考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

地下に住んでいた先輩の話。

「なんでまた急に連絡くれたの?」

「半地下の家族の映画を見て先輩のこと思い出したんですよ。先輩は半地下じゃなくて地下だったな、って。」

「それ、怒っていいやつだよね?笑」

 

大学のすぐ近くの、先輩の行きつけの焼き鳥屋さんで、2年ぶりくらいに先輩と会ってふたりで話していた。

大学があるのは緊急事態宣言が出ている県なのだけど、大学が閉まっていて店に人が少ないこともわかっていたし、普段から人と接することがとても少ないその先輩と2人で会うことに、リスクはほとんどないということもわかっていた。

 

 

「パラサイトー半地下の家族」や、「タクシー運転手」を見てから、韓国のことに関心が高まっている。だけど僕がこれから書くのは、日本の話だ。先輩や僕や、僕たちの周りの、一流大学とも呼ばれるような国立大学の、2010年代の話だ。

 

 

僕が入ったのは、とても大きな大学のなかの、一番小さな学部で、1学年あたりの学生数は60人程度、学部内でのイベントも多かったし、学部棟のなかに溜まり場のような場所がいくつかあったから、イベントに参加したり、学部棟にいることが多ければ、先輩後輩関係なく顔と名前がなんとなくわかって自然と喋るようになる、そんな雰囲気があった。

僕はどちらかというと内向的な方だったけれど、幸い1つ上の代の先輩たちに喋りかけてくれる人が多く、なんとなく居心地の良い学部だなと感じていた。

 

敷地はそんなに広くない僕たちの学部の学部棟は、たしか4階建てで、地下もあって、地下にある2つの部屋が、学生のたまり場になっていた。片方は軽音サークルの人たちがよく練習に使っていた部屋で、もうひとつは、部屋の奥に畳が敷いてあって、テレビがあり、畳に置かれた本棚には漫画や本がたくさんあった。手前側には大きな机にいくつかのチェアに、ソファや冷蔵庫に電子レンジもあって夜通しマージャンやスマブラ大会が行われる日もあり、飲み会のあと、実家や下宿に帰るのが面倒だからと、そこで泊まる学生も少なくなかった。

 

その部屋が数年間、先輩の住まいだったわけだ。

許可をとってないから、あまり書くと怒られそうだ。

どうして先輩がそこで住んでいたかについては、書くのはやめておこうと思う。

人にはそれぞれ、いろんな事情があるのだ。

 

仕送りがないからアパートの家賃が払えない人たちのなかには、月数千円で暮らせる学生寮に住む人もいたし、休学してバイトして家賃を稼ぐ人もいた。生協の食堂でバイトをして、そこのまかないで食い繋いでいる学生もいた。

裕福な人も一方でたくさんいたけれど、皆学生で、未来にそれなりに希望もあったから、貧しくてもあまり悲観的ではなかった。僕は親に学費を払ってもらっていたうえ、家賃や生活費の一部を仕送りしてもらっていたくせに、割のよくないバイトばかりしていたせいで余裕はなく、100円ローソンの400g100円のパスタや、缶詰やレトルト食品によくお世話になっていた。

 

 

僕自身が、一年、また一年と歳を重ねるにつれて、新歓イベントで話しかけてくれた何歳か年上の先輩たちが卒業していき、後輩が入ってきた。僕は当時、あまり年下が得意なほうではなかったし、なんだかんだ言って元々、いろんな人がいるざわざわした環境も苦手だったから、学部棟の地下に行く機会は減っていた。そのせいで顔なじみの後輩も少なかったから余計に「知らない人たちばかりだったら嫌だな」と、地下に行くのは勇気がいるようになっていたのだけど、地下で暮らしていたその先輩は必ずそこにいたから、なんとなく人恋しかったり、人と喋りたいときは地下に行って、先輩と話したり、誘って外にご飯に行ったりしていた。

 

とても繊細なのに、どんないじり方をしてもたいてい優しいつっこみで返してくれるその先輩がいつも地下にいるのは、僕にとってすごく安心できることだった。

 

 

そんな先輩にふと会いたくなって、連絡を取った。先輩はずっとスマホを持っていなかったら、電話番号のショートメールでやりとりをした。2年間連絡をとってなかったから、今も大学院にいるのか、何をしているのかさっぱりわからなかったけど、大学の近所には暮らしている(さすがに地下からは出ていた)みたいで、会うことができた。

 

僕もそうだけど、先輩は2年前からなにひとつ見た目がかわってなくて、喋り方も雰囲気もそのままで安心した。焼き鳥屋さんで、互いの近況を話したり、最近見た映画の話や、大阪出身だけどたこ焼きより明石焼きがおいしいと思っている話をした。先輩がしているボランティアの話とか、学部の共通の知り合いの人たちの近況とか思い出話とか、くだらない話をたくさんした。

最近買い換えるまで、先輩が16年間同じ財布を使っていたと聞いて、僕は高校1年のときから13年間使っている弁当箱をあと4年使って先輩を抜きます。と言った。

 

スマホを契約したけど、ラインは使っていないらしくて、僕たちはこれからGmailで連絡をとることにした。学部棟には感染症が流行る以前から、僕が卒業した数年後にはもう、人が集まらなくなっていたらしかった。

 

学部祭が再開したら、いつかまた卒業生として遊びに行きたいと思う。

 

何年か前に暮らしていたところ。

 

 

京都市左京区

高野、一乗寺百万遍

 

 

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見慣れた京都市バス川端通り。

 

 

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八百屋さんとネパールカレー屋さんも、

 

 

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はんこ屋もイズミヤもそのまま。

 

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大垣書店のカフェ。コーヒーの香りが数年前のまんまで、香りから来る懐かしさがたまらなかった。よく頼んでいたカフェオレとビスケット。

 

 

 

 

 

 

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白川疎水の布団やさん。ここのおばあちゃんに、引っ越してすぐのタイミングに道端で話しかけられて、30分くらい喋ってたな。

 

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一乗寺のラーメン屋のなかで、京都を離れる直前にはまっていた「つるかめ」の魚介しょうゆラーメン。麺中盛(180g)に味玉、最後に〆飯まで頼んでしまって超満腹。やはり美味。

 

 

 

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ここよくサークルや学部のイベントで使ってたな。

 

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たぶん2000回以上通った百万遍の交差点。


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一乗寺ラーメン街の北のほうの交差点。びし屋もよく行ったな。

友人が働いていたコンビニは100円ショップに。

 

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 やる気。安くて学生に人気の焼肉屋一乗寺ラーメン街の入り口近く。

 

 

急に行きたくなって、雨の日にも関わらず一人で訪れた。

社会人になったから、もっと贅沢してもいいのだけど、お金を使ったのは学生の頃に食べていたラーメンと、行っていたカフェのアイスカフェオレと、お土産に新しくできたコーヒー屋で豆を買ったりしたくらい。

同じ楽しみを繰り返すのが、何よりの喜びだったりする。

 

高野の交差点のミスドがなくなっていたのは残念だったけど、好きな個人店は健在なものが多くてほっとした。

 

帰り、京阪三条駅近くの孫橋湯でお風呂に入って帰る。ジェットバス、薬草湯、深風呂、サウナに水風呂、それぞれが2人分くらいの小さなサイズだけど、綺麗ですっきりとまとまった印象。

 

人が多いと窮屈だろうけど、幸いそんなにいなかったのでくつろげた。

新しい銭湯に行く。これも学生時代にやっていた楽しみ。

初めてのことも少し取り入れると、思い出の土地に行くのがさらにおもしろくなる。

 

 

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前に住んでいたアパートのすぐ近くに、1年半前にできていたテイクアウト専門のコーヒー屋さん。お土産に豆を買って帰った。



 

ハローワークがおもしろかったから、「役に立つ」と「楽しい」について考えてみる。

精神保健福祉士の資格をとるにあたって、専門実践教育給付金と言うのを受給したくて、ハローワークに来ている。

この給付金を受けとるためには、ジョブコーチという制度でキャリアコンサルティングを受ける必要がある。


担当の方に、これまでの学歴や職歴、価値観をいろいろと聞かれて答えてたら、デンマーク留学の話を深堀りされて、「人口密度の低い国の人は体が大きい説」を説かれたり、僕が「地球に迷惑をかけずに生きたいと思っている」って提出書類の「価値観」を書く欄に書いたのを見て「人生の意味」を問われたり、マツコデラックスのテレビ番組の話をされたりして、なんだか飲み屋で知識豊かなおっちゃんと話をしているようだった。


ハローワークってこんな話するものなんですか?」って思わず言ってしまった。



その話のなかで、「どんな精神保健福祉士(以下、PSW)になりたいか」を聞かれて、
「周りの人から相談されたときに役に立てるように、利用できるサービスや相談機関について幅広い知識を持ったPSWになりたい」っていう話をした。
すると担当の方は、マツコデラックスの番組で前澤友作さんがマツコさんに夢を尋ねられて「世界平和です。僕の思う世界平和っていうのは、、、」って定義を語りだした話を例に出して、「「役に立つ」ってのがどういうことか考えて言語化しといたらいい」って言ってくださった。


同じように例として、ホリエモンが「楽しいことだけやって生きたらいい」っていうけどそれは彼が「楽しいこと」が何かわかっているから言えることなんだ、ともおっしゃっていて、なんか興味深かったので、自分にとっての「役に立つ」と「楽しい」の定義を考えてみたい。

「役に立つ」

役に立つPSWという言葉でイメージする人は僕の中に2人いる。自身も精神科に入院歴があって、退院後、PSWとして相談員の仕事や地域移行支援のボランティアなどをされている方。制度やサービスについての知識が豊かで、かつ親身になってまじめに話を聴く姿勢のある方だ。
もう一人は、NPOのリーダーで、共感性が高い一方で事業を推進していくたくましさもあって、困った人ひとりひとりに対して、「これくらいの状況だと大丈夫だけど、こうなっていたらかなり心配」といった、これまでたくさんの人と関わってきた経験から培われた基準のようなものを持ちながら、状況に応じてかなり具体的なアドバイスをしてくれる方。


ふたりとも困ったときに頼りになる。
連絡をとったら助けようとしてくれること、ネットワークや知識が豊富で具体的なアドバイスをしてくれること。

そういった部分が周りの人の「役に立つ」と思う。困ったときは助けてくれるだろうっていう安心感が必要で、知識があるだけじゃだめなんだろな。


楽しい

自分にとって楽しいことってなんだろうと考えた。

気の置けない人と話す時間、
登山やキャンプといったアウトドア、
銭湯や温泉、
読書、語学
文章を書くこと、
コーヒーを淹れること、
好きなカフェで過ごすこと、
旅をしてはじめての場所を訪れること、
好きな場所に出かけること、
映画、
料理、
文章を書くこと、
DIY
ボルダリングなどのスポーツ、
散歩しながらpodcastを聞くこと、
ドライブ、
手紙、
おいしいご飯を食べること、
ときどき絵を描くこと・・・・


結構たくさんあるのだけど、いくつかに分類できる。

ひとつめ。
アウトドアや銭湯、コーヒー、ご飯といった楽しみは、
五感を快適な状態にするといった共通点がある。
スポーツもそうかもしれない。

汗をかいたり、あったまったり、嗅覚、味覚を楽しんで、体の状態からシンプルに快感を得る。



ふたつめ。

料理やDIYは、自分の頭の中のイメージを形にするという楽しみがある。
感性を研ぎ澄ませて、こんな風にしたらおいしいんじゃないか、良いものができるんじゃないか、といった直感を形にしていく。文章を書く、というのもそれに近いかもしれない。
こうやってつらつら書くものはそうでもないけれど、おもしろい文章にしようとして全力で取り組んだときは、かなりイメージを膨らませて、おもしろいと思える構成、読者がイメージしやすい情景描写、などを意識して書いている。
イメージを形にして、良いものが作れたときは楽しい。


みっつめ。

語学やボルダリングなどは、こつこつと前に進んでいく楽しみがある。
努力した分だけ前に進んで行ける。できなかったことが少しずつできるようになっていく。
その変化を楽しんだり、どのように攻略していくかを考えるのも楽しい。


よっつめ。

映画や読書、旅行などは、新たな世界や知識を得られる。知的な興奮を味わえる点で好きだ。
まだ見なかった世界、自分の日々の暮らしではなかなか触れることのない人々や文化を知れるワクワク感。

そういったものが堪らなく楽しい。


いつつめ。

いまさらやけど、いくつめかかくときにぜんぶひらがなやとぎゃくにいわかんがある。

気の置けない人と話しているとき。気の置けない人との時間もそうだし、まだあまり深く話したことがなかった人と、何かのきっかけで盛り上がったりして、仲良くなったように感じること。
あるいは誰かに、相談を受けたりするとき。

心を許してもらっている、あるいは自分が心を許せる関係があることを確認して安心できる。これも楽しい時間のひとつ。




自分にとっての「楽しい」は、だいたいこんなところ。

皆さんにとっての「楽しい」って何ですか?

こういうこと考えるのが楽しいって人は、ぜひ考えてみてください。