考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

しんどい本を読むということ。

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気付けばブログを書いていない日が重なって、ブログ負債がたまっている。

 

ゴールの5月6日は1日で5万歩を歩くイベントの日で、おそらくへとへとになっていて何本も書けないと思うので、今日頑張って5本ブログを書く。

 

 

 

 

しんどい本を読むということ。

 

www.akishobo.com

 

 

ガザのことを知りたくて、たまたま図書館で見つけたこの本を読んでいる。

 

 

 

(当時)ガザで暮らしながら、医師としてイスラエルで働いていたパレスチナ人のイゼルディン・アブエライシュさんは、2009年、イスラエル軍のロケット弾によって、娘さん3人を失った。

 

この本には、その当時、すでに最愛の妻を若くしてなくしており、子どもたちと、ガザの悲惨な状況のなかでも少しでも心安らぐ時間を過ごしたいと海に遊びにいったときの様子や、彼自身が幼少期から味わっていた多くの苦悩、ガザとイスラエルを仕事のために往復するだけでもどれだけのひどい扱いを受けるかなどが、わかりやすく書かれている。

 

 

「私の娘たちが、最後の犠牲者になってほしい」と彼が祈った15年後に、今のような状況になっている。暴力の応酬に解決の道はないと、対話や相互理解を勧め、どんなに過酷な状況でも和平を求めてきた彼は、いま何を思っているのだろうか。

 

 

こんなにも、残酷なことはないと思う。読みながら、胸をえぐられる気持ちになるし、相当読むのにエネルギーがいる。

 

それでも、時間と体力に余裕のあるときに、こういった本を読んでおきたいと思う。

 

 

 

行楽日和だったり、GWをエンジョイしている人も多い時期に、自分は、どうしてわざわざしんどい本を読むのか。と自問自答する。

 

 

理由としては、世界でいま起きている過酷な状況について、知っておかないといけないと、直観的に思うから。どうしてそう思うかはよくわからないのだけれど、ひどい状況から目を背けることは、それ自体がリスクというか、危険なことのように自分は感じる。

 

 

ただ、そういうことをすることの、副産物的な効果もあると思う。

 

それは、自分の人生にひどいことが起きた時に、もっと大変な状況があることを知っていれば、「マシなほうだ」とか、「たいしたことじゃない」と思えるということ。

 

簡単に絶望しないで済む。

 

 

そもそも、世の中は不条理にあふれている。

その前提をしっかり確認しておけば、少しでもマシにしていくために何ができるのかという気持ちで動いていける。

 

絶望的な状況を知ることと、絶望的な気持ちになることはイコールではない。

絶望的な状況を知ってこそ、希望を描かないといけないし、そこに向けて歩いていかないといけない。

 

 

以前から関心を持っている、精神科病院内の人権侵害の問題だって、似たようなこと。

面会に行くとか、電話相談を受けるとか、少しでもできることがあることじたいが希望なんだ。

 

「知る」ことも、できることのなかに含まれる。

無視される辛さより、見てもらえる辛さの方がマシだということを、僕自身、経験上知っているから、せめて知りたいと思う。