考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

人が苦手な福祉職や教育職の人に知ってほしいこと。

 

10日前に、祖母を看取った。

死んだ母親に代わって0歳の頃から僕を育ててくれた人だったのと、性格もかなり特徴的な人で存在感が大きかったから、ばあちゃんを看取ったことはずいぶん僕の心に響いている。最近は、ぼーっとしてばあちゃんのことを考えることが多くて、それを言語化したくて、こないだ考えを文字に起こした。

 

僕は母親の自殺も含めて、タブーとかはなくしたほうがいいと思ってるほうだから、ばあちゃんの死を看取った経験をこのブログに載せてしまおうかとも思ったけど、ばあちゃんや僕にとっても、かなりプライベートな話が多いからやめておくことにした。

kikikiron.hatenablog.com

 

意識を失ってから2日半ばあちゃんは生き延びて、その間、ずっとではないけれど病室でそばにいた。そのときに読んでいた本が、すごくおもしろくて自分を楽にしてくれて、祖母や他の家族のことを新しい視点で振り返るきっかけを与えてくれた。同時に、タイトルにあるような、(僕もそうなんだけど、)人が好きだけど長時間一緒にいるとしんどくなってしまいがちな、だけど人と関わる仕事をしたくてしている人たちのことを肯定してくれるようにも感じたから、少し書いてみようと思う。

 

bookclub.kodansha.co.jp

 

この本だ。

 

この本と出合った最初のきっかけは、奈良に遊びに来てくれた友人が、紹介してくれたTED動画だった。イギリスの大学院を目指して勉強中で、英語の勉強をしているという友人が良く聞いていると言っていて、興味があるタイトルだったから僕も聞いてみたらすごくおもしろく感じて、この人の名前で本を検索したらたまたま図書館に本があったので、借りて読んでいた。

 

 

www.ted.com

 

 

僕は今福祉の仕事をしていて、障害のある人、具体的には知的障害や自閉症、脳性まひという特徴を持つ人たちと日々関わっているんだけど、特にたくさんの障害のある子どもたちとひとつの部屋で数時間一緒にいることが僕は苦手で、その仕事の日にはいつも疲弊しきってしまったり、時には耐えられなくなって抜け出して一人で泣いてつらさを発散するようなこともある。

 

人と長時間いることは元々苦手で、どんなに気の合う友人や、付き合っていた人とでも旅行などでずっと一緒だと、気づかれして、独りになりたいと思うことが多かった。

同じような感覚を持つ人は意外といるもので、似たタイプの人と仲良くなるから、一緒に旅行しても「2日目からは別行動で」みたいなことが気軽にできて、そんな気質でもプライベートではうまくやれていたんだけど、仕事だと自由に離れたりすることは難しい。

 

それでも職場も人に理解してもらって、かなり”合理的配慮”をしてもらってるんだけど、そんな人間が福祉の現場での仕事を続けるべきなんだろうかと、申し訳なさからくる疑問みたいなものは常々あった。

 

自身も内向型だという、スーザン・ケインさんの「内向型人間の時代」では、人と関わることにエネルギーを使ってしまうとか、静かで落ち着いた環境や、一人で作業することを好み、集団より個人での活動で力を発揮するといった内向型の気質が、「刺激への反応の強さ」という体質からある程度規定されていることを教えてくれる。

心理学者のユングによって大衆化された内向的・外交的といった性格特徴の捉え方だが、その後ある研究者によって、赤ちゃんのときに外からの刺激に過敏に反応して泣いたりした人は内向型の人に、反応が薄かった人は外向型に育つことが多いということがわかったそう。

内向型は人が嫌いなのではなく、人とのかかわりを含めた社会的な刺激も含めた多くの刺激に敏感に反応してしまうために、人ごみなどの刺激の多い環境に長時間いると疲弊してしまうらしい。内向型の人はアレルギー反応が多かったり、皮膚が薄いことも多いらしい。

この本を読んで、自分も典型的な内向型だと感じた。大勢の旅行よりも一人旅を好んだり、一人で静かなカフェで過ごすのが好きだったりするだけでなく、僕はたぶんひとより皮膚が薄くて、まぶたを閉じても外の明るい光がかなり目に入ってきて夜行バスでカーテンの隙間から入ってくる光がまぶしくてアイマスクなしでは眠れないし、騒がしい飲み屋などで3人以上で話していると自分の隣の人以外の声が聞き取りずらく、会話にかなりエネルギーを使ってしまうので、大学の頃から、飲み屋よりも家で飲んだり、川辺のベンチで酒を飲みながら話したりすることを好んでいた。

 

 

著者はアメリカ育ちで、現代のアメリカでは特に社交的であることが求められ、教育現場でもグループワークばかりが重視されたり、会社でも個々のプライベートスペースが確保されないオープンオフィスが流行っていたり、子どもが一人で過ごしていると問題児と思われてしまうことさえあることを危惧している。そういった社会環境では、一般に人口の2~3人に1人はいるという内向型の人の能力が発揮されず、そのことが社会全体にとってもマイナスだというのだ。

 

さて、今の仕事で自閉症の人と関わることも多いんだけど、刺激の多い環境を苦手とするのは自閉症の人に典型的な特徴だ。

自閉症スペクトラムという言葉も広がって、自閉症の人の特徴が、一般の人の多くにも見られる特徴と連続しており、自閉症とそれ以外の人を明確に2分する線引きはなく、程度の問題であることは当事者や専門家や現場の人間以外にもある程度知られていることだとも思う。

障害福祉の現場では僕のような特徴を持つ人間を「自閉的特徴がある」と言ったりもするんだけど、内向型の人間と自閉症の人の特徴ってきっと関係している。

自閉症を治せないように、内向型の人間の性格も治せないし治すべきでもない。

本のなかで著者が内向型の人に対して、必要ならば身につけようと勧めているのは、自分を理解して無理のない生き方をするスキルと、必要に応じて社交的な人間を”演じる”スキルだ。

その人自身は変えられないから環境をその人に合わせたものにしていったり、より快適に生きていくための技術を身に付けていくという、自閉症の人の支援のしかたと考え方が似ていて、すごくすんなり入ってきた。

 

と同時に、福祉や教育職に、内向型の人間の感覚に共感でき、理解できる、自身も内向型の特徴を持つ人が一定数いるほうがいいんじゃないかと思った。

 

福祉や、おそらく教育の現場でも一般的に人と関わること、コミュニケーションをとることがよしとされている。それは利用者(あるいは生徒)に対しても、支援者(先生)に対してもそうだと思う。

利用者に積極的にかかわりにいくことがよいこととされるし、子どもも友達と仲良くすることがいいこととされている。

不登校の人を学校に行くように”支援”する人の考え方も似ていると思う。

 

社会とつながること、関わることを、スーザン・ケインさんは否定していないし、むしろ内向型の人にとっても価値のあることだと言っている。

いつの時代も、自分たちの強い思いを形にしていくには他の人たちとの協力が必要だし、多くの人のアイデアによって発展していくこともたくさんある。

 

一方で、ひとりのときのほうが力を発揮できる内向型の人間が一人になれる環境も確保されたほうがいいということだ。

 

そういうことを考えられる人がいたほうが学校の子どもたちも、施設の福祉サービスの利用者もきっと楽だし、より力を発揮できるのだと思う。

 

僕もずっと現場で働くことはないと思うし、内向型の人間が無理して福祉や教育や人と関わる仕事を続ける必要はないと思うけれど、あなたがそこにいて、あなた自身の感覚を大事にすることで楽になれる人はきっとたくさんいると思う。だからしんどさを含めたその感覚を悪く思わないで、肯定的に捉えて向き合ってほしいと思う。

 

 

 

日本でもこれだけ社交性、コミュニケーション能力、グループ活動、プレゼン能力なんかが重視されている時代に、それが苦手な人も長所を生かして、静かでも快適に、生きていけますように。

 

本を読む時間のない人に、このサイトもおすすめです。

kaminoy.com

銭湯日記。3/10藤井寺温泉(大阪府藤井寺市)

 

3月11日。

震災の日から8年たった。あの日の記憶は、関西に住んでいた自分にも強烈で今も鮮明だから、8年前というとそんなに前かと思う。いろんな巡り会わせがあって出会った、震災がなければ出会うことのなかっただろう関東に住む人とこの前話していて、自分ももしかしたら、震災の影響を受けて今の生活に行き着いたのかも知れないと思った。

 

震災のあったときに一緒に住んでいた祖母は勉強に関してものすごくスパルタな人だった。2011年3月11日、当時18歳で現役の大学受験に落ちた僕は浪人することを決めていた。高卒後、予備校が始まる前の春休み。今でも仲良くしている高校の友人に、チャリティーコンサートがあるから一緒に行こうと誘われた。

出かけることを伝えたときに祖母に「大学落ちたのにそんなんに行ってる場合か。勉強しなあかんやろ」というふうなことを言われたのを覚えている。「勉強や受験より大事なもんがあるやろ!」と僕は強く反発した。そのときに「自分のことばっか考えて社会のこと考えないのはおかしい」と思ったから、僕は大学でいろんなボランティアをして、その延長で、今の仕事に就いているように思ったりもする。

 

とまあ、これはあとから自分で作ったストーリーで、実際のところそんな因果関係なんかないと思うけれど。

 

大学2回生くらいのときに、青春18切符で京都から仙台まで行き、気仙沼や釜石をたずねたことがある。大きな船が陸地の道路よりも山側にあるのを、気仙沼をレンタサイクルで走っていて見つけたときの衝撃はすごかった。あの地域は今、どうなっているんだろう。

 

 

銭湯のことを書こうとしていたんだった。

 

昨日は休日で、初めて会う人と藤井寺で餃子を食べていた。

その人が偶然高校の後輩で、高校の思い出話で盛り上がったり、会いに行く途中に通る道明寺駅が、高校のころの記憶がいろいろ呼び起こされる場所だったりして、懐かしい、なんだか不思議な日だった。

 

高校の頃、父親と住んでいた僕は、父親が当時付き合っていた人にたまに弁当を作ってもらっていた。おいしい弁当を自転車で朝取りに行っていた、その人の当時の家が、その駅の近くだったと記憶している。

 

その道明寺から2駅隣、餃子を食べた人と出会った藤井寺駅の近くの銭湯に、せっかくなので、帰りに寄ることにした。

僕は銭湯が好きで、特に、行ったことのない銭湯に入るのが好きだ。

 

osaka268.com

 

藤井寺温泉は、近鉄藤井寺駅のすぐ近くにある。

駅南側の通りを少し東に進んで、南に折れた通り、

すぐ近くにはから揚げやさんや飲み屋がある、わりとにぎやかな場所にある銭湯だ。

 

入ってみると、脱衣所も浴室もわりと広く、ゆったりした作りだった。

そして地味にテンションがあがったのが、風呂桶がケロリン桶だったこと。

 

ケロリン桶に出会って、「昔ながらでいいなあ」となんだか感動してブログにも書いたのが、3年前、神奈川の日吉の旭湯という銭湯だった。その頃のことを思い出してまた、懐かしかった。あの日は興味のあるNPOのミーティングに見学に行った後、大学の友人の家に泊めてもらったんだった。あれからいろんな銭湯に行っているけど、しばらくケロリン桶には出会っていなかった気がする。

 

kikikiron.hatenablog.com

 

藤井寺温泉は、400円台で入れる一般の銭湯では珍しく、シャンプーとボディソープが備え付けだったのが手ぶらの僕には嬉しかったし、日曜日の夜なのに入ったとき自分ひとりしかいなくて貸切状態で贅沢だった。雨の日だったというのはあるけれど、あとで数人入ってきたから、かなりラッキーだったと思う。

 

さらさらした軟水のお湯が気持ちよく、ミストサウナも広くて気持ち良かった。

それと、ライオンの口から水が出てくる水風呂が、大学時代、京都の左京区で住んでいたときに僕が愛用していた銭湯と似ていて、それもすごく懐かしかった。

 

 

金曜日の仕事で感じたしんどさを、そのときもまだ引きずっていた。

子どもがたくさんいる騒がしい環境が自分はどうしても苦手なようで、そのことで仕事に支障をきたしているのを、どうにか対処しないといけないと思うのと同時に、その仕事中に感じた胸の苦しみがずっと残っていた。

 

銭湯に入ったあと、近鉄とJRを乗りついで奈良に帰るときに、銭湯効果で少し楽な気分になれていた。

たいていのことは、どうでもいいことなんだと今では思える。昔に比べたら、ずいぶん落ち込みにくくなったし、立ち直りも早くなった。

どっちみち今の仕事をずっと続けるようには思わないし、数年後別の仕事をしていたら、今自分が苦しんでいることなんて、どうでもいいどころか、きっと忘れてしまっている。

 

たくさんの子どもと関わると感じる胸の苦しみの原因について、過去に何かあったんだろうかと考えたことがこれまでにも何度かあったけど、全然思い浮かばなくて、もっとシンプルに、自分は子どもの声の高さとか、動きとか、そういったものが苦手な遺伝子を持った個体なのかもしれないと思ったらなんだか楽になった。

 

昔は、0歳の自分と心中しようとした母親が、自分を愛していたとか愛していなかったとか、そんなことを気にしていたけど、単純に、母親も子どもが苦手だったから育児ノイローゼになったのかもなあ。その遺伝子を受け継いでるだけかもなあなどと思ったら、妙にすっきりした。

 

子どもは好きだけど、自分には難しい。

子どもを育ててたい気持ちはあるけれど、あんまり無理しない生き方をした方が無難かもしれない。

 

このことに気づかせてくれた今の仕事には感謝すべきかもしれないし、

しんどいときにいろいろと気配りをしてくれるスタッフがたくさんいて、

本当に恵まれた職場だなあとも思う。

 

また、銭湯に行こう。

眠りにつく前の頭のなかを文字にしたもの

昨日、苦手な環境にいないといけない仕事でかなりメンタル面の調子を崩してしまって、それを引きずっている。

いい加減、しんどいことを無視せずにきちんと向き合ってどうにかしようと思う。
毎回調子を崩すくらいなら、その仕事だけはやめさせてほしいと上司に言ってみるべきだろう。
しんどいまま続けていたら、他の人にも迷惑がかかってしまう。


人の心と言うものは、どこまでも環境に支配されるものだと思う。
人混みが苦手なのに人口密度の高い大阪や京都で25歳までのほとんどの期間を過ごした僕は、就職して人の比較的少ない奈良に来て、苦手でない仕事の方がずっと多い今の職場で、同僚や先輩にも恵まれて、僕は以前より随分気持ちが楽になれたと思う。

職場以外の人間関係も、自分と気の合う、好きな人ばかりになったことも大きい。

それでも仕事でたった二時間、とてつもなく苦手な環境にいるだけで、調子が悪くなるんだから、人は環境に支配される生き物で、自分がどこで過ごすかというのはかなり大事にした方がいいんだろうなと思う。

今回の件は、もしかしたら自分の気づいていない、何かのトラウマにでも関係してるのかもしれないけれど。


思えば高校の頃までの自分は、生きずらさや、ネガティブな気分にばかりなってしまう自分を、過去に虐待を見てきたことや、自殺した人や精神病の人たちに近い遺伝子を持っていることのせいにしたりもしてきた。

けれど今となっては、その解釈は自分が思いたいように思っていたものでしかなく、実際はもっとシンプルで、そのときの自分がただ、しんどい環境に身を置いていただけだったのかもしれないと、今では思う。

大阪という土地が苦手だったのかもしれないし、家族や、部活の人間関係など、自分に合わない社会で過ごしていたからしんどかっただけかもしれない。

その当時の自分には、環境を変える術も、そうすれば楽になるという発想さえもなく、ただ日々の苦しみを乗り越えていくことばかりを、努力した末に成功をつかむことばかりを考えていたように思う。

その後の8年間の人生の一部で、自分が楽だと思える環境に身をおくことができたのは本当に良かったし、楽を求めることで楽になれた経験を得られたのは、もっと価値があったと思う。

労働時間が長すぎると訴えたら短くしてもらえるような職場に、ろくに就活もせずに入れたのは、だいぶラッキーなことだったのかもしれない。

でも全く違う職種で働いている、同僚の彼氏さんも、しんどいからと言って部署を変更してもらって、ブラックな部署から残業がほとんどない部署に移り、一気に元気になったという。

楽になるためにすべきことは、頑張ることではなくて楽を求めることなんだろうと、今の自分は思う。それは一方で事実で、もう片方では、頑張ることが楽をもたらすというのも、必ずしも間違いではないと思うんだけど。

高校の頃、怪我をしてろくに練習に参加できないのに毎日部活の練習に行っていた日々を思い出す。
あの頃の自分は、誰に強制されていたわけでもないのにやめる選択肢がなく、苦しみながら努力することを正しいと信じて疑わなかった。
その日々は今も、苦い思い出として残っていて、それをきちんと、教訓として生かして行きたいと思う。

組織のためにどうすべきかとか、苦しみのなかにおもしろさを見つけるような努力よりも、まず自分の呼吸や、胸のつっかえや、不安や緊張なんかに意識的になって、それを取り払うために状況を変えるべきなんだという信念を、僕はとりあえず今、持っている。