考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

春の憂鬱

 

桜が終わり、さまざまな春の花がいっせいに咲きそろうころになると、少しばかり憂鬱になる。

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エッセーと聞いて僕が最初にイメージするのは、川上弘美さんの「なんとなくな日々」というエッセー集だ。

 

中学生の頃の大人びた女友達とのエピソードや、久しぶりに松茸を買ってみたものの料理の仕方に悩んだこと、晴れた寒い日に港に行った話など、作家の日常のとりとめのないことが書かれている。

文庫版(新潮文庫)だと税込みで400円もしないくらいで買える本で、僕はなぜかこの本をひどく気に入っている。

 

気ままに行動する筆者の人柄が好きになったからか、彼女ならではの感受性や繊細な風景描写に惹かれたからか、あるいは単純に、川上さんのような自由(そう)な生活に憧れるからなのかもしれないー作家さんは締め切りに追われたりして実はサラリーマンなんかより自由じゃないのかもしれないけれど、この本を読んでいるとそういったものを感じないのです。

 

「なんとなくな日々」の真ん中あたりに、「春の憂鬱」というエッセーが載っている。

最初に引用したのが、そのエッセーの冒頭だ。

例年春が終わるまで沈みこんで過ごしてしまう筆者は、小学生の少年の話を聞いていてあることに気づく。

 

教科書に載っていたのか、先生がプリントで配ってくれたのかもう覚えていないが、「春の憂鬱」を小学生か中学生のときに学校で読んだ記憶がある。

ふーんと思いながら、なんとなく、いい話やなあと思って、これを読んだころから国語という教科のなかでも、エッセー(随筆)というジャンルを好きになった、気がする。

 

実を言うと、小学生の頃の授業中のことなんてほとんど覚えていないから、そうやったかもしれへんなあぐらいの気持ちで書いているんだけれども。

 

 (※小学校か中学校のとき、と書いていますが、あとで調べたら、高校の教科書に載っていたようです。春になるとこの投稿がよく読まれるので、一応訂正しておきます。)

 

「春の憂鬱」という言い回しを知ってからというもの、たまたま春に憂鬱な気分になると、「ああ、これも春の憂鬱やな」なんて思って心の中で小さく笑うようになった。

 

 

ついこないだも、少し憂鬱な気分になったのだ。

 

先日、自分が住んでいる下宿から自転車で10分ほど東に行ったところにある京都の白川通り沿いの王将で夕飯に天津麺を食べた。

バイト先の人から、京都の市街地の少し北のほうにある宝が池の王将が京都では一番おいしいという話を聞いて、一度行ってみようとチャリを漕いでそこに向かってみたものの、待ち合いの席に人が収まらずに行列ができるほどの満員だったので、今回はやめようと思って白川通り沿いの店舗にしたのだった。

 

食べ終わって店を出て、夜の白川通りを眺める。

ここから少し南に下ったところに、仲の良い友人が以前住んでいた下宿がある。その部屋は、友人らのたまり場になっていて、何度も集まって鍋をしたり、ゲームをしたり、寝泊りしたりしていた。

 

当時集まっていたメンバーの多くは就職して、その部屋に住んでいた友人も別の家に引っ越してしまったから、もうその部屋で集まることは二度とないだろう。

 

去年までなら、「今から行っていい?」なんて連絡して、夕食のあとにでも遊びに行っていたのに、もうそれができないのかと考えると物悲しくなり、寂しい気分になった。

 

知らないうちに時間は流れていて、昼間の大学では自分より5歳くらい年の離れた1回生を、いろんなサークルの新歓部隊が囲っている。そういう姿を見ると、自分がもうずいぶん歳をとってしまったように感じるし、大学という空間も、もう自分の居場所ではなくなってきたなあなんて思ってしまう。

 

以前の自分は学部5年目の人を見て、大学生活を長い間満喫してていいなあ、楽しそうだなあ、ぐらいのことしか思っていなかったのに。

実際に経験してみないと、当事者の気持ちなんてわからないものだ。

 

 

そんなことを思ったあとで、2か月前に友人に借りた本を読んでいると、こんなことが書かれていて、はっとした。

 

(前略)心に感じる苦しみやつらさは人間が人間として正常な状態にいないことから生じて、そのことを僕たちに知らせてくれるものだ。そして僕たちは、その苦痛のおかげで、人間が本来どういうものであるべきかということを、しっかりと心に捕えることが出来る。

吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』(岩波文庫

 

孤独や寂しさを感じて憂鬱になるのは、人間が本来、人と深くかかわりながら生きていくものであるからであり、ネガティブな気分はそのことを気づかせてくれ、人とのかかわりを求めるように、促してくれるんだろう。

ふとしんどく感じたときなんかに、自分が本当はどうありたいのかを考えてみるのって案外大事かもしれないな。

 

そんなことを思い、ご無沙汰していた友人に連絡をとったりして、春の憂鬱をふりはらってみる。自分もちゃんと来年社会人になれるように努力しないとな、とも思う。

 

川上弘美さんが憂鬱な気持ちのときに小学生の男の子に教えられたように、憂鬱なときに読む本も、必ず何か気づかせてくれる。

 

 

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復学してから考える、休学のこと

 

春だ。

 

つい数週間前までの寒さはなくなり、近くの河川敷には桜が咲いて、休日の昨日はたくさんの人が花見をしていた。きっと今日もそうだろう。

 

大学に行くとサークルの新歓で人がごった返しているに違いない。

人混みが嫌いな僕は、想像しただけでぞっとする。

 

 

花粉は、少しは落ち着いてきたんだろうか。

20枚くらい買っておいたマスクを使い切って、また買いに行くのがめんどくさくて無防備な鼻で外に出ているが、あまり鼻水もでない。

 

過ごしやすい、いい季節だ。

 

 

 

去年の10月から大学を半年間休学していた僕は、4月に入って自動的に復学した。

と言ってもまだ授業はないし-そもそも卒論以外の単位は取り切ってるから授業に出ないでいいんだけど-、4月は平日の昼もバイトの日が多いから復学した実感はほとんどない。

 

実感が出るのは履修届を出すころだろうか。

 

 

思い返せば、このブログを始めた理由のひとつが、休学して時間に余裕ができたことだったし、休学期間のできごとや考えたことなどを書き残すことがこのブログの目的でもあった。

だから、休学期間が終わる前に、休学そのものについての自分の考えもまとめたいとずっと思ってたんだけど、なかなか文章にできるまでまとまらなくて、気が付いたら休学が終わってしまっていた。

 

 

休学したことや、その期間に自分がしてきたことについて評価をするべきなのは、もう少し後の自分なのかもしれないと今は思うのだけれど、この期間のことを忘れないためにも、今思うことを無理やりまとめてみようと思う。

 

ただでさえ考えがまとまっていないうえ、文章が拡散してはとんでもないことになると思うので、先に文章の流れを決めておく。

1休学の理由と休学する前の心境

2休学したあとの生活と周りの反応

3休学という選択肢について思うこと

 

ざっとこんな流れで文章を書くことにする。

 

 

休学の理由と休学する前の心境

以前のブログにも書いたことがあるが、僕が休学した主な理由は進路についての迷いと、去年の6~7月ごろ、卒論を進められる精神状態じゃなかったことだ。

 

もともと僕は、家族に精神的な病を抱える人がいたことをきっかけに臨床心理士を目指していたが、去年大学4回生になり、自分がカウンセラーになる日が近づいてきたと思うようになってからは、かなりのプレッシャーを感じていた。

情けないことに、クライエント(来談者)の悩みを引き受けられる自信が僕にはなかったし、自分の言葉でクライエントを傷つけてしまったり、クライエントが自殺したりすることがないかと恐れるようになっていたのだ。

 

また、5月6月に家族の二人の精神状態が悪くなった。錯乱状態にある家族から暴言を浴びせられ、それによって僕自身の過去の苦しみ(虐待や家庭内暴力を見てきたこと、昔母親の心中未遂や自殺の話を聞いてショックを受けたことなど)が呼び起こされていて、冷静に卒論に向かえる状態ではなかった。卒論の指導教員の先生にもそのことは相談していたが、5月ごろから休学したいという気持ちはあったように思う。

 

それでも休学を決めるのに数か月かかったのは、自分の中で、「休学は逃げだ」という意識があったからだ。休学している周りの人を見て「あいつは逃げている」なんて思ったことはそれまで一度もなかったし、療養なども含めて、それ相応の理由があって休学するのはいい決断だと思っていた。しかし、いざ自分の問題として考えてみると、留学や何かしらの活動のためというのではなく、心を休め、進路について迷うために休学することは、進むべき道に一歩踏み出すことを先延ばしするだけのように思えたのだ。

 

 

それでも、7月ごろどうしても卒論を進められなくなってしまい、先生と相談した結果、休学することを決めた。将来の仕事に不安しか抱けないままで臨床心理学の卒論に向かうことに限界が来ていたのだと思う。

 

当時同居していた父親には休学は反対されていたし、大学5年目の仕送りは出さないと言われていたが、一度休学を決めたあとは、それまでの迷いはふっきれて、5年目は自分で稼ぐからと、休学の意思を貫いた。

 

 

休学したあとの生活と周りの反応

久しぶりに会う友達に後期から休学すると伝えると、半分以上の人が、「留学するの?」と聞いてきた。それほど、僕の通う国立大学には、留学のために休学をする人が多いんだろう。実際、僕の知っているだけでも、休学して海外に行ったという人は数えきれないほどいる。

 

精神療養と進路に迷うための休学とはいえ、その期間で短期留学をするという選択肢はないこともなかったが、「留学するの?」と聞かれるたびに、(聞いた人に必ずしもそんな気持ちがあったとは思わないが)「留学でもしないと休学してはいけないのか?」という謎の反骨心のようなものが生まれ、意地でも休学期間中に外国には行かないぞと、かたくなになってしまっていた。

 

結果的に「休学期間中に外国には行かない」という目標は一応達成したが、このこだわりが良かったのかどうかはわからない。

 

 

休学後しばらくは、あまりバイトもせず、とにかく心を休めることに専念していた。

 

そのころの、何も予定がなく、勉強などの課題にも追われない日々は、思えば物心ついてから初めてだった。小学校から大学まで、常に学校があったし、宿題や受験勉強、部活があった。何もしなくてもいい生活では受け身にはなりえないから、自然と積極的に何をしようかと考えるようになる。1日1日、今日は何をしようと考えるのはとても新鮮だった。

 

 

最初のうちは、好きな本を読んだり、先輩に誘われた草野球をしたり、友達とキャッチボールやバレーなどをしたりしていた。

 

このときに読んでいた、アランの幸福論(村井章子さんの訳)は、力んで緊張していた心から、不要な力を抜いていくための大きな助けになった。

 

今はもう行っていないが、引っ越しのときにお世話になったキリスト教の教会にもたまに通っていた。

 

 

しばらくして落ち着いて将来のことを考えられるようになってからは、勉強をしたり、興味のある仕事をしている人に話を聞きに行ったりするようになった。臨床心理士とは違う目標もわりと早くに決まった。

 

 

そのころから、やりたいことややるべきことを書くようにしていた部屋のホワイトボードには、「休学しても学ぶことを休まない」と書いていた。

大学で勉強することが増え、「休学してるのにいつも大学おるやん」と、同じ学部の同期の友達につっこまれた。

 

 

また、5年目に経済的に親から自立するために、バイトも再びはじめ、少しずつ増やしていった。

そして、4月、今ではバイトを4つ掛け持ちしていて忙しいが、臨床心理士とは別の進路を志しながら、わりと楽しくやれている。

 

 

 

休学前から休学期間まで僕の生活を、だいぶざっくりとまとめた。他にも、休学期間中にやっていたこと、考えたことはこのブログに今までたくさん書いてきたので、興味を持たれた方はそちらも読んでほしい。

 

 

 

休学という選択肢について思うこと

こんな風にブログを書いてみると、ほかの人から見ると、「このブログの筆者にも休学するだけのまっとうな理由があったんじゃないか」と思われるかもしれない。

けれど、僕の通う国立大学の休学届けには、休学理由を選んでチェックする部分に、留学、療養、進路の変更などと並んで、就学意欲の減退なんてものがある。

「大学の勉強やる気なくなったから休学する」のも、実は許されるのだ。

 

休学して、自分が今まで乗ってきたレールから降りて外からそれを眺めて、初めて気づくことは必ずあると思う。

留年と違って休学にはお金があまりかからないし、自分のやっている勉強がなんか違うなとか、このまま進んでいっていいのだろうか、なんて思ったときには、休学を考えてみたらいいのかもしれない。一回きりの人生だから、一度止まって、進路を選びなおすのは悪いことじゃない。

もちろん、早く働いて老齢の親を養わないといけないとか、家の借金を返さないといけないとか、そういった理由で就職を急ぐ必要があるなら、話は別だが。

 

 

学校教育や日本の社会制度の中では、学年というものに追われて生きていくのが当たり前になっている。でも、例えばダウン症の子が自分の半分の年齢の子がやっているような勉強をゆっくりゆっくりやっていくように、本当は進学や就職に関しても、人それぞれ、進むべきペースは違うはずだ。

 

最近、この春就職した友人とごはんに行って、職場の話を聞きながら、過去に自分が浪人して、行きたい大学に先に通う友人の話を聞いていたのと、似たものを感じた。

 

次男の僕は、小さいころから、兄のやっていることを見たあとで自分も真似してやってみるということが多かった。そんな幼いころの僕はとても臆病な性格で、集団の中で最初に何かに挑戦するのは苦手だったし、今でもその性格は残っている。だから、先にほかの人に、自分の人生の次のステップについて話を聞けるとかなり安心する。

 

それに、何をするにしても、兄と比べて自分はいつもゆっくりだった。悪く言えば、のろまな人間だ。

 

そんなのろまな人間にはそれにふさわしいペースがあると、今では開き直っている。

 

 

もちろん、休学するのが誰にとってもいいなんてことはない。

 

けれど、自分の人生の進むスピードは、自分で決めるのがきっとベストで、

在学中にいっせいに就活をするのが一般的な今の日本ではそれが難しいように思うかもしれないけど、実は休学という制度を使えば人生のペースを調整できる。

 

そして、勇気を出して選んだその決断は決して逃げではないし、自分でどんな1日にするか決められる休学期間は、それまでに知らなかった多くのものを見つけられる有意義な時間になるよと、休学を迷っている人には言いたい。

 

 

 

 

 

休みの日に、やめることについて

昨日は一日中用事があってとてもブログを書く余裕がなかったので、今日書くことにしました。

毎週金曜日は夕方からボランティアがあって昼間のバイトも重なったときは忙しいけれど、金曜日に更新できなくても、週末にはなるべく更新するようにしよう。

「金曜日のひとりごと」じゃなくて、「週末のひとりごと」に変えようかな。

 

公務員試験の勉強が今少しピンチなので、今日はやや短めで。

 

 

おととい、僕の同級生の卒業式があって、同じ教育学部の人たちと卒業式後に飲んだり語ったりしていた。僕は卒業しないんだけど、もう一生会わない人もいそうだと、みんな言うのと同じようなことを思って飲み会に参加することにした。

 

6時からの学部の一次会がひと段落したあと、各々サークルの飲み会に移ったり、サークルに入っていない人は学部の二次会に移ったりするんだけれど、僕は教育学部の飲み会のあと、文学部の二次会に参加した。

 

文学部には仲のいい友人が多く、四年間で何度も鍋をしたり、飲みに行ったり、旅行に行ったりと、まあ、言ってしまえば文学部の一部の人たちの集まりが、僕にとってサークルみたいなものになっていたのだ。

 

 

文学部の二次会は、腕相撲大会から始まった。ある男子が女子バレー部のキャプテンに、「運動神経のいいバレー部キャプテンの○○を、男女の性差でこれからねじ伏せます!」などと豪語して挑んで負けるという、お決まりにしてはおもしろすぎる笑いもあった。

 

 

文学部の二次会にはこの日初めて会う人も数人いたけど、フレンドリーというか、無頓着というか、会うのが初めてかどうかなんて大して気にしないところが彼らにはあるので、総じて楽しく過ごせた。

 

初対面の僕が隣にいる場で、まあまあ大変な身の上話をして数人で盛り上がったり、恥ずかしさに打ち勝って一発芸をして爆笑を誘う人がいたり、まあ、お酒のおかげってのもあるんだろうけど、わりとなんでもありで、なんでも受け入れられるような雰囲気がそこにはあったのだ。

 

 

その文学部の二次会の途中で、教育学部の僕と工学部三回生のNくんとで話していたことが個人的におもしろかったので、それについてちょっと書いてみようと思う。

 

 

 

飲み会の場での話なんてころころ転がっていくものだから、まとめるのが難しいんだけど、僕が彼との会話でおもしろいと思った部分を強引に要約すると、

「大学時代に無理に苦しいことを続けようとすることに意味はあるのか」

「苦しくても続けてしまってどんどん悪くなっていくことが、大学のサークルでもあるんだから社会には五万とあるだろう」

「自分のする行為に無理やり“意義”を見出すことに意味はあるのか」

「理想の集団ってどんなだろう」

というような話だった。

 

 

大学のサークルというと皆さんなんとなく、「ただのんびり楽しく好きなことをやっているもの」、「男女の出会いの場」、なんていうイメージを持たれているかもしれないが、実はそれだけでもなくて(まあ100%楽しいなんて現実にあるわけはないんだけど)、何か決めるために例えば深夜までしんどい中ミーティングをしたりだとか、社会的に価値のあると思われるイベントを企画してものすごく労力がかかって苦しんだりすることがよくあるサークルも多い。そして中には、「そうやって苦しむことは社会に出てからきっと役に立つし、サークルのために無理して頑張っている人は素晴らしい」という風潮がある集団もある。それも、少なからず。

 

 

「苦しいことをするのが成長につながる」といった精神論が飛び交う中学や高校の部活動なんかに近いものを、大学生たちが違う分野でやっていると思ってもらえるとわかりやすいのかもしれない。

そこには、サークルであるにも関わらず、やめられない、やめてはいけない雰囲気さえもある。

 

先に、僕やN君の考え方の偏りというか、傾きを指摘しておこう。

僕もN君も、程度や方向性の差こそあれ、一度そういった集団に入っていたがいやになってやめた身である。

だから、やめて別の道を選んだ自分の選択を肯定的に受け止めるというバイアスがかかっているとは思うが、上記のような集団には否定的である。

また、僕やN君の目から見たらそのように見えるというだけで、続けてやってきた人にはそのサークルはそんなに悪いものには映っていないかもしれないという点も指摘しておこう。

 

N君は、「社会に出たらどうせしんどい仕事もしないといけないんだから、大学生のサークルでは楽に、好きなことをやっていればいいじゃないか」という意見で、僕もそれに賛成だ。サークルで苦しい経験をしたことが社会で活かされる保証はどこにもないし、苦しいことに慣れるということは苦しみに鈍感なるというのと同義である。それは気分障害のリスクを高めることにもつながりかねない。

 

そして、苦しくても続けるというのは、企業に当てはめれば業績が悪くてもいつか日の目を見ることを信じて事業を続けるということになって、それは損切りができないこと、つまりリスクヘッジが下手なのではないか、というふうなことをN君は言っていた。

 

 

大学四年間で僕は5個以上のサークルや団体に参加して、10以上のバイトを経験してきたが、逆にいうと、それだけ多く、いろいろなことをやめてきた、ということでもある。

 

それでも、しんどいと思っても1年くらいやめられなかったものもあるから、「やめられない」という気持ちも、なんとなくわかっているつもりだ。

 

「やめられない」という気持ちは、「やめられなかった」として、やめたあとで湧いてくることが多いのかもしれない。というのも、しんどいことを続けているときは、「やめる」という選択肢が見えていないこともあるからだ。

人は、現在苦しくても続けているものに対して意義を見出すそうとする。しんどくても何かそれがプラスになっていると思わないとやっていられないからだろう。そして、自分で考え出した意義のために、あるいは今まで苦しんできた自分を否定したくないがために、苦しくてもその活動を続けようとする。

 

最初にその活動を始めようと思ったのは、決してそのような意義のためではなく、単に「楽しそうだったから」であるにもかかわらず。

 

 

では、どうやってそのような継続のデフレスパイラルから抜け出すことができるのだろうか。

僕が集団から抜けるか、それとも続けるかを決めるときの基準として大切にしているのは、その集団の雰囲気やそこで行われる活動が、「自分の肌にあうかどうか」とか、「そこにいることや、それをすることよって自由な気分になれるか」というような、感覚依存的なものであることが多い。そして、そのような基準で継続を選んだものに関しては、今も楽しく続けられているし、そこから学ぶことも多い。

 

 

 

集団内の人間関係や、行動指針、活動内容など、自分がそこに居続けるか考える際に基準となる要素はたくさんあると思うが、自分の直感や感覚を大事にしてみてもいいと思う。

 

 

自分にとっての理想に近い集団に出会うためには、いろんなところを経験してみないといけなくて、そのためには、今やっていることから距離を置くのも大切かもしれないですね。

 

 

今日はこの辺で。

 

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週末っていうと、元々はユダヤ教徒の休日の土曜日だったんですね。カレンダーなんかに見られるように伝統的には日曜日が週の始まりだったそう。

今ではヨーロッパでも日曜日が週の終わりになっているみたいだけど。

 

週末ってかなりあいまいな言葉で、金・土・日を合わせて週末と呼ぶことも今ではあるんだって。

それってイスラム教ユダヤ教キリスト教の休息日ですね。

 

週末 - Wikipedia

 

週末のひとりごとも、金・土・日のどれかに更新しよう。

 

                                              週末のひとりごと。2016/3/26(土)