春だ。
つい数週間前までの寒さはなくなり、近くの河川敷には桜が咲いて、休日の昨日はたくさんの人が花見をしていた。きっと今日もそうだろう。
大学に行くとサークルの新歓で人がごった返しているに違いない。
人混みが嫌いな僕は、想像しただけでぞっとする。
花粉は、少しは落ち着いてきたんだろうか。
20枚くらい買っておいたマスクを使い切って、また買いに行くのがめんどくさくて無防備な鼻で外に出ているが、あまり鼻水もでない。
過ごしやすい、いい季節だ。
去年の10月から大学を半年間休学していた僕は、4月に入って自動的に復学した。
と言ってもまだ授業はないし-そもそも卒論以外の単位は取り切ってるから授業に出ないでいいんだけど-、4月は平日の昼もバイトの日が多いから復学した実感はほとんどない。
実感が出るのは履修届を出すころだろうか。
思い返せば、このブログを始めた理由のひとつが、休学して時間に余裕ができたことだったし、休学期間のできごとや考えたことなどを書き残すことがこのブログの目的でもあった。
だから、休学期間が終わる前に、休学そのものについての自分の考えもまとめたいとずっと思ってたんだけど、なかなか文章にできるまでまとまらなくて、気が付いたら休学が終わってしまっていた。
休学したことや、その期間に自分がしてきたことについて評価をするべきなのは、もう少し後の自分なのかもしれないと今は思うのだけれど、この期間のことを忘れないためにも、今思うことを無理やりまとめてみようと思う。
ただでさえ考えがまとまっていないうえ、文章が拡散してはとんでもないことになると思うので、先に文章の流れを決めておく。
1休学の理由と休学する前の心境
2休学したあとの生活と周りの反応
3休学という選択肢について思うこと
ざっとこんな流れで文章を書くことにする。
休学の理由と休学する前の心境
以前のブログにも書いたことがあるが、僕が休学した主な理由は進路についての迷いと、去年の6~7月ごろ、卒論を進められる精神状態じゃなかったことだ。
もともと僕は、家族に精神的な病を抱える人がいたことをきっかけに臨床心理士を目指していたが、去年大学4回生になり、自分がカウンセラーになる日が近づいてきたと思うようになってからは、かなりのプレッシャーを感じていた。
情けないことに、クライエント(来談者)の悩みを引き受けられる自信が僕にはなかったし、自分の言葉でクライエントを傷つけてしまったり、クライエントが自殺したりすることがないかと恐れるようになっていたのだ。
また、5月6月に家族の二人の精神状態が悪くなった。錯乱状態にある家族から暴言を浴びせられ、それによって僕自身の過去の苦しみ(虐待や家庭内暴力を見てきたこと、昔母親の心中未遂や自殺の話を聞いてショックを受けたことなど)が呼び起こされていて、冷静に卒論に向かえる状態ではなかった。卒論の指導教員の先生にもそのことは相談していたが、5月ごろから休学したいという気持ちはあったように思う。
それでも休学を決めるのに数か月かかったのは、自分の中で、「休学は逃げだ」という意識があったからだ。休学している周りの人を見て「あいつは逃げている」なんて思ったことはそれまで一度もなかったし、療養なども含めて、それ相応の理由があって休学するのはいい決断だと思っていた。しかし、いざ自分の問題として考えてみると、留学や何かしらの活動のためというのではなく、心を休め、進路について迷うために休学することは、進むべき道に一歩踏み出すことを先延ばしするだけのように思えたのだ。
それでも、7月ごろどうしても卒論を進められなくなってしまい、先生と相談した結果、休学することを決めた。将来の仕事に不安しか抱けないままで臨床心理学の卒論に向かうことに限界が来ていたのだと思う。
当時同居していた父親には休学は反対されていたし、大学5年目の仕送りは出さないと言われていたが、一度休学を決めたあとは、それまでの迷いはふっきれて、5年目は自分で稼ぐからと、休学の意思を貫いた。
休学したあとの生活と周りの反応
久しぶりに会う友達に後期から休学すると伝えると、半分以上の人が、「留学するの?」と聞いてきた。それほど、僕の通う国立大学には、留学のために休学をする人が多いんだろう。実際、僕の知っているだけでも、休学して海外に行ったという人は数えきれないほどいる。
精神療養と進路に迷うための休学とはいえ、その期間で短期留学をするという選択肢はないこともなかったが、「留学するの?」と聞かれるたびに、(聞いた人に必ずしもそんな気持ちがあったとは思わないが)「留学でもしないと休学してはいけないのか?」という謎の反骨心のようなものが生まれ、意地でも休学期間中に外国には行かないぞと、かたくなになってしまっていた。
結果的に「休学期間中に外国には行かない」という目標は一応達成したが、このこだわりが良かったのかどうかはわからない。
休学後しばらくは、あまりバイトもせず、とにかく心を休めることに専念していた。
そのころの、何も予定がなく、勉強などの課題にも追われない日々は、思えば物心ついてから初めてだった。小学校から大学まで、常に学校があったし、宿題や受験勉強、部活があった。何もしなくてもいい生活では受け身にはなりえないから、自然と積極的に何をしようかと考えるようになる。1日1日、今日は何をしようと考えるのはとても新鮮だった。
最初のうちは、好きな本を読んだり、先輩に誘われた草野球をしたり、友達とキャッチボールやバレーなどをしたりしていた。
このときに読んでいた、アランの幸福論(村井章子さんの訳)は、力んで緊張していた心から、不要な力を抜いていくための大きな助けになった。
今はもう行っていないが、引っ越しのときにお世話になったキリスト教の教会にもたまに通っていた。
しばらくして落ち着いて将来のことを考えられるようになってからは、勉強をしたり、興味のある仕事をしている人に話を聞きに行ったりするようになった。臨床心理士とは違う目標もわりと早くに決まった。
そのころから、やりたいことややるべきことを書くようにしていた部屋のホワイトボードには、「休学しても学ぶことを休まない」と書いていた。
大学で勉強することが増え、「休学してるのにいつも大学おるやん」と、同じ学部の同期の友達につっこまれた。
また、5年目に経済的に親から自立するために、バイトも再びはじめ、少しずつ増やしていった。
そして、4月、今ではバイトを4つ掛け持ちしていて忙しいが、臨床心理士とは別の進路を志しながら、わりと楽しくやれている。
休学前から休学期間まで僕の生活を、だいぶざっくりとまとめた。他にも、休学期間中にやっていたこと、考えたことはこのブログに今までたくさん書いてきたので、興味を持たれた方はそちらも読んでほしい。
休学という選択肢について思うこと
こんな風にブログを書いてみると、ほかの人から見ると、「このブログの筆者にも休学するだけのまっとうな理由があったんじゃないか」と思われるかもしれない。
けれど、僕の通う国立大学の休学届けには、休学理由を選んでチェックする部分に、留学、療養、進路の変更などと並んで、就学意欲の減退なんてものがある。
「大学の勉強やる気なくなったから休学する」のも、実は許されるのだ。
休学して、自分が今まで乗ってきたレールから降りて外からそれを眺めて、初めて気づくことは必ずあると思う。
留年と違って休学にはお金があまりかからないし、自分のやっている勉強がなんか違うなとか、このまま進んでいっていいのだろうか、なんて思ったときには、休学を考えてみたらいいのかもしれない。一回きりの人生だから、一度止まって、進路を選びなおすのは悪いことじゃない。
もちろん、早く働いて老齢の親を養わないといけないとか、家の借金を返さないといけないとか、そういった理由で就職を急ぐ必要があるなら、話は別だが。
学校教育や日本の社会制度の中では、学年というものに追われて生きていくのが当たり前になっている。でも、例えばダウン症の子が自分の半分の年齢の子がやっているような勉強をゆっくりゆっくりやっていくように、本当は進学や就職に関しても、人それぞれ、進むべきペースは違うはずだ。
最近、この春就職した友人とごはんに行って、職場の話を聞きながら、過去に自分が浪人して、行きたい大学に先に通う友人の話を聞いていたのと、似たものを感じた。
次男の僕は、小さいころから、兄のやっていることを見たあとで自分も真似してやってみるということが多かった。そんな幼いころの僕はとても臆病な性格で、集団の中で最初に何かに挑戦するのは苦手だったし、今でもその性格は残っている。だから、先にほかの人に、自分の人生の次のステップについて話を聞けるとかなり安心する。
それに、何をするにしても、兄と比べて自分はいつもゆっくりだった。悪く言えば、のろまな人間だ。
そんなのろまな人間にはそれにふさわしいペースがあると、今では開き直っている。
もちろん、休学するのが誰にとってもいいなんてことはない。
けれど、自分の人生の進むスピードは、自分で決めるのがきっとベストで、
在学中にいっせいに就活をするのが一般的な今の日本ではそれが難しいように思うかもしれないけど、実は休学という制度を使えば人生のペースを調整できる。
そして、勇気を出して選んだその決断は決して逃げではないし、自分でどんな1日にするか決められる休学期間は、それまでに知らなかった多くのものを見つけられる有意義な時間になるよと、休学を迷っている人には言いたい。