書きながら考えたこと。

奈良で暮らす20代の男の、とりとめのない日々の記録です。

僕が移民のことに少し詳しくなるまでの経緯②

 

友人から使わなくなったノートパソコンをもらい、

かなり快適なPC生活を送れるようになった。

これまでは画面がバキバキになったPCをテレビのディスプレイにつないで使っていたから、少し不自由だった。

 

PCでの作業がしやすくなったから、これから少し、書きながら考える頻度を上げて行きたい。

 

移民のことに関心を持っていたのは、前回も言ったように望月優大さんの

影響が大きいんだけど、彼の書く文章に惹かれたのは、彼が少数民族の置かれた状況に

関心を持っていて、彼らに寄り添いながら優しく強い言葉を発しているからだと思う。

 

少数民族やマイノリティーの物語に魅了されるのは、僕自身が母親のいない家庭で育って、子供のころから周りと自分が異なるという意識や孤独感を抱いていたからだと思う。

 

本を読んで、最近日本にベトナム人の移民が増えていると知って、行けば何か情報が得られるかなあと思って先日訪れた奈良のベトナム料理屋さんは、繁盛していてあまりゆっくり話を聞ける状況ではなかった。ベトナム料理はおいしかったけど。笑

 

一緒に食べに行った大学からの友人に今大学で学んでいるベトナム人留学生の知り合いがいるらしい。その人といつか知り合って何か話を聞けるかもしれない。

急がなくてもいい。 

 

 

そういえば今日、こんな記事を見つけた。

www.refugee.or.jp

「昭和の終わりから平成にかけて、日本人男性とフィリピン人女性との間に多くの子どもが生まれました。子どもたちはJFC(ジャパニーズ・フィリピノ・チルドレン)とも呼ばれ、その数は現在日比両国で数十万人にのぼるとも言われています。」

 

そのように、この記事を紹介する望月さんのFBには書かれているけれど、自分はそんなことをまったく知らず、それが衝撃だった。

 

 


 

今増えているベトナム人、ネパール人の移民。

けれどその前は中国人や韓国人が多かったという。昭和と平成の境のころには、フィリピン人女性がたくさん日本にやってきていた。

 

今もたくさんの外国人を、奈良で住んでいて目にするのに、彼らの国と日本の関係を、僕はほとんど知らずにいる。

けれど何かしらの理由があって日本を訪れる彼らは、きっと日本と母国との関係を僕以上に知っているし、「日本」という国へのイメージも明確に持っているのではないかと思う。それをまったく知らないで、たとえば日本が他の国に対して過去にしてきた残虐な行為を知らぬままその国の人とかかわるのは、少し怖い。

 

考えがいまいちうまくまとまらないけれど、日本人との関係の中で苦しんできた人や、

今現在苦しんでいる人がたくさんいるだろうことは気に留めておきたいと思う。

人は自分が傷つけたことはすぐに忘れて、傷つけられたことを心にとどめてしまうものだから、もっと謙虚に、歴史や、他人の人生から、学んでいかないとだめなんだろうな。

 

 

そういえば、先日DVDを借りてきて見た、スカンジナビア北部などに住む少数民族サーミ人のこの映画も、めちゃくちゃ考えさせられた。

movie.smt.docomo.ne.jp

 

スウェーデン人がサーミ人にしてきたのと同じようなことを、

きっと日本人もアイヌの人たちにしてきたし、距離が少し遠くて方言や文化が少し異なる沖縄県民にも、過去にしてきたし、今も基地負担の押し付けなどがあって、なくなってはいない。

 

日本人の両親から生まれ、大阪で育ち、関西弁で話す自分は、民族的には日本という国ではマジョリティだということをこの映画で思い知らされた。自分の血のことで、これまで一度も苦しんだことがなかった。

 

どんな集団でも、多数派でいるほうが基本的には楽にいられるし、逆に自分が周りの多くの人たちとと違う部分があれば、そのせいで窮屈に感じることはよくある。

だからこそ、その違いを、その人の個性を、周りの人たちはできるだけ寛容に、できれば肯定的に受け止めてほしいし、自分も他者に対してそうでありたい。自分や、自分たちと異なるその人の特徴を、集団にいい刺激や変化を与えてくれるものとして、より多様なメンバーからなる、おもしろい組織に変えてくれる存在として受け止めたい。

 

高校のときの担任がよくホームルームの時間に言っていたこと。

「一人ひとりが違っても、変でもいい。多様な人たちからなる組織の方が強い」という言葉を、何度も何度も思い出しながら、これからも生きていこう。