考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

考え事のメモ。(思考の流れをただアウトプット、まとまりのない文章です。)

昨日まで5連勤(うちの職場は仕事がハードなので長い連勤は避けたシフトが多く、5連勤珍しい)のあとの宿直、しかも昨日は8時間のガイドヘルプだったのでへとへとになりながら働き、なんとか乗り越え、今日はリフレッシュするために近所でサイクリングなどをしていた。

 

最近、友人からいらなくなってPCをもらって、それが使いやすいからよくメモ帳のアプリに考え事を書いて残したりしている。

 

とりとめもないようなことが多いのだけど、今日はなんとなく、しっかり考えたかったから、あえてブログに書いている。

 

仕事がここ最近、ハードで、自分のするべきこと、したいことが見えなくなっていた。

パートさんが一人入院しているために福祉ホームの仕事が今週はほとんどで、利用者の要求にこたえたり家事援助のルーティーンをこなしていくことに追われて、少し自分を失いかけていた。

 

自分を見失いそうになっていたのは仕事の外でも同様で、デンマークでゆっくり時間をかけて考えていた、日本に帰ったらやりたいことを自分はできているのか、そもそも何をしたかったのかということさえ、薄れていた。

 

実際に福祉の現場で働いてみて、また、関わりたかった精神保健の分野でもボランティアをしていて、新しいこともたくさん見えてきて、自分が今できることの限界であったり、デンマークで思っていたことと日本の現実とのギャップなどがわかってきたこともあると思う。

 

ただ、最近は現状に対して主体的に関わっていく、何を意識して、どういう働きかけをするかということさえ、できなくなっていた。

日々の仕事の負担が大きすぎたんだと思う。

 

今の職場は、どの職員も結構いっぱいいっぱいになっているように見えて、

それはみなが利用者や目の前の仕事に全力で向き合ってるからでいいことだとも思うんだけど、もう少し、仕事終わりにご飯に行ったりするような余裕があればいいのにと思う。

明らかに全体の仕事量が多いように思うし、年に5回くらいあるイベントに費やす労力も相当なもので、だけど経営陣はそれをやめる気がないどころか、さらに新しいプロジェクトを推進していこうとしている。

前に進み続けるからこそ、価値を発信していけるのだとも思うし、やってるほうも楽しいのだけれど、もう少しゆとりを持って、ときには休みながらやれたらいいのに、と思う。

 

日本の福祉職の余裕のなさという点に関しては、デンマークでも問題に思っていたことだし、他の人が新しいプロジェクトを進めるのなら、自分は、その人たちが働きやすい環境を整えていくことをすればいいんだなと、それがオーバーワークの、この組織のなかで自分の果たすべき役割だと感じるし、それをこれからしていきたい。

 

自分は支援センターという、地域の人たちの支援をする部署と福祉ホームの2つで兼務しているけれど、福祉ホームは今度3年目の先輩がひとり異動になって離れてしまい、新人の割合が高くなる。

各々が自分の判断で動けるこの職場は、やりやすい部分もあるけれど、利用者のニーズにただ答えるだけになってしまったり、情報共有をしないとケアがガラパゴス化というか、ひとりひとり独自のものになってしまいやすいとも思う。

 

もっと振り返りをして、コミュニケーションをとる必要があるし、そこでスタッフがしんどさを吐き出せるようにして、快適に余裕をもって働けるように考えていこう。

 

利用者のことばかりになりすぎてしんどくなって、利用者のことが嫌いになってはだめだ。人としての価値は利用者も働き手も同じなんだから、自分の気持ちも大事にしていかないと。

とにかくもっと、自分の状態を伝えて、同僚の状態も気にかける。

いい状態で働けるように環境や考え方を変えていく。

 

これから時間をかけて取り組んでいこう。

大阪入管の監禁のニュースを知って思うこと。

www.tokyo-np.co.jp

 

 

最近、ブログにまじめな話を書くことが多くて、久しぶりにどうでもいいようなことを書いてみたいなあなんて思っていたのだけど、あまりにもファックなニュースを見て書かずにはいられなくなったので、今日もまじめに書きます。

(まじめってなんだろう)

 

リンクを貼ったニュース。外国人収容施設で6人部屋に17人を24時間以上閉じ込めていたという話。

 

「罵声を発したり扉をたたいたりしたため秩序維持の観点から事故発生を懸念、施錠を続けた」と入管は説明しているけれど、人間は何もなければ基本的に罵声を発したり扉をたたいたりしないので、おそらくそれまでにも何かしらひどいことをしたのだろう。

 

入管で働いている知人はいないし、職員サイドの事情はわからない。あまりにも過酷な労働環境で、大量の外国人を収容しておく必要があって、厳しい管理体制をとらざるを得ないのかもしれない。

精神病院とか、児童福祉施設に似たような構図も思い浮かぶ。

 

けれど、こういったことができてしまうことにまず違和感を覚える。

 

法的にもそうだし、そもそも一般的に、罪を犯したわけでもない人にこのような扱いをする権利が、入管の職員にあるのだろうか。

 

日本人に、外国から来た人の住む環境を決める権利がどこまであるのだろうか?

 

もっと言えば、一人の人間の意思で他者の環境を決定することは、許されていいのか。

 

まあ、法的なことも世界的な常識も細かい事情も何も知らないのでとても情緒的な書き方になってしまったのだけれど、こういった対応は日本人にとってもデメリットしかないように思う。専門家でもなければ、わかりやすく論理的に書いて広くシェアされたいわけでもないので、感じたことをひたすら書いていく。

書くことで不快感を吐き出したいだけかも。笑


超わかりやすい記事を見つけたので、

詳しく知りたい人はこちらを。

 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58249

国のイメージを決める言動

このニュースを知ったとき、ナチスソ連がした、強制収容を連想して、それに似たことを自分の国がしているように思って本当にいやな気持ちになったのだけれど、そのあとに少し冷静になってから思い出したエピソードが3つある。

 

ひとつは、中学生の担任の先生がホームルームで言っていた話。サッカー部の顧問で体育の先生をしていて、まっすぐな印象の人だった。

 

その先生が過去にオーストラリアかどこかに行ったときにたくさんの国のが集まるキャンプか何かのイベントに参加したとき、「自分のふるまいが他国の人にとっての日本人のイメージを決めるんだ」と感じたということを、終わりの会か何かで僕らに話してくれた。自分が人に親切にすれば「日本人は優しい人」と思われるだろうし、無礼なことをしたら日本人がみなそういう人だと思われるかもしれない。日本の代表としての意識を強く持ったと。

自分は今25歳で、もう10年以上前の話なのに、なぜか覚えている。連想ゲームのように、きっかけがあれば繰り返し思い出す話だ。

 

最近、このことを思い出すきっかけになったのが、沖縄出身の友達とベトナム料理を食べに言った日に聞いた話。

「最近移民のことに興味があって、ベトナム人移民が増えているときいたからベトナム料理店に行ってみたい。そこに行けばベトナム人の話を聞けるかもしれない。」と言って奈良に来たその友達をベトナム料理屋に誘っていた。

 

どういう話の流れやったか忘れたけど、その友人がこんな話をしていた。

「自分は外国人観光客の多い沖縄で育ったけど、小さいころから家族に、「外国人には親切にしなさい。あなたの行動がその人にとっての日本のイメージを決めるんだから」って言われていた。だから自分は(今住んでいる)京都で外国人に会っても道を聞かれればなるべく丁寧に答えるし、できることは手伝うようにしている」

沖縄というのはアメリカを始め、外国との関係の中で揺れてきた地域で、だからこそ、外国人を敵に回さないようにするというのがあるのかもしれないけど、日本に来た外国人からすれば、日本には英語を話せない人も多いし、不安なことはたくさんあるだろうから、優しくしてもらえれば本当に有難いだろうなあと。

 

3つ目は、デンマーク留学中に、あるイベントに参加したとき、会場の敷地が広くて行くべき場所がわからず、混乱していた僕に声をかけて、目的地まで案内してくれたクルド人のこと。

会話のなかで当たり前のように僕に出身国を聞き、自分がクルド人であることを伝えてきた。

 

帰ってからインターネットでクルド人のことを調べてみると、たくさんの人が難民になっていて、ヨーロッパ各国に移住していることを知った。彼らの境遇は概して楽なものではないだろう。

僕に親切にしてくれたクルド人は、自分が人に優しくすることで、同胞であるクルド人が世界の別の場所で人に優しくしてもらえればいいと思っていたのかもしれないなと、あとで思った。

 

さて、入管の対応は、その人権侵害的な意味でのひどさがまずショッキングだけど、日本人に対する大きな負のイメージを、彼らに与えるだろう。

そのことはバタフライ・エフェクトのように回りまわって、この記事ではどこの国か明かされていない”外国”をいつか僕ら日本人が訪れたときに出会う人たちが持つ、日本の印象に影響を与えるかもしれない。

これだけSNSが普及して、情報が外国にすぐに伝わるこの時代に、(少なくとも、もしいつか海外にいくことがあるのなら)僕らは他の日本人が外国人にしていることに敏感になっていないと思うし、それがよくないと思うなら、声を上げて、変えていった方がいいと思う。

 

偉そうなことを書いたけど、どうやって変えたらいいのか全然わからないので、これから考えます笑

僕が移民のことに少し詳しくなるまでの経緯②

 

友人から使わなくなったノートパソコンをもらい、

かなり快適なPC生活を送れるようになった。

これまでは画面がバキバキになったPCをテレビのディスプレイにつないで使っていたから、少し不自由だった。

 

PCでの作業がしやすくなったから、これから少し、書きながら考える頻度を上げて行きたい。

 

移民のことに関心を持っていたのは、前回も言ったように望月優大さんの

影響が大きいんだけど、彼の書く文章に惹かれたのは、彼が少数民族の置かれた状況に

関心を持っていて、彼らに寄り添いながら優しく強い言葉を発しているからだと思う。

 

少数民族やマイノリティーの物語に魅了されるのは、僕自身が母親のいない家庭で育って、子供のころから周りと自分が異なるという意識や孤独感を抱いていたからだと思う。

 

本を読んで、最近日本にベトナム人の移民が増えていると知って、行けば何か情報が得られるかなあと思って先日訪れた奈良のベトナム料理屋さんは、繁盛していてあまりゆっくり話を聞ける状況ではなかった。ベトナム料理はおいしかったけど。笑

 

一緒に食べに行った大学からの友人に今大学で学んでいるベトナム人留学生の知り合いがいるらしい。その人といつか知り合って何か話を聞けるかもしれない。

急がなくてもいい。 

 

 

そういえば今日、こんな記事を見つけた。

www.refugee.or.jp

「昭和の終わりから平成にかけて、日本人男性とフィリピン人女性との間に多くの子どもが生まれました。子どもたちはJFC(ジャパニーズ・フィリピノ・チルドレン)とも呼ばれ、その数は現在日比両国で数十万人にのぼるとも言われています。」

 

そのように、この記事を紹介する望月さんのFBには書かれているけれど、自分はそんなことをまったく知らず、それが衝撃だった。

 

 


 

今増えているベトナム人、ネパール人の移民。

けれどその前は中国人や韓国人が多かったという。昭和と平成の境のころには、フィリピン人女性がたくさん日本にやってきていた。

 

今もたくさんの外国人を、奈良で住んでいて目にするのに、彼らの国と日本の関係を、僕はほとんど知らずにいる。

けれど何かしらの理由があって日本を訪れる彼らは、きっと日本と母国との関係を僕以上に知っているし、「日本」という国へのイメージも明確に持っているのではないかと思う。それをまったく知らないで、たとえば日本が他の国に対して過去にしてきた残虐な行為を知らぬままその国の人とかかわるのは、少し怖い。

 

考えがいまいちうまくまとまらないけれど、日本人との関係の中で苦しんできた人や、

今現在苦しんでいる人がたくさんいるだろうことは気に留めておきたいと思う。

人は自分が傷つけたことはすぐに忘れて、傷つけられたことを心にとどめてしまうものだから、もっと謙虚に、歴史や、他人の人生から、学んでいかないとだめなんだろうな。

 

 

そういえば、先日DVDを借りてきて見た、スカンジナビア北部などに住む少数民族サーミ人のこの映画も、めちゃくちゃ考えさせられた。

movie.smt.docomo.ne.jp

 

スウェーデン人がサーミ人にしてきたのと同じようなことを、

きっと日本人もアイヌの人たちにしてきたし、距離が少し遠くて方言や文化が少し異なる沖縄県民にも、過去にしてきたし、今も基地負担の押し付けなどがあって、なくなってはいない。

 

日本人の両親から生まれ、大阪で育ち、関西弁で話す自分は、民族的には日本という国ではマジョリティだということをこの映画で思い知らされた。自分の血のことで、これまで一度も苦しんだことがなかった。

 

どんな集団でも、多数派でいるほうが基本的には楽にいられるし、逆に自分が周りの多くの人たちとと違う部分があれば、そのせいで窮屈に感じることはよくある。

だからこそ、その違いを、その人の個性を、周りの人たちはできるだけ寛容に、できれば肯定的に受け止めてほしいし、自分も他者に対してそうでありたい。自分や、自分たちと異なるその人の特徴を、集団にいい刺激や変化を与えてくれるものとして、より多様なメンバーからなる、おもしろい組織に変えてくれる存在として受け止めたい。

 

高校のときの担任がよくホームルームの時間に言っていたこと。

「一人ひとりが違っても、変でもいい。多様な人たちからなる組織の方が強い」という言葉を、何度も何度も思い出しながら、これからも生きていこう。