考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

ACE(小児期逆境体験)というキーワードでの活動を決めた理由

 

 

ABEMAプライムでACE'が取り上げられていた。

 

 

youtu.be

 

僕がこのキーワードで人と繋がる活動をしたいと思ったきっかけにもなった、

「ACEサバイバー」という本の著者である龍谷大学の三谷はるよさんも出演している。

 

 

retaction-ryukoku.com

 

 

明日以降、noteでもきちんと書こうと思うんだけど、今日は自分がこのキーワードでの発信活動や、人が繋がって支え合えるようなネットワーク作りをしたいと思ったきっかけについて簡単に書いてみようと思う。

 

はてなブログをnoteの下書きのように使ってしまって、こちらを読んでくれる人にはちょっと申し訳ないんだけど。

 

 

 

 

僕は、自死遺族であり、家族に精神病経験者が複数いて、中学の頃にはメンタルの不安定な祖母と二人暮らしだったこともあって、捉えようによってはヤングケアラーに該当する経験もしているかもしれない。虐待も見てきた。家庭内暴力もあったから、心理的虐待を受けた当事者ということもできる。

 

 

自死遺族として、身近な人を自死で亡くした人と対話をしてきたり、精神科入院患者の家族の立場で、精神科に入院している方の権利擁護の活動もこれまでしてきたことがある。

 

一方で、自分がシンパシーを感じるのは、自分と似た経験をした人だけではなかった。

 

 

たとえば親がアルコールや薬物中毒の人、母子家庭で、ネグレクトされて育った人、両親が早い時期に亡くなった人、貧困家庭で育った人、性的虐待の被害者、ひきこもり、あるいはいじめの被害者など、子どもの頃に苦しい経験をした人にはどこか、シンパシーを感じるものがあって、これまでの人生で、そういう人たちと仲良くなることが多かった。

 

その結果、子ども時代に辛い経験をしてきたのは自分だけじゃなかったんだなと思って楽になれるという経験をたくさんしてきた。

 

ACEという概念は、苦しみのジャンルで細かくカテゴライズしない。

小児期逆境体験、そこには親の死も、家族の精神疾患も、被虐待経験も、親の物質使用障害も含まれる。

 

また、そうした経験をした人が、大人になってから心身の病気になりやすい傾向にあるという、現象を語っている。

 

それはあくまで可能性の高低の問題なので、ACEサバイバーの全員に支援の必要性があるわけではないし、早い段階で親と離別や死別をした人みんなが数年後、数十年後も苦しんでいるわけでは決してない。ただ、たくさんの逆境体験をした人ほど、将来的にも苦しみを抱えやすい傾向にあるというだけ。

 

だから、支援が必要な人だけ求めればいい、そういう人だけサポートを受ければいいという、ニーズの有無が個々に委ねられている側面がある。

 

たとえば、自死で家族を亡くした人でも、その現象の捉え方は人によって全然違う。

深く苦しむ人がもちろんたくさんいると思うけれど、そんなに気にしない人もいる。

 

それは元々の気質とか、価値観、あるいは気質と生育環境のかけあわせによるパーソナリティの影響が大きいと思う。

その出来事に、辛い思いを抱いて、自身もメンタルの調子を崩したり、生きづらさを抱えたりする人たちが、支援を求め、ケアの場に繋がり、支えられ、あるいは支え合うことができるようになる、そのことが当たり前にできるようになれば良いと思った。

 

あとは、「逆境体験」というワードを使うことで、スティグマが減り、オープンにしやすくなるんじゃないかなという期待もある。

これについては一長一短だと思うけれど。

 

他にも書きたいことがあるんだけど、日付が変わりそうなので今日はここまでにしておく。