宿直明け。
花見客で混んでいるであろう道を避けて、迂回して帰宅した。
僕は満開の桜がずらりと並んでいる景色があんまり得意じゃない。
なのに、桜の名所でもある川の近所に住んでいるものだから、この時期は毎年しんどくて、桜があまり咲いていない山に逃げていた年もある。
それに、人混みも苦手だから、友人と連れ立って花見に行くようなことは基本的にあまりしない。
たまたま友達と公園を散歩していて、桜の近くを通る、とかはあるけれど。
桜が苦手だと思っていた。
満開の桜が一面に並ぶ様子は、心がふわふわするのを通り越して、ざわざわする。
だけど、よく考えてみたら、葉桜は比較的好きだし、蕾が出てきたころとか、咲き始めの頃の桜などは、嫌いじゃないどころか、わりと好感を持って見ている。
苦手なのは桜ばかりの景色、あるいは、そんな満開の桜を多くの人がインスタなどのSNSにアップする、この時期なのかもしれない。
桜ばかり見ていて、疲れて来たりすることは、もしかしたら他の人にもあるのかもしれない。祭とかもそうだけど、華やかで楽しいものも、ずっと続くと疲れてくると言うから、たとえば、桜の満開が1か月続くとしたら、多くの人がしんどくなるかもしれない。
満開の時期が数日しかないから、日本人の多くは、疲れることなく毎年桜を見たいと思えるのかもしれない。
としたら、桜疲れに達するライン(閾値)が、他の人よりも自分は低いだけなのかもしれない。
人よりすぐに桜に疲れてしまうから、桜を苦手に感じてしまうんだ。
満開の桜も、たとえば、広い空間に1本だけ咲いているのは良いなあと感じられて、ただ、それが一面に並ぶと、しんどい。そういうことだ。量の問題だったのだ。
人生32年目にして、ようやく解像度をあげて自分の桜の苦手さを理解することができた気がする。
満開の時期に、桜を感じる時間を減らせばいいんだ。桜のない場所で過ごす時間を長くすればいい。
ということを考えながらサイクリングしていて、
見つけました。
桜があんまり見えない野外スポット。
平城宮跡の、みやと通りの西側のスポット。
ここの東側には、桜がたくさん見えるんだけど、
西側を向けば、ほとんど桜が見えないのです。
だだっ広い、原っぱ。
緑。
ここ、この季節、風がとても心地よくて、いいスポットだった。
春にしんどくなったら、来年も奈良に住んでいたら、ここに来よう。
桜が満開の季節の、安全基地を見つけられて、ほっとした1日でした。