たちとの関わりがとても楽しくて、いい仕事に巡り会えたものだと思う。資格を取ったら自分の最も興味のある分野に転職するつもりでいたんだけど、それがしばらく先になってもいいと思うくらい、今の仕事が面白い。
2017年の4月
ブログは1本だけ。
デンマーク留学の予定が、パスポートの期限の関係で渡航できず、絶望的な気分になっていた。笑
本来ならおととい出国して今頃はデンマークのフォルケホイスコーレ(大人が学ぶ国民高等学校)にいるはずなんだけど、パスポートの有効期限が3か月を切っていた関係で渡航ができず、空港から泣く泣く家に帰ってきたので、今も日本にいる。航空券も直前に買い直すと高いし、パスポート更新の期間分、留学が短くなってしまっていろいろショックは大きいんだけど、出発が伸びたおかげで昨夜のNHKのハートネットTVを見れたのは良かった。
ハートネットTV「精神疾患の親を持つ子ども」を見て - 考え事と生活の記録
2016年の4月
ブログ5本。
パナマ文書のことを書いたり、京都の銭湯について書いたり、大学5回生のタイミングで復学をして、4回生後期の休学期間を振り返ったりしている。
よく遊びにいっていた大学の友人が引っ越しをして、遊びに行けなくなった喪失感を綴っている。
「春の憂鬱」というタイトルのブログをこの年に書いている。
2015年の4月
大学4回生。
3か月だけ父親の家に暮らしていた時期。家族が二人入院して、しんどかった時期。
もう8年前か。
まだ、ブログを始めていない。この年の7月にはてなブログを始めている。
こうやって振り返ると、いつもいつも春がしんどいというわけでもないらしい。
9年間、いろんな変化があったけど、それなりに生きてきたんだなと。
当たり前だけど、しんどいことをするから、しんどくなるわけで、負荷をかけすぎないで、もうちょっと楽に生きればいいんだろうな。
頭の余白がないと、脳が機能障害に陥って何もかもうまくいかない。
転職自体が初めての経験だったから、失敗も仕方がない。
引き返したって、方向転換したって良い。
もう少し、コツコツと無理なくステップアップしていけるようなことをしよう。
自己犠牲的でなく、自分の身になるような、無理のないあり方でいよう。
ブログを続けていると、過去のこと思い出せて、昔の自分どんなだっけなあが、思い出せて統合できる感じがして良かった。
最後まで読んだくださった方には、ただ、「物好きですね」、と言いたい。笑
おつかれさまでした。