考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

役立てるのが難しい…

 

 

去年の秋に、京都市内のあるパソコン教室で、自分の三倍前後の年齢の人たちに集団授業でパソコンを教えるアルバイトを始めた。

 

 

受講者は、仕事を定年退職してからパソコンを始めた男性、趣味でパソコンを習っている主婦の方などだ。

教える内容はレベル分けされたクラスによって違うが、マウスのクリックのしかたから年賀状や名刺作り、Facebookムービーメーカーの使い方やエクセルの関数まで、幅広い。

 

毎回の授業は、そのテーマだけ塾長から与えられ、内容は基本的に担当の講師がクラスのレベルに合わせて自由に考える。講師自身もそれまで知らなかった内容を教えるということも多く、その場合には予習が欠かせない。

 

僕はもともと、パソコンが苦手な大学生だったので、友人の紹介でこのアルバイトを始めてから初めて知ることになったパソコン操作にまつわる知識は数多い。

知らなかった操作方法に出会うたびに、ほのかな興奮を覚える。

 

授業のための予習の時間は、いつの間にか、他ではなかなか味わえない快楽の時間になっていた。

 

 

 

せっかくなので今回、パソコン教室の講師をやってみて初めて知った、普段あまり使うことのない、役立てるのが難しいテクニックをまとめてみようと思います。無駄に。

僕が知らなかっただけで、そこそこパソコンに精通してる人なら普通に知ってることなのかもしれませんが。

 

 

エクセルに関すること

塗り絵 

エクセルで遊ぶことをテーマにした授業があり、インターネットを見ながら何ができるか考え、セルを塗り分けて絵をかくというのをやってみようと思った。

 

エクセルは背景を変えることができる。

これを背景にして、セルを細かくし、上から塗り絵のようにセルの色を塗り分ければ、

こんなものも作れてしまうのだ。

すごい労力が必要やけれども。

 

 

 

絵グラフ  

エクセルのグラフの挿入の仕方を僕は高校の頃に習ったが、

絵グラフというものの作り方を知ったのは最近だった。これも、温泉の画像を保存したあとで、グラフの縦棒の上で右クリックして編集すればわりと簡単にできる。

 

 

 

 

 

関数でフリガナ

エクセル関数の授業ではある関数を紹介したときに受講生の受けが良かった。PHONETIC関数をご存じだろうか。

この関数を使って、漢字入力したセルを参照すればその振り仮名を表示してくれる。

オートフィルを使えば名簿作成のときに役立つ。これはわりと役に立ちそう。

 

 

マウスの使い方

マウスのホイールの使い方で、知っておくと便利なものにCtrlを押しながら動かすと画面の拡大、縮小ができるというものがある。これはそこそこ知られているかもしれない。

 

これと対照的で、比較的知られてなくて、知っておいてもあんまり便利じゃないものに、Shiftを押しながらホイールを回転させるというものがある。

 

 

 

パソコンでこのブログ見てる人でこの方法を知らなかった人がいたら一度、Shiftを押しながらホイールを下に回転させてください。

 

さようなら。

鶏むね肉の行方

 

 

鶏むね肉が鶏もも肉よりも安い値段で売られているのは、もも肉よりも取れる量が多いからではなく、むね肉の方が需要が少ないかららしい。

 

 

たしかに、胸肉のパサパサしている感じは否めないし、もも肉に比べておいしくないと思う人が多いのは理解できる。

フィンランド帰りの友達曰く、フィンランドのスーパーの生肉売り場にはもも肉は置いてあるが、胸肉はないらしい。

 

けれども、一般に欧米では胸肉の需要の方が大きいとされているから、世界規模でみたときにどちらがより好んで食されているのかはよくわからない。

 

日本人がもも肉をより好んでいるということだけは、日本ハムのホームページのなるほどコラムにも書かれているし、徳島県が鶏むね肉の消費拡大運動をしているので、ある程度の確信をもって言える。

 

日本ハム | 日本はもも肉好き、海外はむね肉好きなのはどうして?

鶏胸肉の消費拡大対策 | 徳島県

 

 

僕も唐揚げならもも肉の方がいいし、鍋にも、カレーにも、もも肉が合うと思う。

それでも数か月前からスーパーで胸肉しか買わなくなったのは単に、経済的な理由からでしかない。

パックいっぱいにむっちり入って100グラム50円台で売られている胸肉は、そのつやとラップへの張り付き方のおかげでほかの肉にはない輝きを放っていて、たんぱく源をできるだけ安くとろうと数十秒前まで納豆コーナーで一番安いパックを探していた僕に、「肉をたくさん食べていいんだよ」と優しくささやいてくれているようだ。

 

 

 

鶏むね肉をおいしく調理する有名な方法がある。

 

薄くスライスした肉に酒と醤油、あるいはオイスターソースをかけてしばらく置き、そこに片栗粉を入れて混ぜてから調理する。

 

そうすると火を通しても胸肉がパサパサしないし、片栗粉のおかげで味がよくしみる。

 

 

そのことをずいぶん前にネットで知っていたけれど、試してみたのはごく最近だ。

それまで試すことをしなかったのは単に、めんどくさかったからだ。

 

胸肉をおいしくするためだけに片栗粉を買う気にはなかなかならなかった。

肉は何もせずにそのまま火にかけるという習慣が、当時の僕にはあった。

 

 

それでも一度試してみると、何もせずに火を通すのよりもずいぶんおいしくて、このくらいの手間で変わるのなら、これからもやろうと思った。

 

習慣っていうのは、一度ほかのことを試さないと変わらないけれど、一度試してみることさえすれば、案外簡単に変わるのだ。

 

日常的に何気なくやっているあらゆる行動の中に、実は多くの試行錯誤の余地が残されているけれど、ほとんどの場合、僕は習慣を変えようとしない。変えることを思いつくことさえしないことが多い。

 

そして、珍しく思いついたとしても、あまりにも、試さなさすぎるのだ。

 

 

思いつくこと、試すこと、その二段階のステップを踏んでようやく、今までの習慣と変えたやり方のどちらがより優れているか、自分に合っているか、快感を得られるかを判断することができる。

 

一旦優れていると判断すれば、新しい習慣に変えるのに大したエネルギーはいらない。

そして、思いつくことは、好奇心に素直になって、積極的に新しいものに触れるという習慣を一度作り上げてしまえば、実はそんなに大変じゃない。

 

別の場所で見聞きしたものを、自分がこっちのフィールドで試したらどうなるかと考えるだけでいい。

 

一番エネルギーがかかるのは、それを試すこと、つまり、自分にとって新しいことを実際にやってみることなんだと思う。

 

 

僕はいつも、物事を試さなさすぎる。

 

 

 

 

 

 

 

鶏むね肉が鶏もも肉よりも安い値段で売られているのは、もも肉よりも取れる量が多いからではなく、むね肉の方が需要が少ないかららしい。

 

 

 

需要が少ないと安くなるという理屈を、人はどんな風に説明するだろうか。

 

 

完全競争市場において、供給量と需要量がぴったり重なる均衡数量よりも供給数が多いとき、売り手は、値段を下げるのではなく、生産量を減らす。そうすると希少価値が上がって需要者価格も上がり、売り手の希望価格と買い手の希望価格との差が解消される。

 

このような考え方が、マーシャルの考案した数量解消メカニズムだ。

 

 

この理論では、鶏むね肉が安いことを説明できない。なぜなら、一羽の鶏からとれる胸肉ともも肉の量は決まっていて、供給側がもも肉の量はそのままで、鶏むね肉の生産量だけを自由に増やしたり減らしたりできないからだ。(廃棄するという手段もあるが、もったいないから、なんとか消費量を増やそうとして、徳島県が消費拡大対策をしているのだ)

そもそも、マーシャルのこのメカニズムは価格が安いという現状の説明はせずに、いかにして均衡価格に近づいていくのかということを示しているに過ぎない。

 

 

スーパーで売れ残りを安売りするのと同様に、供給側が値段を下げることで需要を拡大しようとするという理屈でその状況をシンプルに説明できる。

これは、ワルラスの価格調整メカニズムに当てはまる。

 

 

 

しかし、値段が下がってもそんなに需要が増えないおかげで、今でも僕は、安い値段で鶏むね肉を買うことができる。

 

鶏むね肉を今まで通り安く買い続けるためには、その需要が増えないことを祈るしかないのだ。

徳島県の鶏むね肉消費拡大政策を阻止するのは、今の僕には難しい。

 

 

 

 

多くの人が価値を見出さないものにもし自分が魅力を感じたら、それをもっと大事にした方がいいのかもしれない。

市場に出回っているものの中では、需要が少ないものほど安く手に入り、需要が増えると高くなる。

 

世間にはトレンドというものがあるから、たいていのものはいずれ需要が減っていくのかもしれない。

 

自分の好きなことを素直に追いかけて、好きなように生きるのは今の日本ではあまりにも難しいように感じるけれど、主流な考え方をあくまで文脈としてとらえて、その中で自分がどう生きるかってことをもっと意識したほうがいいんだろう。

 

 

鶏むね肉が鶏もも肉に勝つ日など、来なくていい。

来ない方がいい。

 

                                                                                        金曜日のひとりごと   2016/3/4

金曜日のひとりごと 2016/2/26

 

僕はいつも、何か書きたいことができるとブログを開いてつらつらと考えをまとまるんだけど、最近ふと、書きたいことがなくても書くようにしたほうがおもしろいんじゃないかと思った。

 

 

ほぼ日刊糸井新聞みたいに毎日は書けないけれど、週一回定期的に、強制的にブログを書くようにしたら、毎週どんなことを考えてたかってことがあとからわかっておもしろいかもしれない。

 

 

たまたま、以前、金曜日のひとりごとってタイトルで記事を書いたことがあったんで、それに合わせて毎週金曜日に、何かを書くようにします。

 

いつまで続くかはわからないけど、三週間ぐらいは頑張って続けるつもりです。

 

 

 

 

てなわけで、早速何か書こうと思うんだけど、

最近考えてることと、いまテレビで見て思ったことの二つを書きたいなあと思って、今どちらを書こうか迷っています。

 

 

書きたいならどっちも書けばいいんだけど、その二つ、全然関係がないんだよな。

 

二つ目はわりと心に残りそうなことなんで、一つ目だけ書くことにします。

 

 

 

2月以降の、2016年の抱負

 

 

イエ充って言葉、知ってますか?

 

ウチ充って言うこともあるらしいんですが、家で過ごす時間が充実してる人や、そういう状況のことを、そんな風に呼ぶらしいんです。

 

もしかしたら少し前に流行った言葉なのかもしれないけど、僕は今週、友達と銭湯に行ったときにはじめて聞いて知りました。

 

 

僕はスポーツや旅行やドライブ、キャンプなんかが好きな、どちらかというとアウトドアな人間で、休日もだいたい家の外で過ごすことが多いです。

 

けれど、大学に入って4回目の春休みになってようやく「旅行は娯楽としてはかなりコスパが悪い」ということに気付き、旅行以外でも、外で過ごすとたいていお金がかかるというほとんど当たり前のことが強く意識されるようになってきました。

 

国内旅行でも2万くらいは普通に飛ぶし、カフェに行けば1回300円はかかる。そういった外で使うお金を普段の生活や、家でする娯楽に回せば、結構楽しいことがいろいろできるんじゃないかと、そう思ったわけです。

 

 

2万円の旅行を一回削ったら、そのお金を一か月30日で割ったとしても一日700円くらい余分に使えるんですもんね。こりゃすごいや!

 

 

 

そんなことを考えていたタイミングでたまたま、休日は家で過ごすことが多いという大学の友人と銭湯で話していて、「イエ充な人が本当の勝ち組やと思う」みたいな言葉を聞いたわけですね。

 

ほんとその通りやと思いました。

 

家の時間を充実させるってことは一人も楽しめるってことであって、例えばいきなり異国の地に引っ越したとか、友達全員インフルエンザにかかったなんてことがあってもその時間も楽しめるってことやもんね。

 

どんな時も楽しめる人が一番強いからね。

 

 

そんなこんなで、遅ればせながら2016年の抱負を、「インドアな趣味を増やしてイエ充になること」に決めました。

 

お金の使い方を大きく変えて、

コーヒーで紙に絵を描いたり、ホットプレートでワッフルそっくりなホットケーキを作るとか、家庭菜園とかモノづくり(漠然)とか、家でいろんなことに挑戦していきたいと思います。

 

 

まずは部屋の片づけから始めないといけないけど。

 

 

 

 

 

 

変化こそが楽しみ、みたいなところがあって、それまでアウトドアだったのをインドアに変えてみたり、ちょっと普段と違うお金の使い方をしてみるとか、それだけで新鮮でおもしろいんですよね。

 

 

変化が楽しいっていう点では、人との会話を楽しむのが一番娯楽としてのコスパがよくて、ある意味手軽にできるのかもしれないな、とも思いますね。

よく言われるけど会話って生き物で、相手の反応によってどう転がっていくかわからないからおもしろくて、だからこそ、どんな状況でも会話を楽しめるようになりたいなあとも思います。

 

インドアな趣味を増やすのと矛盾するようですけど、それも目標にしたいです。

これはセトウツミを読んで思ったんですけどね。

 

 

www.akitashoten.co.jp

 

 

 

今週は、家庭の境遇がそっくりな人と話せたり、ボランティアでうれしいことがあったり、銭湯で以前の教え子とたまたま出会えたり、おもしろい一週間でよかったです。

 

厄年ってことをあまり気にしてないけど、まあ、去年もなんとかなったし、今年も、もししんどいことがあっても、しんどさも含めてよく味わうようにしよう。

 

あとで、なんだかんだおもしろかったって思えたら、それでいいから。

 

 

そんなことを思う一週間でした。