考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

ジェノサイドの春

 

近所の川辺の図書館前のエリアでは、桜の季節に合わせてイベントをしていて、たくさんの人が訪れている。

 

少しそのあたりを散歩してから、PCに向かって作業をする。

明日から忙しい一週間が始まるので、少しその準備をしておきたい。

 

その前に、毎日投稿すると言っておいてできていない、だけど50日で50本は投稿するぞ、と思っているブログを。

 

負債が1たまっている。

今日あたり、2本書きたいな。

 

 

 

 

 

もともと桜が満開の季節は心がざわついて苦手だから、イベントに参加する人たちの存在を感じつつ、少し離れたところでいつも通り作業をするくらいが僕はちょうどいいし、家族もいないし、花見に出かけるような友人も近所にはいないので静かにしている。

 

 

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ただ、花見をしている客を見て、平和だなと。

たまたま平和な国と時代で良かったなと思うのだ。

 

こんな華やかな日にも、世界では人は殺されている。

 

 

 

だからって、楽しいことを自粛した方がいいなんてみじんも思わないし、むしろ平和な日々にこそ、その幸せをしっかりと享受した方がいいと思う。

 

少なくとも今の日本では、僕の知る限り民族の虐殺は(かろうじて?)起きていない。

 

もちろん差別はたくさんあるし、能登の人たちは今も大変な思いをしているし、生活保護費を行政に与えられずに苦しんでいた人もいるし、家や施設などいろんな場所で虐待を受けている人も、長期間、自分の希望しない入院から逃れられずに、窮屈な思いをしている人もいるんだけど、それでも、日本は比較的平和だ。

 

 

それでも自分はどこか、本能的に、苦しい境遇にいる人のことを見ておかないといけないと思うところがある。

 

 

最近は、ガザに暮らす医師が書いた「それでも、わたしは憎まない」という本が気になって図書館で予約をした。

 

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たぶん、世界は不条理で、理不尽にあふれた場所だということを、忘れたくないという思いと、苦しい状況の人の語りに触れて、その哲学を知っておきたい、それが、まったく違う状況だとしても、しんどいときの自分を助けてくれるだろうという思いがあるのだと思う。

 

 

生きていたら、いつふりかかってくるかもしれない苦境に備えて、

いま苦しんでいる人たちに思いを馳せて、できれば少しでも何か状況がマシになることができないか、考えたいのだと思う。

 

できれば誰にとっても平和な世界で生きたいと思うし、苦しい状況の人たちが支え合える世の中になってほしいと願うから、社会の一部として自分も、そういう行動がとれたらいいなと願う。