考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

書くこと。

 

暮しの手帖日記」という松浦弥太郎さんのエッセー集のような本に、「普段感じていること、考えていることを紙に書く」という行為についての考察がある。兄に会いにいく電車のなかで読みながら、自分にとっての書くという行為の意味について考えていた。

 

友人が亡くなってから、noteやこのブログに頻繁に心境や出来事を書いている。

最初に書いた、「心がけたいこと」についての話は、自分を守るための文章だった。ポジティブなことを書くことで、そっちに目を向けることができる。強烈な悲しみに襲われることを避けるために無意識にしたことだったと思う。純に自分のために書いた文章だったから、落ち着いたらnoteの方は削除した。読んでしんどくなる人がいるかもしれない。同じ文章を載せたはてなブログの方は、自分が書きたいことを書く空間だから、残しておいた。

 

 

お葬式の日のことを綴ったのは、その日のフィーリングを忘れないようにするためだった。その子のお父さんがお葬式で「彼岸花」の話をしていて、きっと毎年彼岸花を見るたびに思い出すから、忘れることはないのだけど、あった出来事を書き連ねることで、より鮮明に思い出せるようにしたかった。

 

昨夜から随分憂鬱で、何かをしていないと、生きるとか死ぬとか、そんなことばかり考えてしまうから、PCの対戦の将棋で気を紛らわせていた。死んだ子と何度かチェスをしたことがあるのだけど、弱くていつも僕が買っていた。天国で練習しておいてほしい。

 

今朝、兄と会って話し、職場で同僚や利用者さんと話し、仕事後にボルダリングに行って随分気持ちは楽になった。みんなとてもショックを受けていた。

「私が死んでも苦しむ人は少ない」なんて書いていたけど、そんなことは決してなかった。

 

職場では、妊娠して休むスタッフがいたり、難病の奥さんが入院してしばらく出勤できない人がいたり、そして僕の周りには、誕生日を迎えた人がいる。

 

みんな、生まれたり、生きたり、死んだりしている。

 

 

 

一日、後半

同僚2人と葬式の日の夜に、死んだ友人(その友人も、去年まで同じ職場で働いていた)のことを話そうって言って集まった。

 

最初は、友人が好きだったレストランに行こうかとも言っていたのだけど、誰もおなかが好いてなったから、奈良公園のあたりを歩くことにした。

転害門で集合し、大仏池を通って二月堂へ行った。奈良の夜景を見ながら話した後、真っ暗な登山道を通って若草山にも登った。

 

若草山から見える奈良の夜景は、広い範囲がきらきらしていた。少し眩しいくらいで、きらきらと、ギラギラの中間くらいだったけれど、綺麗だった。

 

着いたころは、まだ月は出てなくて、でも東の空は少し明るくて、しばらくしてから、半月まで欠ける少し前の月が出てきた。9時くらいだったろうか。寝待月とは、よく言ったものだ。

 

友人と仲の良かった同僚から、死ぬ数週間前に2人で出かけて、足湯カフェに入ったり、ドライブしたり、楽しい時間をすごせていたことを知って、なんだかほっとした。

死ぬ前の日々も、辛い時間ばかりではなかったんだと。

 

「死んで、会いたい人に会いに行く」、ということを友人はnoteに書いていた。

会えるかどうかわからないけど、死んだら会えるって思うことは悪いことじゃないし、僕らが、その友人がそのうち、天国で会いたい人に会えて、楽しく過ごせてたらいいなって思うのも、いいんだろうと思う。

 

自分が思いたいように思う、自分の信念に合った情報だけを集めることを心理学では確証バイアスって言うけれど、誰かを傷つけたりしないんだったらそれでいいと思った。科学で証明されたことや、事実ばかりを大事にしなくてもいい。

いろんな宗教が伝える死後の世界のことって、(「あのお坊さんも言ってたからきっとそうだよね」とか)言ってしまえば集団での確証バイアスに過ぎないのかもしれないけれど、それこそがすごく大事なんだよな。

 

同時に、僕はやっぱり、死なれると寂しいから、生きててほしいと思ったし、今生きている人にはこれからも、自ら死ぬことはせず、できれば長く生きててほしい。

 

その人の生きる苦しみを取り除いてやることできないのに、死にたいと思う人に生きててほしいと思うことは、生きている自分のわがままでしかないのだと思うけれど、わがままでもいいんじゃないかとも思う。

 

思いたいように思うことも、わがままを貫くことも、どっちも悪いことじゃない。

 

 

でもできれば、死んでほしくない人には、「生きていたい」って思ってもらえるような何かを、さりげなくしていきたい。わがままだけじゃなくて、小さな努力を時々はしていきたい。

 

ただ生きているだけのことを、時々祝っていこう。

そして、おいしいものを一緒に食べたり、楽しい時間を一緒にすごすことを、これからも大事にしよう。

 

一日

宿直明け。朝少し早めに起き、洗面所で顔を洗い、着替える。

メンバーの朝食を2階の冷蔵庫から下ろし、キッチンで鍋を温める。

仕事後にすぐに出発できるように、荷物をできる限りまとめてから、駐車場のチェーンを外し、ポールを下げる。

メンバーのコールに対応しながら、リビングで朝食の用意と検温などをしていく。必要な人の分の水筒を用意する。

9時に朝ケアのスタッフが加わり、メンバーの朝の身支度、送り出しと消毒などをする。葬儀に行くメンバーのことを、スタッフ2人に伝える。

 

朝の業務を終え、着替えてから同僚の車に乗せてもらい、葬儀場へ向かう。

道中、亡くなった人の話や、職場の話などをする。話しながら、助手席でナビをする。

 

葬儀場に時間より少し早めについて、席に着く。生前の写真を見る。

亡くなった友人の父の話などを聞く。

友人の父の話を聞いて、友人に借りたままになっていた本をどうしようかと考える。

お焼香をし、花を棺に入れ、友人の顔を見る。

 

式場の写真や友人の家族の様子から、家族に愛されていたことを知り、安心する。

火葬場へ向かう友人を見送る。

 

同僚の車で職場に戻る。

道中、棺を載せた車が出て行くときに流れていた曲のタイトルを調べて、車内で流す。

 

職場で普段着に着替えてから、同僚に健康診断の会場まで送ってもらう。

健康診断を受ける。

 

すぐ近くの魚料理屋でおいしいものを食べ、歩いて帰る。

 

帰宅途中、コンビニでアイスを買い、食べながら歩く。

駅の近くの、まだ入ったことのない喫茶店によって、カフェラテをテイクアウトする。

たつきのカフェラテのふたを取って、ラテアートを見て、もう一度ふたを閉めて飲む。

 

家に着く。ゴーヤが小さな実をつけているのを見る。

荷物を置いて、今日のことを記録に残す。