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しばらくブログを書けていなくて、ブログ負債が溜まってしまった。
Xには簡単に一日何回も投稿するんだから、それくらいの軽い気持ちで、500字~1000字程度のブログを1日に2~3本投稿して溜まった日数分を消化しようと思う。
※5月6日までに、50日間で50本ブログを書くという自主企画をしています。
努力すること、がんばることをどう捉えるか
昨日、とあるpodcastの収録があって、お相手の方と、不安感などについていろいろ話していた。
焦りとか、不安を感じてついつい頑張ってしまう人は、自分より若い世代にわりと多い気がしている。10代や20代っていうのはそういう時期なのかもしれないけど、自己責任社会の風潮が彼らを追い詰めているとしたらちょっと心配。
世代にかかわらず、周囲と比べて自己研鑽が足りてないとか、もっと成長しなきゃ、みたいなプレッシャーを感じている人は多そう。もちろんのんびり生きている人もたくさんいるけれど。
自分も、成長願望みたいなものが強い時代ももちろんあって、資格取得だったりとか、勉強とか、語学とか、いろいろ忙しくやっていた。
もちろん人によっては、自分のためというより、社会に還元するための努力だったり、人のためになる努力をしてるってこともあるだろうけど、それも含めて、何かを頑張ったり、何かに向かって努力することって、究極的には自分の欲や願望のための努力でしかない。社会をよくしたい気持ちも、不安を打ち消したい気持ちだって、欲なのだ。
頑張ることや、努力することを否定はしないし、美しいことだと思う。
僕自身も努力するのは好きだ。
だけど、無理し過ぎてしんどくなってしまいがちな人とか、
不安に駆られて努力をしちゃう人って言うのは、
「自分ががんばりたくて勝手にがんばってるだけ」という醒めた認識もどこかで持っておいた方が健全なんじゃないかと思う。
クールダウンするために、自分で水を差すことも、ときには大事だ。
あと、将来が不安だから努力するのなら、ほんとうにその不安は自己研鑽で解消するのがいいの?という問いかけをしたい。
「がんばること」についてかなり俯瞰的に論じた、
辻信一さんの「ゆっくりでいいんだよ」という本は結構おすすめです。
美徳とされていることにも、負の側面はあるんだよね。