気ままに暮らすためのブログ

1992年生まれ。大学で臨床心理学などを学んだ後デンマークに留学し、帰ってからは奈良で働いています。働きすぎず、のんびりゆったり生きたい。

当たり前に信じていること。

こんにちは!

 

前回のブログを読んでくれた方、ありがとうございました。

kikikiron.hatenablog.com

前回の最後で、近いうちに書きたいと言っていたことを、書いてみようと思います。

 

 

 

 


 

その前にひとつ質問なんですけど、 

今までの人生で価値観が大きく変わった出来事ってありますか?

 

 

 

 

 

 

感受性のある人ならきっと何かしらあるとは思いますが、だいぶ前のことであんまり覚えていないって方もいるかもしれません。

 

 

 

ちなみに価値観っていうのは、

「いかなる物事に価値を認めるかという個人個人の評価的判断」(大辞林)のことだそうです。

 

 

友人との出会い、恩師の言葉、映画、音楽、漫画、本、部活動やサークルで過ごした期間、バイト、海外旅行など、さまざまな経験が人の価値観を変えると思います。

 

 

 

 

もちろん、ポジティブなことだけではなく、いじめや差別、親や兄弟姉妹からの暴力や暴言、友人やパートナに傷つけられた経験、仕事をクビになったこと、受験に失敗したこと、就活で苦労したこと、身内や友人の死や犯罪被害(もちろん、加害側の経験も)など、しんどい経験もその人の価値観を大きく変えると思います。4年前の震災で価値観が変わったという人も多いでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

僕が一番鮮明に覚えている、「価値観が大きく変わったできごと」は、

中学生の頃に父親の彼女とその息子さんに出会ったことでした。

 

 

 

 

 

 

僕の親類はみんな民法の第732条を無視していてステップファミリーが普通なので、父親の彼女と会うのは珍しいことではありません。

 

 

 

 

っていうのは冗談で、(笑)

僕の家族は父子家庭で母親がおらず、義理のお母さんになる可能性がある人と会っていたというわけです。

 

結局、その人が家族になることはありませんでしたが、高校のころに何度か弁当を作ってもらいました。

 

 

 

それまで僕は、孫がテストで90点以下をとったら布団たたきでお尻を何度もたたき、テスト期間中に遊びに行こうとしたら泣きわめいて止めるような勉強に超厳しい(今の言葉で言うなら教育虐待(笑))おばあちゃんに育てられていました。

 

そのせいか、勉強は当時の自分にとってすごく大事なことで、僕は遊びよりも勉強を優先するような、とってもまじめな中学生でした。

 

 

もちろんそういった家庭環境にいることは苦痛だったし、もっと遊びたかったし、

当時通っていた塾の先生に「なんのために勉強しないといけないのか」と問いただすほど勉強が嫌になることもありましたが、それでも「勉強はしないといけないものだ」という強迫観念というか、常識、のようなものは強く自分の頭の中にあったんです。

 

 

ところが、当時出会った父親の彼女は子供に勉強をしろと言ったことがないような人でした。

 

その代わり礼儀作法や人付き合いのマナーには厳しく、その人の息子さんは(当時で20代前半でした)とても社交的で愛想がよい方でした。

彼は友人も多く、仕事をしながらもたくさん遊んでいて、当時悩みを抱えていた僕には、人生をすごく楽しんでいるように見えました。

 

 

その人たちとの出会いがあって、「学校の勉強だけが大事なわけじゃないし、勉強をしてこなくても幸せに生きてる大人はたくさんいるんだな」ということに気づき、僕の価値観は大きく変化しました。

 

 

中学生の僕は、家出をしたり反抗したりはしても教育おばあちゃんの圧力から逃れることはできず、結局進学校に進むことにはなりましたが、この出会いがあったおかげで勉強への強迫観念はかなり減りました。

 

そのおかげで、勉強よりも大事なことを、その後の人生でたくさん経験できるようになったんじゃないかと思います。

  

 

 

それ以降、自分の周りの環境が変わり、付き合う友人が変わり、さまざまな人との深い関わりを通して、自分の価値観や常識は、どんどん変わってきました。

 

その変化が小さいことであれ大きなことであれ、それまで信じていたものが壊され、また新しいものができていくという過程は、ときには苦しみも伴いますが、新鮮でおもしろいものです。

 

 

そういう経験を繰り返していくうちに僕は、

「自分の価値観が今の自分にとって生きやすいものであること」が、有意義な人生を送るためにきっとすごく大事なことで、

その時その時の自分の状況に合わせて、主体的に自分の価値観を変えていくことが必要なんじゃないかと思うようになりました。

 

勝手な 思い込みによって窮屈な人生を送ったり、過去に家族や学校で刷り込まれた常識を信じ続けたせいで自由に生きることができないとしたら、それはきっともったいないことだと思います。

 

人を傷つけず、自分も傷つけない範囲でなら、どんどん自分の常識を疑って、違うと思ったものは変えていけばいいんだと思います。

 

 

 

 

多くの人にとって当たり前のこと

 日本人の多くが当たり前に思っていることがあるようです。

もしくは、個人個人がどう思っているかは別として、一般に当たり前のことと認識され、共有され、それを前提にして思考や会話がなされていること、と言ったほうが正確でしょうか。

 

例えば、

・貧乏よりも金持ちがいい。

・成長することはよいことだ。

・ダサいのよりおしゃれな方がいい。

・不細工よりも、かわいい、カッコいいほうがいい。

・アホより賢い方がいい。

・異性にモテる方がいい。

・コミュニケーション能力が高いほうがいい。

・やりたいことをたくさんやったほうがいい。 

 

 

大学生なら、

・働かないよりも、少しでもバイトして生活費を稼いだほうがいい

・授業にちゃんと出て、早めに単位をとったほうがいい

・就活で内定をたくさんもらうのは優秀な証拠だ。

・彼氏彼女がいないよりいたほうがいい。

・友人が多い方がいい。

 

 

 

こんなことを思って、「いい」方向に向かうように努力したり、「いい」側にいれない自分に悩んだりした経験はきっと誰にでもあるでしょう。

 

 

例えば、おしゃれになることを目指してファッション雑誌を買ってみたり、コミュニケーション能力の低さに悩んでコミュニケーションに関する本を買ってみたり、クリスマスに一緒にいる異性がいなくて寂しい気持ちになったり…

 

 

 

この3つは全部僕自身の例です(笑)

 

 

 

 

上に箇条書きした項目のように、

「今の社会で主流となっている価値体系であり、偏差値的に望ましいこと/よくないことが序列づけられたもの」のことを、社会学者のイダヒロユキさんは、主流秩序という言葉で表現しています。

 

上に挙げたような、学歴、収入、ルックス、 社会的地位の他に、ひとりぐらしよりも結婚して家族を作っているほうがいいという考え方、欲求に従って好きなものを購買し、消費するのがいいという考え方なども、主流秩序のひとつだとイダさんは言います。

 

 

 

 

この秩序は、偏差値的に上から下へと順位付けられるため、全員が上に行くことは不可能なので、この秩序に従ったままでは全員が幸福になることはできません。

 

また、努力や運によって一般的に上位とされる位置にいる人も、自分の周りにいる(主流秩序的に似通った)人と自分を比べてさらなる努力をすることを強いられるといいます。

 

 

books.rakuten.co.jp

 

 

 

上に書いたことは全部この本に載っています。

 

 

本の内容を読んで、中学の頃のスクールカーストにも似たものがあるなあと思いました。

中学のころは、男子なら「喧嘩が強い、悪いことができる、スポーツができる、友人が多い、女子にモテる」人が上位になるような主流秩序があったような気がします。

 

 

 

 

 

主流秩序は、いろんなタイプの人がいる集団では形成されにくいと思います。

 

例えば、おじいちゃんおばあちゃんと大学生、中学生が混在する集団があったとすれば、それぞれのメンバーが大事に思っていることが全然違うので、

「スポーツができる方がいい」とか、「収入が多い方がいい」とはなかなかならないでしょう。

 

 

一方で、中学校のクラスのように、同じ地域に住む同世代の集まりで、しかも長時間一緒に過ごすような場合は、主流秩序が形成されやすいです。

 

 

また、これまでぼくが入っていてなぜか居心地が悪いと思ってしまう集団がありましたが、今から振り返ると、ある目的を達成するためにみんなが同じ方向を向いているとか「成長」という(よくわからない)概念のために努力することが賞賛される文化があるなどの理由で、主流秩序ができあがってしまっている集団だったなあと気づきました。

 

 

ブラック企業なんかも、「無理してでもたくさん働く方がいい」という主流秩序ができているのだと思います。

 

 

主流秩序を意識して、自分の中にもそうした価値観があってそれに囚われていることに気づけば、そこから離れて少し楽になることができます。

 

また、就職や入学などで新たに集団に属すようになった時にも、その集団の中での主流秩序はどんなものかと意識してみることで、主流秩序に自分も無意識に巻き込まれることを防いだり、その考え方と距離を取ったりすることができるような気がしました。

 

もちろん、主流秩序の強い集団からは抜ける(物理的に距離をとる)ことも大事だと思います。

 

 

メディアやSNSによる主流秩序の形成

ぶっちゃけFacebookってしんどくないですか?

 

Facebookって結構主流秩序が強いです。

(さっきから主流秩序って言葉の使い方がバラバラですみません。イダさんの定義よりもかなり広い意味で使ってしまっています。正しく理解したい方はぜひ上に紹介した本を読んでみてください。)

 

 

FBは一回友達になると簡単に離れられないし 、どんどん友達の人数が増えていくと社会的に望ましいことしか言えないふうになって行きますよね。

 

そして、Facebookで社会的に望ましい投稿ばかりされるようになると、それが強固な秩序を作っていき、ますますそういう投稿しかできなくなるという循環が起きてるんでしょうね。

 

 

 

テレビや新聞もかなり主流秩序に合わせたことしか書けないようになっているようです。

 

この辺の事情は上に紹介したイダさんの本に詳しく載っているので興味のある方はよんでみてください。メディアリテラシーも学べます。

 

 

 

 

 

以上、多くの人に知っておいてほしいと思う本の紹介でした。

 

最近ブログで本の紹介ばっかしてる気がするな…