考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

体調管理のために。

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連続して4本ブログを書くのはたぶん初めてだ。

 

 

 

2、3,4月と、3か月連続で体調を崩してしまったので、もう今月は崩すまいと、体調管理を心がけるようにしている。

 

まずは、外出から帰ったときの手洗いうがいの徹底。

特に、宿直明けは免疫が落ちやすいので、これまではそのまま外食をしたりしてたんだけど、必ず一旦家に帰って手洗いうがいをして、仮眠をとってから活動すること。

 

 

ビタミン剤を毎日飲むこと。

宿直明けや、普段の飲酒は控えること。

 

無理のない範囲で、運動は続けること。

 

筋トレは全然やらないんだけど、やってもいいかも。

新しい運動も初めてみたいな。

 

 

 

せっかくなので、どんな運動が免疫力アップにいいのかも、少し調べてみよう。

 

 

 

めっちゃ短い。300字のブログ。笑

SNSと変わらんけど、まあ、いっか。

コンフォートゾーンから出ようとし続けるトレーニング

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友人らがやっていて、応援しているpodcast.

性やジェンダーの話が主なのだけど、かなり多様なテーマで話している。

ゲストのかなりの数の人が登場していて、毎回勉強になる。

 

そのなかから、誰にとっても大事だろうなと思うものを紹介。

 

open.spotify.com

 

 

コンフォートゾーンとは、ストレスのない居心地の良い環境や精神状態のこと

 

フィルターバブルとは、「インターネットの検索サイトが提供するアルゴリズムが、各ユーザーが見たくないような情報を遮断する機能」(フィルター)のせいで、まるで「泡」(バブル)の中に包まれたように、自分が見たい情報しか見えなくなること。

(両方、wikiより引用)

 

 

これについて2人で話している。油断すると、違う意見を見なくなっちゃうよねってこと。

 

 

僕なんかもSNSで応援している政治家をフォローしていたら、そっちサイドの意見ばかりに目につくようになっていて、批判されている側の意見は、批判される対象としてしか入ってこない。

 

普段つきあいのある友人だって、ある程度、関心分野とか、意見が似通っている人が多くなってくる。

もちろん、話してないだけで、全然意見が異なることもたくさんあるんだろうけど。

 

油断すると、共感し合える仲間ばかりになってしまう。

 

だからこそ、違う立場の人と積極的に関わりにいく努力は必要だし、

普段関わらない職種とか、分野にいる人との接点は大事にしていきたい。

 

 

まあ、まずは、分野に関しては「少し興味はあるけれど疎い」とか、

人のタイプで言うと「ちょっと苦手だけどギリギリコミュニケーションとれる」くらいの人から、かかわりを持っていくのがいいんだろうなと思う。

 

 

今年の抱負はソーシャル面の筋トレを続けることで、元々は、一人になりがちな自分だからこそ、なるべく積極的に人と会ったり話したりしよう、ということだったんだけど、今後は、違う意見の人と関わりを大事にしてみる、というのも意識してみよう。

 

 

ただ、ずっとはしんどいから、前者は日々のトレーニング、後者は、負荷をかけたいときにたまにやるトレーニングって感じかな。前者が持久走なら、後者はたまにやるウェイトトレーニングって感じで。

 

 

 

国民教育の恐ろしさについて

 

イスラエルの教育についてイスラエル人が語った記事がyahooニュースに上がっていた。

 

被害の歴史を教えて、パレスチナ人を人と見なさず、今後過去のような被害が起きないようにパレスチナ人の犠牲は仕方ないと伝える教育の結果、今のような残虐なことが起きてしまっている。

 

 

 

 

 

news.yahoo.co.jp

 

 

 

かなりしんどい内容なのだけど、読んでみると、人間というのは、こういった教育を受けてしまったら、こんな風に考えるようになってしまうのだな、というのがわかる。

 

 

アラブ人や、ムスリム国家に囲まれた地域で、1つの国として存在する以上、国民としての団結は強いものになるだろうし、それゆえに、多くの人が信じていることと別の考えを持つようになるのも、難しいことなのかもしれない。

 

 

 イスラエルにはナクバについて書かれた本もあるが、あえて読む人は非常に少ないという。「自分の国が加害者だったと認めたくないから、わざわざ調べようとはしない。日本で言えば、従軍慰安婦問題や南京虐殺と似ている」と話す。「自分の国の非を認めるのは大変なこと。今回のガザ戦闘みたいなことをやっても、それでも自分の国が悪いとは認めたくない」

 

ナクバ、すなわち自分たちの加害行為については教えない。

そうした方が、国民をまとめやすいのも事実なんだろう。

 

 

そして、欧米諸国も含めて、パレスチナ人を犠牲にすることを厭わない。

なぜか、自分と違う宗教や人種の人たちを虐げても良いと思っている。

 

 

自分たちが我慢するよりも、他者を犠牲にした方がマシなのだろうか…

 

 

「自国の非を認めたがらず、近隣諸国を見下す。これは日本とも共通している」と矛先をこちらに向けられ、考えさせられた。故国を離れた愛国者だからこそ理解できる、とは言いたくない。国を離れずとも理解する努力が必要だ。

 

最後の言葉が重い。

誰かを見下し、虐げる権利など、本来誰にもないはず。

 

さて、自分は誰かを見下していないだろうか、自分の非を軽んじてないだろうかと、自分に問いかける。